第179話 変わり行く北部商人

【1】

 七月の後半に突如として内務省から新たな法案が王妃殿下に上奏された。

 この北部貴族の勢力をバックにこの法案を通そうと謀った王妃たちに対して、その内容をらしきロックフォール侯爵家を筆頭とする南部貴族が噛みついた。


 見せかけの救貧院の廃止、職業訓練所の新設による看板のすげ替えで、聖教会工房を潰そうとしている。

 教導派聖教会のあからさまな清貧派聖教会への攻撃ではないかと。

 反論を試みようとした教皇派の貴族に対して、今まで国から押し付けられていた救貧院という雑務を国に押し付け返して、更に聖教会工房の権利まで奪うとはなに事かと更に喚き立てた。


 実際に法案は聖教会が救貧院に対し行っていた全ての業務を、国の官吏に変更するだけの法案の様に見える。

 あからさまな清貧派潰しの法案だと主張する南部貴族に、教皇派は法案の撤回を主張する事が難しくなった。


 それに対して王妃派の教導派貴族が一斉に非を唱えた。

 曰く清貧派聖教会こそ救貧院の業務を放棄して、教会内に聖教会工房を設置し利益を上げていたのではないか?

 教導派は長らく救貧院の業務にあたって来た。そこから解放されて何が悪い! 先に放棄したのは清貧派ではないかと。

 その結果法案に反対する者は清貧派に迎合する者だと言う空気が醸成されつつある。


 更にゴルゴンゾーラ公爵家を筆頭とする北西部貴族からも王家に対して苦言が呈せられた。

 特許法施行前だと言って認可を蹴った四品目、チョーク、黒板、リバーシ盤、アバカスは特許法認可時に聖教会の権利を守ると約束が有ったではないか。

 この法案はあまりに不公平だと。


 これに対して王妃派はその様な密約がある訳も無く、王家の温情で見逃していただけだ。それも施行から三年もたっているのだから不満を述べること自体が不遜だと蹴ってしまった。


 この法案に一番口を挟みたい教皇派大貴族は完全にこの論争の蚊帳の外に置かれてしまった。

 南部と北西部の清貧派・反王室派と、北部と東部の教導派・王室派の確執となり、中間派の貴族がどちらに付くか決めあぐねている状況が一般的な認識となった。

 そしてこの状況で硬直状態になり、法案の検討が滞るかと思われた時、新たに調停案が提案された。


 教導派枢機卿を長らく務めていた北部ポワチエ州のポワトー伯爵家から聖霊歌隊の活動と教育を職業訓練所に委託し、身銭を切って聖霊歌隊を雇い入れる事で清貧派聖教会工房と痛み分けとしようと提案が有った。


 中間派はこの提案を歓迎し雪崩を打って賛成に票を投じる事となり、若きポワトー女伯爵カウンテスの評判はいやが上にも上がった。

 そしてこの提案に南部貴族も北西部貴族も渋々と言った態で法案の施行を承諾するに至った。

 その結果教皇派の大貴族はろくに議論への参加も出来ぬままに大勢が決してしまった。


 王妃殿下に上奏された法案は、意に添わぬ決定に歯噛みする国王の認可を持って決定となり、九月から施行される運びとなった。

 そしてこの法案を仕掛けたのがジョン王子や宰相の息子たち学生だったと言う噂が貴族の間をかけめぐった。

 王妃殿下が仕掛けたと思われていたこの法案が、次期国王の第一継承権を持つ第二王子からもたらされていた事に、寵妃と国王は衝撃を憶えた。


 モン・ドール侯爵家やペスカトーレ侯爵家は、第一王子の即位の芽を摘ませない為に学生に法案を任せた事を批判し、宮廷官僚や東部系の王妃派貴族との対立が露わになり教導派貴族内での対立が表面化し始めたのだ。


【2】

 北部ポワトー伯爵領のシャピの商工会が入っていた建物前の広場は、簡易塀が建てられて、壁に沿って掘立小屋の様な仮事務所が並ぶ。

 次々に荷下ろしされた外洋船の積み荷が運び込まれて競りにかけられている。


 ここ数カ月でこの卸売り場の商品の流れが大きく変わった。

 カロライナで陸揚げされた南部や北西部からの商品が、”王国海上貨物株式組合”と名乗る荷受け会社と株式組合オーブラック物流商会によって、シャピに多量に流れ込んで来ている。


 毛織物、綿布、リネン布などの繊維類、香辛料や茶葉やコーヒー、砂糖などの嗜好品がハスラー商品と競合する為、ハスラー聖公国からの輸入品が大きく値下がりしているのだ。

 それでもハスラー聖公国のブランドを求める北部や東部の貴族も居るのでどうにか取引は成立しているがジリ貧である。


 沿岸商船が開発したモース公国を回る新規航路に中型商船団が次々と就航している。

 先週にはノース連合王国の新規航路開拓に出ていた商船団が帰ってきて珍しい商品が卸売り場に並んで大盛況となった。

 秋にはサンダーランド帝国に向かった商船団が帰って来る予定だ。

 この航路の開拓が成功すればさらにシャピの港の卸売市場は活気づくであろうが、ハスラー聖公国商人が独占的に取引が出来る状況は崩れつつある。


 そしてシャピやカロライナで取引を行う商船団や商会主もうすうす気づき始めていた。

 いつの間にかポワチエ州を動かしている商人たちがすっかり変わってしまった事に。

 ポワトー伯爵家の後押しで新規航路を開拓した商船団もどこからか潤沢な資金を得ている。


 物流を取り仕切るオーブラック物流商会は、老舗ではあるが潰れかけていたオーブラック商会が設立した商会だ。

 新設された荷受け専門の王国海上貨物も新規業者のくせに固定式起重機設置に加え複数の移動式起重機迄持っている。


 いったいこれらの潤沢な資金がどこから供与されているのか?

 ポワトー伯爵家の資金供与が有ったとしてもあまりにも高額過ぎる。

 大貴族と言うけれどさすがにポワトー伯爵家だけで賄えるほどの額とは考えられない。

 ならばいったいどこから資金が供与されているのか?

 答えはすぐに見つかった。


『株式組合』

 そこにすべての答えが有った。

 最近南部や北西部からのし上がってきている商会の多くが株式組合だ。

 この二年ほどで急激に増えた経営形態ではあるが、北部ではまだまだ浸透していない。


 それがこのポワトー伯爵領で急速に力を付けつつある商会の正体だった。

 王国海上貨物株式組合はその出資者に宰相家をはじめ宮廷魔導士長、近衛騎士団長その上あろう事か王家迄名を連ねて居る。

 各貴族家の御用商人として北部で幅を利かせていた、株式組合法をよく理解していない商会はその出資者の名前に戦慄した。


 半面それら御用商人たちの後塵を拝していた新興商人たちは、その経営手法に飛びついた。

 ポワチエ州は御用商人たちがその力を無くしており、食い込んでゆくチャンスでもある。

 情熱もアイディアも有る、資金さえあれば新しい事業に参入できるのだ。


 何処に行けば、株式組合化の情報を教えてもらえるか?

 伝手を求める若い商人たちの間で有る事務所の噂話が流れ始めた。


 その事務所の名前は『L&E 投資顧問事務所』。

 カロライナの町の中心にある小さな事務所で、いつも数人の若い事務員が忙しげに働いている。

 そこでコンサルティング料を払うと、株式組合法に沿った申請方法や出資者の募り方や出資者会議の方法をレクチャーされる。

 そして事業計画の立案や財務指標の作成などを手伝ってくれて、無理のない経営計画を提示してくれる。


 それらが完成すると、事務所のトップであるメイド服を着た獅子獣人の少女が全ての査定を行い、出資者を紹介してくれる。

 何より優良な案件ならばL&E投資顧問事務所が投資額の三分の一を出資してくれる場合も有るのだ。


 紹介される出資者も堅実で信頼のおける貴族達だ。

 東部のモンブリゾン男爵家、西部のエダム男爵家やクルクワ男爵家、北部のレ・クリュ男爵家やモルビエ子爵家やカンボゾーラ子爵家など下級貴族ではあるが羽振りの良い出資者を紹介してくれる。


 更に事業がうまく進めば、会員制のサロンを紹介してくれる。

 ポワトー伯爵家や北部のサン・ピエール侯爵家、西部のレッジャーノ伯爵家やリコッタ伯爵家などの関係者が出入りしていると言う高級サロンだ。

 その上、近衛騎士団や宮廷魔導師団に所属する下級貴族や官僚なども頻繁に出入りしている。


 北西部アヴァロン州の州都クオーネの街に本店のあるサロン・ド・ヨアンナのポワチエ州支店だと言う『L&E相場社交クラブ 北部支店』。

 会員制の社交クラブという名目だが、中に入ればそんな場所でない事は直ぐに解る。

 部屋の壁中に黒板が掲げられ、北部一帯の株式組合の名前が書き連ねられている。そしてその横に書き込まれた数字を職員が書いては消し、書いては消しを繰り返している。

 客たちは黒板の数字を凝視しつつメッセンジャーボーイに書き付けたメモを渡して黒板に走らせる。

 黒板の前のフットマンはメモを読み上げながら、両手を上げて指先で符丁の合図を送る。

 怒号が飛び交い、酒とコーヒーの臭いが香るこの喧騒の空間を全て取り仕切っているのは眠そうな目をした一人の少女、この社交クラブのオーナーだ。


 ポワチエ州カロライナの小さな事務所には今日も愛想の良い声が響く。

「リオニー&エマ投資顧問事務所にようこそいらっしゃいました! 経営顧問の派遣も承っておりますよ」

 そしてここからリオニー&エマ相場社交クラブへ向かう人の流れは途絶えない。


 この事務所の名前と秘密の社交場の噂はゆっくりと確実に北部の新興商人たちの間でも広まって行った。

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