第72話 東屋(1)
【1】
エマ姉が王妃殿下のもとから離れて席の方に戻り始めると、会場中の殆んどの参加者が群がり始めた。
皆が一斉に何やら話し始めているが、私にはもう皆が何を言っているのか聞き分ける事が出来ない。
エマ姉はまわりの貴婦人や令嬢達に顔を向けて、一人ひとり的確に答えている。よく聞き分けて答えられるものだと感心する。
この短時間で彼女たちの顔と名前は全て頭に叩き込んでいるのだろう…もちろん金貨に換算して。
「セイラ・カンボゾーラ。其方わたくしに話が有るのであろう。今の内に奥の控えの間に参ろうか?」
呆気に取られてエマ姉を見ていた私に王妃殿下より声がかかった。
その誘いにしばし逡巡したが、姿を消した後に変に勘繰られるのも嫌だ。
「それでは王妃殿下、あちらの東屋で歓談させて頂けないでしょうか」
王妃殿下が怪訝そうに眉を顰めて言う。
「あのような所では周りから丸見えでは無いのか?」
「ええ、そうですね。そしてこちらからも丸見えですから側に誰かが参られればすぐに気づきます。まあ、王妃殿下との御歓談の腰を折るような無粋なお方もいらっしゃらないとは思いますが」
「ハハハハ、其方は本当に面白いことを思いつくな。これならば痛くも無い腹を勘繰られる事も無く、ゆっくりと歓談できると言うものだ。ジョン! 其方もついて参れ。侍従! 誰も近づかぬように一応眼だけは配っておれ。メイドはわたくしの筆頭メイドのジョニファーと其方のメイドを一人、お茶の準備をして東屋に行かせたもう」
そう言うと招待客に取り巻かれているエマ姉を置いて、私と王妃殿下はジョン王子を伴なって東屋に向かう。
「母上、酔狂が過ぎませんか? なぜに俺がセイラ・カンボゾーラのお守り迄押し付けられねばならぬのだ」
「まあそう言うな。多分此奴の事、また何か大きなことを企んでおるのだろう。上手く使えば其方の次期王としての基盤は盤石になるというものぞ」
私たちが席に着くと、私の後ろにはミシェルが立ちティーカップにお茶を注ぐ。
ルイーズはエマ姉から少し離れた位置で全体を俯瞰する様に警戒しながら、東屋に近づこうとする者がいないか目を光らせていた。
あの偽マヨネーズを抱えてルイスやミゲルについて歩いていた二人が成長したものだ。二人とも今やベテランの幹部セイラカフェメイドだ。
【2】
「それで今度は何を企んでいるのだ、セイラ・カンボゾーラ」
ジョン王子が面倒臭そうに私に聞いた。
「其の方が母上に提案したい事が有るというから口を聞いてやっただけだ。俺を巻き込むな。俺にはやらねばならぬ事も多いのだぞ」
「そういう事を言いますか。先々週の西部航路組合の新船団出港にも立ち会わなかったくせに。ジャンヌさんと職業訓練所の視察には行けても西部航路組合の仕事には行けないとは。西部航路組合代表の自覚を持って頂きたいものですね」
「だから言っておるだろう。其の方より優先すべきことが多いと」
この男開き直りやがって。
「ジョン、其方は軽い気持ちでおる様だが西部航路組合は国家プロジェクトじゃ。国外にまで名を轟かせる機会だと思って励め!」
もっと言ってやれ、王妃殿下。
「そこでジョン王子殿下に更にお仕事をお願い致したく、王妃殿下にお願いに上がりました」
「良いぞ、申してみよ」
「いまゴッダードでは綿花市が立っております。このゴッダードの綿花の競り市場は年に一度一週間、この時期しか使わない。とても無駄な施設なのですよ。それにハウザー王国の物流は、最近ロックフォール侯爵領に出来たファナタウンに奪われつつあるのです。そのテコ入れでこの競り市場を他の商品にも使いたいと思いまして、王妃殿下の肝いりで御許可願えないかと思いまして罷り越しました」
「そんなもの王家の許可などと言わず、領主か市長の許可で良いではないか。別に俺を通して母上に頼み込むことなど…」
「待てジョンよ。わたくしは何となく其方の意図が見えてきたぞ。それで定期的に入荷できそうなのか?」
「不定期になる上、量もかなり変動が有るかもしれませんが、入荷が途切れる事は御座いません」
「フム、それでその市場をわたくしに仕切れと申すのだな。しかしジョンの申す通りなぜわたくしの所に持ってきた? わたくしに媚びを売るつもりもサラサラあるまいに」
「王妃殿下におすがりしたい事は、ハスラー聖公国の商人をゴッダードに常住させていただきたいという事です」
「エーイ、話が見えん! セイラ・カンボゾーラ、何の話をしている。ハッキリ言わないか!」
「そうであったな。この小娘が企んでおるのは絹の取引市場よ。ただ綿花市のように鑑札制にしたくないのであろう。一般競売にせぬことには儲けが得られんからな」
ジョン王子殿下は高々絹ごときにと呆れ顔であるが、そこは男性と女性の違いだろう。関心の薄いジョン王子がピンとこないのは仕方ない。
「しかしそれなら何故わたくしにハスラー聖公国の商人団の常住を請うのだ? 市場を立ち上げてしまえば其方が好きなように利益を上げる事が出来よう。それで済む話ではないか」
「それをやれば王妃殿下もハスラー商人も東部商人も黙っていないでしょう。国権を発動されて統制されれば後は泥仕合でしょう。折角立ち上げても絹市場は潰れてしまいます」
「そう易々と潰れるものかな?」
「ええ、潰れます。現に綿花市場は今年でつぶれてしまいますよ」
「バカな。二十年以上続いておる市場がそう易々と…」
「ゴッダードの綿花市は毎年多くのハスラー商人が集まり盛況なのですが、ここ数年活気が無くなってきております。ハウザー王国より良い綿花が入って来なくなったためなのです。」
「それは…不作が続いているという事なのか? それ以外に訳が有る…のだな」
ジョン王子は私の言葉で何か察した様だ。
「ええ、綿花の不作などおこっておりませんよ。買い叩かれる事が分っていながら安値で売るバカはいませんよ」
「どういう事なのだ。其方は何を知っているのじゃ? 綿花市は?」
さすがに王妃殿下も狼狽気味だ。
「サンペドロ辺境伯領では糸を紡いでおります」
「それがどうした…! そうか! ゴッダードの綿花市に出さずに国内で糸にしておると言うのだな!」
「はい、以前からハウザー王国産の糸は入ってきておりましたが、ここ二年ほど急激にその量が増えております。どうも紡績機を導入したようで…」
「バカな。ハウザー王国は福音派の国。そのような教義に反する機械などを…!」
「お判りになられたようですね」
「ああ、サンペドロ辺境伯は清貧派。それに呼応する北部閥も清貧派が大半を占める地域…」
「母上、ならば綿花市の鑑札を解除して、自由に競りにかけられるように戻せば良いのでは無いですか?」
「いや、もう遅い。回り出した紡績機を止める事は出来ぬ。その上綿糸の流通網は出来上がっておる。多分その相場を握っておるのはロックフォール侯爵家であろうよ。ゴッダードの綿花市は今年限りであろう」
「ですから、そこにアヴァロン商事が握っている絹を持って来るのです。今回は同じ轍は踏まない様にして自由市場を立てたいのです」
「其方の企みはよく理解した。抜き差しならぬ状況じゃ。ハスラー聖公国も座視する訳には行かぬから、わたくしが其方の条件はすべて飲んでやろう。その上で問いたい。なぜわたくしに話を…いやハスラー聖公国に話を持って来た。其方は教導派にもその尖兵たるハスラー聖公国に恨みはあるだろうに」
「はい、それはもうしっかりと」
「セイラ・カンボゾーラ! 少しは言葉を選べ! その様な態度だと俺も庇いきれんぞ」
「今は良い! 其方の想いを聞かせよ」
さすがは王妃殿下だ。他国から嫁入りし、国王と反目しつつラスカル王国に派閥を築き上げた女傑だけあって腹が座っている。
「教皇に、ハッスル神聖国の大聖堂に与したくないからで御座います」
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