第53話 サッシュ

【1】

 新学期の初日エヴァン王子殿下は右肩から斜めに緋色のサッシュを掛けて登校してきた。

 お付きの三人の騎士と校舎に向かうエヴァン王子殿下の周りにはいつもより取り巻きの女子生徒が多い。

 日頃は遠巻きにしている教皇派閥の貴族女子たちも寄ってきて話しかけて来ている。


 鮮やかな赤い色もさる事ながら、遠目に見ても光沢が際立って見える。そしてそれが目を引き女性貴族たちが誘蛾灯の様に引き寄せられている。


 そしてこちらも同じ状況で女子生徒を引き連れたエヴェレット王女殿下が校舎に向かっていた。

 王女殿下はエマ姉や私に言っていたように腰に巻いて、その上から革の細い剣帯を巻いている。


「ダマスク織りはリネン糸や綿糸を織り合わせているものだと思いましたが何故こんなにも光沢が?」

 集まって来た清貧派の伯爵令嬢たちが王女殿下に質問してくる。


「このサテンはハウザー王国に輸入された絹と言う、新しい種類の糸で織られているのですよ。もともと光沢のあるサテン生地をより光沢の有る物にしているのですよ」

 私が代わって答える。もちろん服飾や装飾に関心が無い王女殿下が答えられるはずがなにのだから。


「ほら、ご覧くださいな、このダマスク織り緞子のち密さを。文様に使われたこの動物は遠くの国の神獣だそうなのですよ。それにこの光沢だけで無く、黄色い色目の鮮やかな事もご覧下さい」

 エマ姉のサービストークが冴える。


「触ってみてくださいなこのハンカチを。同じ絹の糸で織られたんのですが手触りも羽のような軽さも」

「まあ、本当だわ! 凄く肌触りが良いわ。でもお高いんでしょう?」

「ええ、まあお高いですわよ。そのハンカチでも金貨二枚分の値打ちが有りますわ。でもそれだけの価値はありますわよ」


 ハンカチに金貨二枚はあまりにボッタクリ過ぎだろう。…でもこの人は教導派の貴族にはその価格で売り付けるんだろうなあ…。


「でも、ここからは秘密のお話。皆様にはお友達価格で金貨一枚で構いませんわ。でもね、他の御令嬢には金貨二枚で買ったとご自慢話をお願い致したいの。そうして頂ければおまけにもう一枚お付けいたしますわ」

「ええ、もちろんですわ! 喜んでご協力致しますとも」


 エマの後ろに控えていたリオニーが持っていた鞄の中からハンカチの入った木箱を取り出して金貨と交換して行く。

 エマ姉は集まっていた南部のクラスも学年も違う伯爵令嬢五人に金貨一枚で絹のハンカチを売った。

 昼にはきっとあの五人がおまけのハンカチを貰いに来ることは間違いないだろう。


 教室に入ると先に登校していたジャンヌをいつものジョン殿下たちとエヴァン殿下たちが取り囲んで歓談している。

 …と言うかジャンヌに媚びを売っているように見える。

 エマ姉のハンカチ売りに付き合ったので私たちの登校は一番最後になったようだ。


 私たちが教室に入って来ると誰よりも一番先にメアリー・エポワスがやって来た。

「ねえ、セイラ・カンボゾーラ! さっき聞いたのだけれども王女殿下と同じ糸で編んだハンカチを売っているそうね。そう言うのは殿下の一番の側近である私に初めに話を持って来るのが筋と言うものでは無くて? 分かっていらっしゃるの?」

 誰がいつからエヴェレット王女の側近になったんだ?


「エポワス伯爵令嬢様、それは思い違いで御座いますわ。エポワス伯爵令嬢様に他の爵位貴族と同じ無地のハンカチなどご提供すること自体が無礼では御座いませんか」

 すかさず口を挟むエマ姉に、メアリーは合点がいったように頷いた。


「まあ、そう言えばそうね。でもそれならばほかに何かあるのかしら?」

「当然でございますわ。エヴァレット王女殿下の側近の証は無地のハンカチでは表せませんでしょう。王女殿下のサッシュと同じ生地で作ったハンカチをご用意致したのですよ」

「まあ、それは素敵ね。お出しなさい、あなたの事だから今持って来ているのでしょう」


「当然でございますよ。これは一枚だけで御座いますよ」

 そう言うとどこからともなく、銀の金具で飾られた木箱を開き黄色い緞子のハンカチを渡す。

「おいくらなの。足りなければ後で私のメイドに言いつけなさい」


「材料費や手間賃込みで金貨五枚あれば私どもは利益が出ます。ええこれだけの生地ですから転売するなら金貨十枚出す方もおられるでしょうけれども、そんなアコギな商売は致したく御座いませんから」

「そうね、あなたのお店は良心的だしね」

 オーイ! 騙されてるぞ~。王女殿下のサッシュを作った時の端切れに金貨五枚を付けた時点で十分アコギな商売なんだぞー。


 分厚い緞子の端切れでハンカチなんて、いくら高価な生地でも適材適所ってもんが有るだろう。

 そもそも絹で汗を拭くなんて前世の(俺)的には贅沢過ぎて考えられない。貧乏性の私には緞子のハンカチなんて馬鹿だとしか思えないが、本人が満足しているから口を噤んでおこう。


 そんな遣り取りをしばらく横目で見ていたクラウディア・ショーム伯爵令嬢とユリシア・マンスール伯爵令嬢が席を立ってエヴァン王子殿下の方に向かう。

 私やエマ姉よりジャンヌの方がマシだと思ったのだろう。


「エヴァン王子殿下、そのサッシュはどこで作られた物なのでしょう?」「ウーム、余も多くを知っているわけでは無いのだが最近新しく開拓した交易先の商人が持ち込んだようだな。余と妹のサッシュはその商人の献上品を使って作られたと聞いているよ」

 クラウディアの問いかけに彼女たちをよく知らないエヴァン王子は親切に答える。


「ダマスク織りは見事ですし、なにより変わった文様ですが鳥でしょうか?」

「ああ、この緞子はダマスク織りというのかい。この文様は朱雀だね。所謂不死鳥フェニックスだよ。はるか遠くの国では火を司る聖なる鳥なのだよ」

 この王子何気によく知っているじゃあないか。

 何をどれだけ知っているかは知らないが、これ以上は余計な事はしゃべられたくない。


「兄上は幼いころから博識なのだ。僕はこのサッシュの織り方も絹糸の事も知らなかったけれど昨日兄上に教えてもらったよ」

 自慢げに話すエヴェレット王女の言葉を聞いて私は慌ててエヴァン王子の話しに割って入った。


「クラウディア・ショーム伯爵令嬢様、ユリシア・マンスール伯爵令嬢様。一体何を企んでいらっしゃるのです。ペスカトーレ教皇猊下の側近の伯爵家の方々がハウザー王国の王子殿下に御用事だなんて。卒業後はペスカトーレ侯爵けに入られると言うのに」

「貴女には関係ない事ですわ、人聞きの悪い。余計な口を挟まないで下さるかしら」

「そうですわ。知識には真摯な態度で…」

 少し離れて側にいたジャンヌがその言葉尻を聞きとがめたのだろう、何か言おうと立ち上がった。


 私はジャンヌを背に庇い、二人に言い返す。

「こうおっしゃりたいのでしょう、平民でも獣人属でもと! でもねそう言って区別をつけている時点であなた達は教導派の権化なのですよ」

「貴女こそ殿下を平民と並べて論じようと仰るの。それこそ不敬でしょう」

「エヴァン王子殿下と平民であるジャンヌさんとの間に何の違いが有ると言うのかしら? 男性と女性? 人属と獣人属? 王族と平民? 私には違いなど感じない、同じ一個の人間としか思えない。あなた達も、もちろんジョン王子殿下も」


「アハハハハ、セイラ・カンボゾーラ。いつも不遜な其方らしい言い分だな。だが今日は其方の言い分に俺も賛同してやる。少なくともジャンヌと俺の間には一個の人間として以外の違い以外に何もないな」

 ジョン王子の助け船の様な一言で、二人は私を睨むとフンと鼻を鳴らして戻って行った。


「エヴァン王子、不快な思いをされたかもしれんが俺の顔に免じて許して欲しい」

「いや、余はこれしきの事気にしてはいない。それよりも聖女ジャンヌ殿はクラスのご友人にも恵まれているのだな」

 エヴァン王子はジャンヌの方を向いて慈愛に満ちた微笑みを送った。


「エヴァン王子殿下、それはジャンヌの人徳と言う物ですよ」

 イアンがいつもの様にジャンヌを褒め称えだして男子たちのジャンヌの褒め合いに発展して行く。

 いたたまれなくなったジャンヌは私たちの方に逃げてきた。


「この絹織物は緞子というんですね。知りませんでした」

 ジャンヌがエヴェレット王女のサッシュを見ながら言う。

 私(俺)だって生前妻が大事にしていた晴れ着の帯が正絹の緞子だったから知っているだけで、そんな事でも無ければ生地の良し悪しなんて知る由も無い。


「これが緞子と言うのですね。母が大切にしておりました」

 ジャンヌが愛おしそうにエヴェレット王女のサッシュを撫でて、無礼な事に気付きハッとして手を引っ込めた。


「そうか。聖女様のご母堂は早くに亡くなられたそうだが、御遺品に似た物が有るのだな」

「いえ、もうずっと昔に無くなってしまった物ですから、記憶も定かではありませんが」

 ジャンヌはそう言って悲しそうに目を伏せた。

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