第114話 中央街道

【1】

 中央街道から少し外れた村が私たちが決めた工場の予定地だ。村の外れに大きな空き地がありすぐ横には河も流れている。

 問題は中央街道からその村に至る道である。街道から村に至る道筋が曲がりくねっており距離も遠いのだ。


 その道筋であるが、四つの領が入り組んでおりその村は他領にかからない様に道を作った結果がこれである。

 私たちはサンペドロ辺境伯の後ろ盾を貰って関係する四つの領に協力の約束を貰った。

 中央街道から最短距離で街道を整備するのである。

 これで歩いて半日かかる距離を一時間程度まで短縮できる上、大型の馬車がすれ違えるだけの道幅を確保する事にした。


 各領地に土地を提供して貰う代わりに工事費用はライトスミス商会とアヴァロン商事が合同で持つことになった。

 作業員は周辺の村から日当を払って雇ってきた。

 重機を使う訳では無いので人海戦術だ。日当も良く食事も出るのでかなりの人数が集まって順調に進んでいる。


 工事に参加する為周辺の村からやってくる作業員が踏み固めたけもの道も村々で整備されて曲がりなりにも道らしいものが出来ている。

 この道が出来ると今度はこの道を通って工場設置の機材が送られる。

 道路工事の作業員はそのまま工場建設に回る事に成る。この工事はライトスミス商会メリージャ支店が全力で取り掛かっている。


 そして父ちゃんはその工場に据える最新型の紡績機を急ピッチで作らせている。キャリッジを備えたミュール紡績機である。

 グレッグ兄さん達が夜を徹して作り上げた製品である。

 そして川の端に工場を立てる目的は綿花の洗浄だけではない。

 ゆくゆくはそこに水車を設けて水力紡績機として稼働させる目的がある。

 グレッグ兄さん達は今その仕掛けの設計に取り組んでいるのだ。


 もうすでに羊毛用に開発した梳綿機-繊維を梳いて方向を合わせる薄くならす装置-を中央街道筋に作った倉庫に運び込んでいる。こちらで改良を行う予定で職人たちもやってきている。

 今回はライトスミス木工場の技術力を総がかりで展開する一大プロジェクトなのだ。それというのも早々に特許権の登録をサンペドロ辺境伯が強行したからである。

 おかげでこの地でうちの技術を余すことなく行使できるようになった。出遅れたゴルゴンゾーラ卿が悔しがることしきりである。

 ゴルゴンゾーラ卿の目論見はアヴァロン州で紡績機の特許を登録させて主導権を握る目論見だったのだ。


 その代わりラスカル王国での特許権の展開は早かった。先を越されてゴルゴンゾーラ卿がアヴァロン州で施行したのを皮切りに紡績業を展開している西部諸州がいち早く追従した。

 南部諸州はライトスミス木工場のお膝元である。特許権を取られたと思ったようでそれに続いて参加を表明し西部諸州より早く施行された。

 取り残されそうになったアヴァロン周辺の北西部諸州もそれに倣った。

 ラスカル王国の半数以上の州で知的財産権を認める法律が施行されることになったのである。


 そしてブリー州の西側ゴッダードからほど近い、ゴーダー子爵領とロックフォール侯爵領の境界を流れる河の畔の寒村に多くの人が入ってきている。

 ロックフォール侯爵領のその村の広い牧草地を公爵家が買い取り巨大な倉庫が出来上がりつつある。

 この川はラスカル王国の北西部の山脈を源にして西部から南部レスター州を経てブリー州を抜けサンペドロ州のあの村に流れて行く河なのだ。


 私たちの計画では当面、陸路で国境を抜けた綿糸はゴッダードを経ずに直接この倉庫に運び入れられる。

 そこから南部・西部・北西部の州に河を使って運ばれる。

 ゆくゆくは直接サンペドロ州から水運で運べるようになればいう事は無い。国境からもほど近いこの村の倉庫も水路で運ばれる荷物の税関の役割を担うように考えている。


 ブリー州はハウザー王国との通商の要である。今までハウザー王国を突っ切る中央街道はメリージャを経由して国境へ、そしてそこからゴッダードを経由して東国街道へと抜けて東部諸州を通りハスラー聖公国に、そして一部は北部諸州を通り王都からハッスル神聖国へと抜ける街道である。

 そしてこれからは新しい街道が通るのだ。

 ゴッダードから西へ向かい河筋に沿って南部西部を経由して北西部のクオーネに達する新しい河の道が動き出す予定だ。


【2】

 そのクオーネの街では新しい動きが始まった。

 聖教会の近くに小さな事務所が開かれて見慣れない看板があげられた。

 扉を開くといきなりカチャカチャキュッキュウと言う耳障りな音があふれ出てくる。アバカスを弾く音とチョークの音だ。

 三人の鳥獣人が指示を出しながら、十人余りの男女がアバカスを弾きながら黒板に数字を書き込んでいる。

 表の看板には『ニワンゴ対数研究所』と記されている。


 そしてその事務所の反対側の表通りには広いホールを備えたセイラカフェがオープンしていた。

 ホール側には新しいデザインの家具や小物などの木工品に加えてアバカスやリバーシ、小型黒板などがデイスプレイされている。

 しかし客の眼を一番に引いているのはライトスミス木工場が始めて作った織機の1/2サイズの模型が展示されている。

 もちろん宰相殿のお墨付きの有る製品だ。実物では無く模型なのはハスラー聖公国からの購入品では無くライトスミス木工場の技術で作れる事をアピールする為である。


 そしてそのホールは定期的に聖教会からやって来る鳥獣人の聖導女が行うアバカス教室が開かれている。

 ゴッダードやパルメザンのアバカス教室とは違い、一般人や下町の若者たちが多くやって来る。特に獣人属が多くやってきている。

 それにここでは四則算や九九の説明から始まり、新型アバカスの使い方から比例や累乗・平方根・関数迄幅広く教えている。

 中学程度の数学迄しっかりと教えているのだ。

 そしてそこそこの実力を持った者には『ニワンゴ対数研究所』からアルバイトの声が掛かる。

 そのアルバイト要員が今事務所でアバカスを弾いている者たちなのだ。


 そのホールで今日は違う集まりが開かれていた。

 ホールに集うのは職人たち。

 それも建築や木工機械などの制作工房、中には外洋の航海士や船便の貿易商らしき者も交じっていた。


 今日の司会進行は父ちゃんだ。

 職人たちの前に颯爽と現れると話し始めた。

「みんな聞いてくれ。いまライトスミス商会は新型のアバカスを販売しているがこれで計算速度は大分上がっていると思う。しかしそんなもんじゃ無い新型の計算機の開発を計画している。その開発に対する投資をお願いしたいんだ」

 会場がざわつく。ほぼすべての参加者が懐疑的な反応を示している。

「昔あった歯車式の計算機か?」

「新型アバカスの改良版だろうぜ」

「歯車式は壊れやすいし高すぎる。精度も問題だろう…」

 会場のざわつきが収まるまで待って父ちゃんは黒板の前に大きな白い板を持ってこさせた。

「こいつはサンプルだ。新しい数学の理論が発見された。詳しい事は後だ。その理論に基づいて作った物がこの計算機だ」


 1メートルサイズの対数目盛りが刻まれた計算尺が黒板にぶら下げられる。

「まだ、雑な目盛ではあるがこうやって使うと、ほら掛け算が出来る。もちろん逆に動かせば割り算になる」

 オオという感嘆の声が会場から上がるが盛り上がりには欠ける。

「目盛の精度を上げるために今計算の最中だが膨大な計算量が必要なんだ。それの投資をお願いした。完成すれば四桁五桁の計算でも瞬時にできる。これは革命だ」

 会場からは懐疑的な声と賛同の声が半々で上がる。


「その計算を終えるのにどれ程時間がかかるんだ?」

「その理論自体の検証がなされているのか。間違っていないのか?」

「いや、この理屈は納得できる」

「計算できる人間が確保できれば直ぐにでも進むんじゃねえか?」

 頃合いを見て父ちゃんが爆弾を放り込む。


「みんな見てくれ」

 そおう言うと中尺を引き抜いて裏返すと、精密な三角関数目盛りが刻印されている。

「さあこの操作で、どうだ一瞬で角度計算が完了する。それもこの精度でだ!」

 どよめきは一瞬で驚嘆と称賛の歓声に替わる。

「聞いてくれ三角関数と同じ様な対数表を同じ精度の物を作る為に投資をお願いしたい。これ一本で掛け算割り算はおろか三角関数も勿論累乗もべき乗も計算できる」

「乗った! 投資するから出来上がれば一番に三本融通しろ!」

「俺もだ! 五本は確実に納めろ!」

 次々に投資の声が上がる。

「まあ落ち着いて後で契約をお願いするが、その前にこの理論を発見し今計算を進めている方を紹介したい。簡単に理論の説明もしてもらうから聞いてくれ。ニワンゴ聖導女様だ」

 歓声の中顔を真っ赤にしてニワンゴ聖導女が演壇に上がってくる。

 この分なら計算尺の完成は数年で目途が尽きそうだ。

 ハウザー王国からクオーネの街に向かう河の道は新しい街道となって物や人そして学問も相互に流れてゆく道になろうとしている。


 そしてその起点ハウザー王国サンペドロ州にこの先ゴルゴンゾーラ卿とサンペドロ辺境伯の仕掛けた爆弾がそろそろ火が点こうとしている。

 秋を過ぎるころにはゆっくりと燃え始める事だろう。

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