第70話 紡績機

【1】

 パルミジャーノにはダンカンさんとグレッグ兄さんが行く事に成った。

 レッジャーノ伯爵領には型式の違う織機が二台あるそうで、今回故障したものとは違うもう一台も含め織機の図面を起こす許可を貰った。

 その為、もう一人図面を描けるウェーバーさんを追加で派遣する事にした。


 ウェーバーさんの出張費用は商会持ちでと考えていると、その宿泊費も伯爵が負担してくれる旨申し出があった。

 その礼として図面の写しを一部伯爵に譲る事としたが、さすがに分解するわけにはゆかないので外部からでもわかる範囲で図面化するようにお願いしておいた。


 七日後、出張した三人が伯爵と伯爵の次男のリカルド氏を伴って帰ってきた。

 荷馬車には例の故障した織機と三基の糸紡ぎも乗せている。

 話を聞くと結局もう一基の織機も摩耗が激しく、分解して部品の一部を修理して組み立て直したそうだ。

 もちろんキッチリと図面に起こした事は言うまでもない。


 ここで父ちゃんと三人の出張者を交えて会議である。

 今パルミジャーノに有る一台は、図面が有り分解修理して組み立てた上に異状なく稼働している。


「なあ父ちゃん。この図面道理に部品を作って組み立てればもう一台同じものが作れないのか?」

「技術的には問題なく出来ると思うが…。ダンカン、グレッグ、お前たち現物を見てどうだった」

「ああ、部品の修理もやったが特に問題もねえ。これと言って難しい部品も無かったしな」

「親方、多分ウチの工房ならもっと丈夫で良い部品が作れる。使い勝手も良く出来る改良が可能だと思うんだ」


「それじゃあ、ライトスイス商会としては伯爵に仮契約とは別の案を提案したいと思う。故障品の修理では無くて新品への更新だよ。」

「お嬢、だがそいつは修理よりも値が張るぜ」

「だから交渉だよ。まず中古品はうちが下取りとして買い取る。その差額分が値引き後の売値さ。買取価格は父ちゃんとダンカンさんで決めてくれ」


「お嬢、故障品を買っても役に立たねえだろう」

「バカ野郎。グレッグ、よく考えてみな。型式が違うんだ。分解して図面に起こして修理すれば売れる。うちは二種類の図面で製品が作れるし、色々と改造も出来る。値段にもよるが損な買い物じゃねえ」


「父ちゃんの言う通りだよ。それに伯爵にもメリットはあるさ。同じ織機だと使い方も同じで部品の交換も可能だから消耗品の在庫を沢山持たなくても良い。消耗部品の交換やメンテナンスは村の人に指導して覚えて貰えば一人で二台とも管理できる。何より新品の方が長持ちするだろう」

「よし、それで伯爵との契約を進めよう。従来の修理になってもうちに損はねえ」


 翌日の伯爵家との本契約では話は順調に進み、新品二台の購入が決定した。商会としても予想以上の成果で、糸紡ぎの修理はサービスで行う事としたところリカルド氏がいたく感激してくれてこれからの生地の委託販売も全てライトスミス商会に任せると仰ってくれた。


【2】

 伯爵が手に入れた織機は細かな彫刻が施され、飾り支柱や飾り板がふんだんに使われた足踏み式の織機だった。

 ライトスミス木工所の既製品部門で、余分な細工や飾りを取り除いて組み立てたものは、伯爵が購入した廃棄品よりも安い値段で納品する事が出来た。


 重量も軽量化され、基幹部分は反対に強化された。グレッグ兄さんのアイディアでシャトルやビームも改良されて使い勝手も良くなった。

 伯爵領にある古い織機もシャトルとビームが交換されて可動性が良くなったと伯爵から手紙が届いた。

 これからは周辺の領地にも織機が売れるのでは無いだろうか。

 リネン布はうちで販路を作る目途もたっている。物さえあれば売れるのだ。

 そこで伯爵に織機の増産の話を持ち掛けてみると、意外な返事が帰ってきた。


 これ以上増産出来るほど糸が確保できない、織る糸が無いと言うのである。亜麻の産地でありながらである。

 始めに思い付いたのは繰り糸の不足である。イギリスで効率的な織機を作ったがそのせいで糸が足りなくなり結局儲からなかったジョン・ケイの逸話を思い出したのだ。

 しかし織機が導入されたとはいえ、たったの三機である。繰り糸がボトルネックに成るとも思えない。

 リネン布の納品に来たリカルド氏から話を聞くと意外な事がわかってきた。

 西部の麻糸はほぼ一方的に東部商人に買い占められているのだ。その背後にはラスカル王国の王侯貴族たちの権力を背景にしたハスラー商人どもが居るようだ。


 西部で生産された繰り糸は国王権限で鑑札を持つ東部商人しか購入できない仕組みが作られており、亜麻の栽培に税の軽減措置が受けられる代わりにその対象となる畑の麻糸は全てその対象に成るのだ。


 伯爵領で織られたリネン生地は減税対象から外れた畑の物で、その他の麻は全て東部に流れて行く。リカルド氏によると税金を払ってもうちを通してリネン布を売る方がずっと利益は上がるらしいのだが、それをすると王宮に目をつけられ教導派の聖教会からも圧力が掛かるので難しいそうだ。

 栽培で畑は荒れる上、糸繰りで手間を取られその上糸は買い叩かれて何一つ良い事はないと愚痴っている。


 それならばジェニー紡績機だ!

 一人で十人分の糸繰りが出来る機械が有れば伯爵家で買う気はあるか?

 糸繰りにかかる時間が減らせればメリットは有るだろう、場合によっては伯爵邸で一括して糸繰りができる工場を作って他領の請け負いは出来ないだろうか。

 リカルド氏は懐疑的な笑みを浮かべつつもそんな機械が有れば買うだろうと請け負ってくれた。

 さあ帰ってグレッグ兄さんに新開発の研究依頼だ。


【3】

 セイラがグレッグの所に糸紡ぎの図面を持ってきた。

 図面を見ながらオスカーとグレッグは思案した。

 どうもこの間修繕した糸繰りから思い付いたらしい覚え書きのようなのだが、ツムが縦に八個も並んでいる。

 糸車一つで八個のツムを回すのだが、造りは単純でこれならできそうに思える。ただ八個のツムから一気に撚り糸を紡ぎだす事が上手く出来るのだろうか?


 木製では強度の限界もあるうえ、糸車がスムースに回せるのかベルトがすぐに切れないか色々と検討する事は多い。

 実のところセイラもあまり自信が無いようで、少しずつツムを増やして実験しながら改良するようにした。


 どうにか八個二列で十六個のツムを回せる紡績機を作る事が出来た。

 試作品は成功だ。動作確認も出来てこの構造で一人で十六本の糸繰が出来る事に成功したが画期的だが完成ではない。

 でかい上に強度が足りない。すべて木製の部品ではすぐに壊れてしまう。これじゃあ売り物に成らない。


 それでもセイラはレッジャーノ伯爵に連絡を取り、代理で訪れたリカルド氏の前でデモンストレーションを行った。

 作動状況を見て興奮するリカルド氏に対して、この装置では強度的に使い物にならない事を説明し、更に強度を上げて耐用年数を伸ばす事が出来れば購入してもらえるかどうか確約を迫った。

 購入されないならこれ以上の投資は無駄になる、しかし購入してもらえるならば部品の改造に投資して完成品を納入する事を確約すると。


 オスカーとしても補強に対しては目途は有る。

 主要駆動部分を金属に変える事で強度は保証できると踏んでいた。

 伯爵家との取引で不誠実な態度や曖昧な条件を提示すれば問題が出た時にこちらが不利になる。もし対応を間違えるとライトスミス木工所の規模でも吹き飛んでしまう。

 伯爵と幾度かの書簡の往来を行った末に、納期に間に合わない場合は違約金を払う旨明記して本契約を結ぶこととなった。


 オスカーは金属部品部分の製作に鍛冶屋のヴァークラーの親父を引っ張り込んだ。ウィキンズの父親であるヴァークラー工房なら信用できる。

 これまでも家具やアバカスの金属加工品部分の製作を委託していたが、今後紡績機の生産が増えればヴァークラー工房自体をライトスミス工房の家具部門としての専属契約を視野に入れての依頼である。


 そして完成した紡績機はとても大きな機械であった。

 一号機は分解されて二台の馬車に積まれパルミジャーノ領に向かった。そして伯爵邸の外れに新築された大きな作業場に設置された。

 完成した紡績機は伯爵家全員の目の前で作動テストが行われた。大きな音を立てて回る糸車に併せて十六基のツムが一斉に糸撚りを始める。


 作業場にいる全員から歓声が上がった。

「この機械で一人で十六人分の糸がよれるぞ!」

 リカルド氏の興奮した声が響いた。

「四機あれば領内のすべての村の糸巻きが此処で全てこなせるな」

 伯爵も興奮気味に言う。


「伯爵様、そんなに必要ありませんよ。二つで十分です」

 セイラの言葉にリカルド氏が驚いて問い直す。

「四機必要だ」

「二つで十分ですって。分かって下さいよー」

 こいつ何を言っているんだ? オスカーも困惑してセイラを見る。


「村の糸紬は仕事の片手間に糸巻きを回すもの。一日それにかかりきっているわけじゃあありません。でもこの機械は、人を雇って一日中回し続けられます。だから二つで十分だと思います」

「なるほど、村の家々に置くのとはわけが違うという事か」


「それよりも村の副収入を奪う事に成りませんか?」

「それはあまり心配せんでも良い。強欲な東部商人どもは撚糸でも買い叩いてくる。農家も繊維のままで売っていらぬ手間をかけたくないというのが本音じゃよ」

「それでしたら。もし可能であれば、紡績機を増やして安価で他領の糸巻きも請け負う事にすれば如何でしょうか」

「フム、そうじゃのう。それは考えてもよかろう。まずはもう一機発注するので製作を進めてくれ。領内の糸巻きが賄えるようになれば、他領に声をかけてみよう。そうなれば更に発注する事に成るが今は資金が無い。今年の収益を基に順次紡績機を増やしてゆくのでそのつもりで頼む」


 オスカーは今後は紡績機の生産がライトスミス工房の主力に代わって行くようになるのだろうかとぼんやりと考えていた。

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