第163話 荷馬車旅

【1】

 翌日の朝にはジャンヌとカロリーヌはオズマと共にオーブラック州行きの馬車の中に居た。

 オーブラック商会の王都支店から本店に向かう荷馬車隊と一緒に本店に向かうのだ。

 二台の馬車に分かれてオズマとジャンヌとカロリーヌ、そしてアドルフィーネとナデテとミシェルとルイーズ。

 おまけに馬車の護衛でジャック達三人組も騎馬で並走している。

 大所帯の移動となった。


 旅慣れているジャンヌはともかく、オズマもカロリーヌも隊商の荷駄との移動は初めての様で物珍し気に見ている。

 カロリーヌもオズマも荷駄の御者や作業員の荒々しい怒鳴り声や言葉遣いに初めは怯えていたようだが、ジャンヌが気安く話す様子や言葉遣いのわりに気の良い馬子たちにいつの間にか馬子歌を教えてもらう程には気を許すようになっていた。


「やはり知り合ってしまうとあの方たちが仕事を失ってしまうのは忍びないですね。これは本気でオズマさんのお父上を説得しなければいけませんね」

 カロリーヌがオズマにそう話しかける。

 オズマは泣きそうになりながら頷くとカロリーヌの手を握り締める。

「有難うございます女伯爵カウンテス様。ジャンヌ様も有難うございます。私は貴族の方々にこれほど暖かく接していただいた事は今までありませんでした。王立学校に来てよかった、このクラスになれて良かったと思っています」


 馬車の外では孫たちの陽気な歌が聞こえる。

 それに交じってとても澄んだ歌声が響いてきた。

「あれはジャックさんですか?」

「ジャック…さん?」

「ええそうですね。あの歌声はジャックさんですね」

 ジャンヌが微笑んでそう答えた。

 外の馬子たちの歌声が途絶えジャックの声だけが響く。馬子たちも聞き惚れている様だ。


 歌い終わると馬子たちから歓声が上がる。

「なんだよう、おめえら勝手に歌うのをやめやがって。カッコ悪いじゃねえか!」

 ジャックの怒鳴り声に混じって馬子たちの声が聞こえた。

「兄ちゃん、見かけに似合わず良い声しているじゃねえか」

「ああ、本当に似合わねえなあ。そっちの修道士の兄ちゃんだったら女が放っておかなかったぜ」

「良いんだよ、あいつは! 黙ってても女が寄ってきやがるから」

「その点兄ちゃんなら、声につられて集まった女も逃げちまいそうだな」

「てめえら、喧嘩売ってんのなら買うぞ! これでも三級冒険者なんだからな」

「オオこええ。三級冒険者様を怒らせちまったか? こりゃあ女も逃げちまいそうだ」


「あれはカロリーヌ様の護衛の方ですよね。貴族の護衛と言うと威張り散らした騎士の方ばかりと思っておりましたが清貧派の護衛の方は違いますね」

 オズマの言葉にカロリーヌは戸惑った笑顔を向ける。

「あの方たちはジャンヌ様の護衛をしていらした方たちで、そのお計らいで弟のレオンの護衛兼教育係をしていただいているのです。今日は無理をお願いして私たちの護衛に就いて頂きました」


「まあ、ジャンヌ様の! それで弟君の教育係もされているのですか?」

 オズマが不思議そうにジャンヌに訊ねる。

「あのお三人は会計処理や法学にも強いのですよ。それに音楽はもうお判りでしょうけれど、ジャックさんはリュートやカノンも演奏されるのですよ」

 オズマが驚いて目を瞠る。


「もしやあの護衛の方々も聖教会教室で学ばれたのですか」

「正確には違いますね。聖教会教室が出来る前にゴッダードのセイラ・ライトスミス様がお始めになった子供教室で学ばれ、年下の子たちに指導していらしたのですよ。三年のウィキンズ・ヴァクーラ様とは同期のお友達でいらっしゃいます」

「それは御三人とも…」

「ええ、お三人ともとても優秀な方々ですよ。私の護衛に就いて頂いたばかりに王立学校に行けなかっただけで、実力ではウィキンズ様にも負けませんよ」

 何故かジャンヌが鼻高々で言い切った。


「やはり聖教会教室は必要ですね。いえ、初めは商人のセイラ・ライトスミス様が私費で始めた事…それなら私にも…」

 オズマに何かスイッチが入ったみたいでで、真剣に考え始めていた。

「そうですよね。エド様が仰っていた通り聖教会でなくても良いんですから、我が領内でも今以上の仕組みが出来るはずですよね…」

 カロリーヌもジャンヌの言葉に何か考え始めたようだ。

 そこから後は三人で未洗礼者の教育についての到着まで議論を戦わせていた。


【2】

 オーブラック商会の本店に着いたのは日が暮れかかり周りが薄暗くなり始めた頃だった。

 とは言うものの夏至の頃である。時を知らせる鐘は午後の五の鐘が鳴り始める頃である。

 先ぶれの早馬が駆けていたので、本店での迎えの準備は整っていた。

 聖教会認定の現役の聖女と現役の伯爵が来るのである。

 表には商会員や使用人が整列して出迎えてくれている。


「お出迎え有難う御座います。この様なお迎え痛み入ります」

 ジャンヌは縮こまって頭を下げる。

「そうですわ。肩書だけの若輩者で御座います。王立学校の一生徒に過ぎた出迎えですわ。オズマさんのただのクラスメイトですから」

 カロリーヌも鷹揚に答えて会釈を返した。


「その様な事は御座いません。現役の伯爵様と聖女様でいらっしゃられるのですから。さあ、夕餉の準備も致しております。是非中でお寛ぎを」

 その言葉にジャンヌとカロリーヌは困ったように微笑んだ。

 その笑顔を察したアドルフィーネがランドック商会長の前に進み出て小声で話す。


「夕餉のお支度は有り難いのですが、長旅でお二人ともお疲れになっておられます。出来れば早々に湯あみと寝床のご準備をしていた抱ければ幸いです。お食事も簡単な物を部屋にお持ちして頂きたく存じます。ミシェル、ルイーズ。二人は聖女様と女伯爵カウンテス様に付いてお手伝いをお願いします」

「「はいメイド長」」

「これは気付きませんで失礼いたしました。早速に各御部屋に湯あみの準備と軽食をお持ち致しましょう」


 商会長の意を受けて邸内のメイド達が湯の準備にかかり、ジャンヌとカロリーヌは設えた部屋に引き上げて行った。

 オズマはアドルフィーネとナデテを連れて一階の店舗でランドック商会長と向かい合っていた。


「突然のお願いをお聞き願えて有難うございました、ランドック商会長」

「いえ、朝早くから馬車に乗り詰めの移動でしたのに気づかづに、こちらこそ失礼いたしました」

「それから商会長様、大きめの会議室をお借り出来ないでしょうか。大テーブルとイスと紙とペンとインクの用意をお願い致します。そして帳簿や財務関係の資料を全てその部屋ん運び込んでくださいませんでしょうか。これから私どもで財務状態の調査を行います」


 挨拶の間も惜しんで仕事の話を進めたアドルフィーネにランドック商会長は狼狽気味に答えた。

「え? 私どもとは?」

「私とそちらのメイド、そして護衛の三人です。一旦落ち着けば先程の二人のメイドも参加させます」

「早馬での連絡は承っておりますが…今すぐに?」

「私たちメイドは馬車で休ませていただきました。商会立て直しの財務調査は一刻でも早い方が良いので今すぐにかかります」


 アドルフィーネの言葉に戸惑っているランドック商会長に向かってオズマが紙束を押し付けた。

「お父様。これをお読みになって下さい。昨日アドルフィーネさんが纏めて下さった王都支店の財務指標の資料です。それから番頭さんに言って商会員を集めて下さい。今夜は徹夜になるかも知れません。夕餉のお料理はすべて夜食にして直ぐに仕事にかかりましょう」

 ランドック商会主に押し付けられた書類は昨日アドルフィーネが作った財務資料を王都支店の商会員が書き写した三部の写しの一つである。


 もう一部はやって来た番頭に渡されて本店の商会員が集められると、ナデテから詳しい内容の説明がなされた。

 今ランドック商会長は手渡されて書類を食い入るように読み込んでいる、手渡された店舗の真ん中で立ったままで。

 いつしか大量の蠟燭と燭台が会議室に運び込まれて、番頭の説明を受けた商会員たちが帳簿類を抱えて店の中を行き来し始めた。


 夜更けの暗闇に沈んだ街の中でオーブラック商会の店舗だけは煌々と蠟燭の明かりが輝き続けていた。

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