第164話 旅立ち

【1】

 その夜、私とお母様とアナはカマンベール男爵の寝室にいた。

 お母様の水魔法で高カロリー輸液を男爵様の胃に送る為と言う名目で。

 夕食後のあの後からアナとお母様は食堂で高カロリー輸液を作る練習を重ねていた。

 アナの処方した輸液を口に含み、空のコップに次々に食塩と蜂蜜の溶解水を出現させる。それがお手本の輸液に近いものかどうかアナが飲んで確認しながら。


 しかし今ここに居る目的は少し違う。

 私はアナの指導で男爵の血管に少しだけ霊力を流す。

「ジャンヌ様は病魔によって霊力を流す場所が違うと言っていらっしゃいました。まず血管に生きる力を流しましょう」

 次に消化吸収を助けるために胃や腸に集中して霊力を流す。

「ジャンヌ様は麻疹の場合血管とは違う体液の巡りに病魔が潜むのですが、そこは病魔を殺す力も秘めている場所なので難しいと仰ってました。今回はその部分は避けておきましょう。肺や気管支は病魔の様子を見ながら霊力を流してください」

 リンパ系はリンパ球が集まる場所だからだろう。

「セイラ様、ジャンヌ様が絶対流してはいけないと言っていた場所が有ります。骨です。骨には闇の聖魔力は流してはいけないと言っていました。それはセイラ様にとっては逆の意味になるのでは?」


 骨? 何故? 何故骨に死属性の魔法はダメなのか。骨粗鬆症? 骨が何なんだろう。何かあるのか?

 ケンタのチキンの骨はガラスープが取れるが…中身は空だし。

 中身は…フォン・ド・ボーを採る時は骨をノコギリで切るそうだけど、あれは骨髄から…。骨髄だ! 骨髄移植とかの骨髄。

 骨髄って何するところだっけ。

 そうだ! 血を作るんだ。赤血球や白血球や血小板も。だから白血病には骨髄移植が。

 私は少しずつ骨に生属性の霊力を流す。でも大丈夫か? 中途半端な知識で問題は起こらないか。

 白血病は血液の癌。骨髄で白血球が異常増殖する病気だったような。


「加減が解りません。病魔を増やさない為にこれ位で止めましょう。後は肺と気管支それに胃も少し当てた方がよいと思うので肺から順番に少しずつ流して下さい。私が様子を見ながら指示します」

 アナが霊力を広がりを見ながら指示を出す。

 常にジャンヌの聖魔法の補助をしているだけ有って指示は的確なようだ。

 みるみる男爵の血色が戻り呼吸が安定して行く。

「これ以上は病魔を助長する可能性が有ります。無理はせず回復を祈りましょう。レイラ様、男爵様の栄養補給を任せ致します。これで男爵様の命を繋げるかもしれません。出来る限り早くジャンヌ様を連れ帰ってまいります」

 アナの指導でカマンベール男爵の治療を進める事が出来た。


 ジャンヌの治療は聖魔法をかけて一週間程度様子を見て、状態に合わせて治療を繰り返して行く方法だそうだ。

 一気にかけると体への負担がかかり悪影響があちこち出て病状を悪化させる事になる為だ。

 死属性だから病原菌と共に細胞も殺す事になるのだろう。私の場合はその逆で細胞と病原菌をともに活性化する事になるだろう。過程は逆でも結果は同じだ。


 私も出来れば一週間程度で帰って来たい。

「お母様、今日はこれで休みます。明日の出立は早いですから。それからルイーズとミシェルに荷物の確認をお願いしておいてください」


【2】

 翌朝は日の出前に目を覚ました。

 お母様は明け方からアンと交代して、男爵様の看病で付き添いに行っているる。

 私は準備を済ませるとまだ寝ているオスカルの頭をなでて額にキッスをする。出発の挨拶代わりだ。

 そして階下に降りるとミシェルとルイーズが忙しく立ち働いていた。表ではルイスと騎士団が馬の準備をしている。


「フィディス修道女、聞き分けなさい。一人で馬に乗れない貴女はセイラ様のお邪魔に成るのです。それにお優しいセイラ様は貴女を守るためにどうするか想像できるでしょう」

 泣いているフィディスちゃんをアナが諭す声が聞こえた。

 食堂に入るとルーシーさんとアナとフィディスちゃんがテーブルに付いていた。

 どうやら私が最後だったようだ。


「セイラ様、昨夜は良くお眠りになられましたか。初めて治癒魔法を練習してお疲れは残っておられないでしょうか」

 昨晩から何かいきなりアナの態度が変わっている。何かキラキラした目で見られているのはこそばゆい。


「あら、セイラさんも治癒魔法の?」

「ええ、お母様の訓練のお手伝いで一緒に…」

 ルーシーさんの疑問に答えながらアナを見ると、しっまったと言う表情で顔色を変えている。

 昨日からの号泣も含めてつくづく腹芸の出来ない人だ。よくこんな事でジャンヌを欺いて来れたものだ。

 昨夜の残りのシチューにパンを浸しながら朝食を済めせると、入れ替わりに男性陣が入って来た。


「パブロ! 手を洗いなさい! 騎士様たちも同じです。汚れた手で食べ物に手を伸ばさないで下さいまし」

「ミシェル、お前年下の分際で生意気だぞ。ルイーズに感化され過ぎじゃねえのか」

「パブロ、私が何だって? 手洗い桶持って来てやったんだ。さっさと洗いな」

「ってなんで熱湯を入れるんだよ。危ないじゃないか」

「セイラお嬢様、パブロが火傷したので代わりに私が参ります」

「お前らの魂胆は見えたが、代わらないからな。お前らは未だガキなんだから大人しく待ってろ。ケガでもされた日にはルイスやミゲルに顔向けが出来ねえ」

「あんたこそバカなんだからセイラお嬢様に迷惑かけるんじゃないわよ。ちゃんとセイラお嬢様を守ってあんたも絶対帰ってきてよね」


 やはりなんだかんだ言っても幼馴染みどうし気にかけていたんだろう。

「パブロ、頼りにしてるわよ。ルイーズとミシェルもお母様とオスカルの事をお願いするわ」

「セイラお嬢さま、パブロなんて頼りになりません。頼りになるのはルイーズと私の方ですわ。ちゃんとお二人をお守りして…アンメイド長についてしっかり勉強して…だから絶対無事に帰ってきてください」

 表情を崩さずそう私に告げて頭を下げるミシェルとルイーズの頬を涙が伝う。


「二人とも泣かずにご挨拶が出来た事立派ですよ。お嬢さま、ご無事の御帰りをお祈りして待ちしております。お帰りになるまで男爵様にもしもの事は起こさせません」

 アンもそう言って深々と頭を下げた。


 表にルーク様が手配してくれた州兵が三騎迎えに来た。

 私たちもそれぞれ馬に乗り、聖堂騎士の隊長の先導で出発する。

 見送りにアンとルイーズとミシェル、フィディスちゃん、そしてルシオ夫妻がポーチまで出てきた。

 ルーク夫妻は州兵の手配と関所への通達の為、昨夕からテント村に泊まり込んでいる。

 あまり村人たちの目に着くのも本意ではないので、静かに挨拶を交わして出立する。


 先頭に二騎の聖堂騎士。その後ろに隊長の騎馬が付き、その隣をアナが並走する。

 そしてその後ろに私、両脇にルーシーさんとパブロが、そして殿しんがりを州兵の三騎の騎馬が続く。

 私たち十騎の騎馬は一路シェブリ伯爵領に向けて出発した。ライオル伯爵領との領境の街道に先回りするのだ。


 そして旅だった私たちと入れ替わりに多数の騎馬がカマンベール男爵家の領館に駆け込んで行ったのを知らなかった。

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