第163話 治癒魔法

【1】

「ジャンヌ様の理論では人の、すべての生き物の体は幾千幾万の小さな命の塊だそうなのです。爪の先も髪の毛も血潮も骨もすべてがとても小さな命の粒でそれが集まって人になっているのだそうです。そしてその命全ての調和がとれている状態が健康体で調和が崩れると病になります。そして疫病は病魔と言う小さな命の粒が人の体に入って勝手に増えて、本来の体の中の命がそれを攻撃し始めるのだとか」


 食後に私はアナを部屋に招いた。

 そしてこうしてお母様とアナの講義を聞いている。

 要するにジャンヌの理論は、人体は細胞の集合体であり細胞の調和がとれていれば健康、バランスが崩れれば不調。更にウィルスや細菌などの細胞が入り込んで病気が発生しる。それを免疫細胞や抗体が異物を排除する過程で生じる発熱や不調が病気であると。

 よく此の近世以前の医学知識しかないこの世界でここまでの理論を構築できたものだとジャンヌの才能に感心する。


 更にアナは続ける。

 その理論に従って、各治癒魔法も的確に使って行けば効果は増す。

 特に地魔法は外傷時の止血以外にも、心臓に圧力を加える事で心臓マッサージを行ったりも出来る上、風魔法と併用して心肺蘇生も出来る。

 風属性も様態に応じて軌道に直接空気を送り込んで呼吸を助けるなどの方法をとる。

 火属性は熱を扱う魔法で冷やす事も出来る。発熱時の解熱や腫れた患部の冷却、体温低下時の保温等。

 水魔法はなんと血管の中に薄い食塩水を意識して発生させることで出血時の補助をするという。また胃や腸の中に塩と蜂蜜を溶かした水を意識して発生させ栄養補給する方法も指導しているそうだ。水の治癒術師は食塩水や蜂蜜水の濃さや成分を覚える為にかなりの努力がいるそうだ。


 そういう事でジャンヌには必ず地属性と水属性と火属性の三人の聖職者が付いているそうだ。

 ジャンヌは風属性と聖属性持ちなので、アナの地魔法と併せて何度も心肺蘇生を行い助けた命も多いと胸を張って言った途端に、ジャンヌの事を思い出し萎れてしまった。


「天才というものは居る者なんですね。これからもその治癒魔法で救われる人がたくさん現れますよ」

 私は心底そう思った。

 生理食塩水や高カロリー輸液まで思いつくとは凄いとしか言いようがない。

「そんなジャンヌ様を私は…」

 また泣き崩れるアナにお母様が手を添えて慰めている。

 ジャンヌを褒めれば褒めるほどアナの罪悪感を煽るようだ。

「アナさん、わたくしは難しくてすべては判らないけれど、貴女はそれを理解できているのだから、ジャンヌ様を取り返してまた一緒にその理論を広める事に尽力なさいませ」

 そう言われたどうにかアナは顔を上げた。


「でもどうやってその命の粒の好不調を見分けるのでしょう」

「それは理屈が解れば簡単です。体に触れて霊力の流れを見ればわかります。ただ人間の体の知識が有れば誰でもできるのです」

 アナは事もなげに言った。

 お母様が私の両手を握って霊力を流し始める。

 …ああ、本当だ血管を流れる霊力とリンパ節を流れる霊力の違いが分かる。心臓や肺の動きが解る。

「何か違う流れが有るのは判るのですがわたくしでは理解が追い付きませんわ」

 お母様はそう言った。


 今度はアナが私の両手を握り霊力を流す。

「セイラ様は非常に健康ですね」

「でも少し胃が荒れているんじゃないでしょうか。胃壁にささくれの様な感触が有りますわ」

「まあ、さすがはセイラ様。もうそこまでご理解されていらっしゃるのですね。そこまでの理解があれば治癒魔法の習得はすぐです。でもセイラ様は火属性ですから使う場所が限られますね」


「それならばお母様を見させてください。見る側と見られる側が替わればまた感じ方が変わると思うのです」

 そうしてお母様にベッドで寝転んでもらい彼女の右手を私が、左手をアナが握り私が霊力を流す。

 食道から胃腸へ。気管を下り肺を遡り肺胞から血管を巡って心臓を覗く。

 ああこれが赤血球、リンパ系を流れるのが白血球やマクロファージや血小板。テレビドキュメントのCG映像そっくりの動き形で私でも分る。

 マクロファージはエプロンドレスを着ていなかったけど。


 お母様の心臓は少し弱まっている、気管も荒れているし胃壁はあちこち爛れている、肝臓も腫れている。

「レイラ様はお疲れのご様子ですね。セイラ様もレイラ様の胃壁の荒れが良くお分かりになると思いますよ」

 アナの言葉にお母様も同意する。

「ええ、先ほどのセイラの胃と比べると大変傷んでいるようですね。気を付けなければ」


 光の聖属性持ちだと言われたのに使い方の判らないもどかしさが胸に募る。

 爛れた部位に付着する雑菌を殺すために白血球に食わせて血小板で補強するのだろうがそんな細かい事など出来る訳がない。

 胃のに魔力を注げば良くなるのだろうか。そもそも光の魔力って何だろう。頭で念じれば出るものなのだろうか。

 お母様の身を案じながら考えていると、流す霊力が大きく増えていってしまった。


「セイラ様! 何をなされているのです? そのお力は一体何の力なので御座いましょう?」

 アナが唖然とした表情で私を見つめて言った。

 意識をお母様の身体に戻すと肝臓の腫れや胃壁の爛れがみるみる退いているのが解る

「セイラ! 貴女は何をしたの?」

 お母様が私たちから手を放して、起き上がった。


「あの…お母様が疲れている様なので良くなって貰いたいと祈っただけで…」

「それは光の聖属性。ジャンヌ様と相対する聖属性です。セイラ様とは支え合う関係と仰っていたジャンヌ様のお言葉にお間違いは無かったのですね。それを私は疑ってしまった。ああその上ジャンヌ様だけでなくセイラ様迄危険に晒す様な事しでかしてしまった」


 また泣き出したアナを尻目にお母様は力なく言った。

「使ってしまったのですね。その力を」

「いえ、使えてしまったのです。そうなればと願ったら使えてしまったのです」

 私もため息交じりに答えた。

「それで、お母様。調子は如何ですか? 何か気になる事やおかしな事はありませんか」

「ええ、今はとても調子が良いわ。でもすぐに胃に穴が開いてしまうような事になるでしょうけれどね」

 お母様は皮肉っぽく応えると私の頭を両手でしっかり抱き締めて、泣いているアナに向かって行った。


「アナ聖導女! 今ここで見た事はお忘れなさい。一切忘れて口外は無用です。今この事が知れれば間違いなくセイラは教導派に捕らえられてしまいます。この事は秋の成人式までは漏らしてはならないのです。貴女が了承できなければセイラはこのままゴッダードに連れ帰ります」

 アナはお母様の剣幕に驚いて顔を上げた。

「それは一体どう言う…」

「はっきり申し上げます。ライトスミス家は二択を迫られればセイラを選びます。貴女の返事次第でジャンヌ様であっても切り捨てます」


 アナはフルフルと震えながらもお母様の目を見つめて答えた。

「お約束は守ります。これ以上間違いは冒したくありません。セイラ様の秘密は命に代えても守りぬきます」

 お母様は表情を緩め、アナの目を見つめ返した。

「くれぐれもお願いしますよ。貴女たちが頼りです。この跳ね返りの娘をどうか守って下さい」

 お母様の涙が抱き締められた私の額に落ちるのが分かった。

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