第162話 為すべき事
【1】
「お母様、相談したいことがあるのです」
お母様は改まってそう告げる私の様子に、眉を寄せてこちらを見た。
「実は今朝はなしていた聖属性の話なのです」
「その話は終わったはずです。今はロワールに向かうことだけに集中しなさい。あなたの気持ちは嬉しいのですが、だからと言ってもう叔父様がどうとかなるというお話でもないのです。ルーシーには気の毒だけれど叔父様は最期までわたくしが見届けます」
「そうではないのです。私とジャンヌ様が揃えば男爵様の治癒もかのうではないかと思うのです」
「…いったい貴女は何を」
私は考えていた事をお母様に説明した。
私の属性は光、ジャンヌは闇。光は生命力を高め、闇は殺す。
ジャンヌが闇の治癒魔法でウィルスを殺している間に、私が免疫力を高め抗体を活性化させることが出来ないだろうか。
もちろん簡単にできるとは思っていない。
治癒魔法の方法も知らないのだから習得出来るかすら判らない。それでも試す価値はあると思うのだ。
それらの事を一気にまくし立てた。
「落ち着きなさいセイラ。貴女の言うことは判ります。可能性は認めましょう。でも間に合いません。ジャンヌ様はここには居ないのです。叔父様の容態は知っているでしょう。後三日と持たないと思いますよ」
そうだ。ジャンヌは囚われの身でそれを救い出すために私はこれから旅立つのだから。
異端審問を終えた頃にはその結果に関係なく男爵様は亡くなっているだろう。
ならばジャンヌを三日以内で連れ帰る事は出来るのか。それも無理だ。
単純に明日の朝立ってもジャンヌに追いつくのは明後日、そこから連れ帰って館に到着するのは三日後。
勿論そんなに上手く行く訳は無い。普通に迎えに行ったところでジャンヌと合えるとは限らない。
ジャンヌがロワールに向かうルートすら分からないのだから。
いや、違う。追いつく必要は無いんだ。
ロワールに向かうルートは幾つも有るがロワール大聖堂は一つだ。
先回りして待ち伏せる。出来れば奪い返したいが、それが無理でもジャンヌの護衛として張り付く事は出来る。
男爵様の治癒が間に合わないならば、審問が開かれるまでの間に徹底した裏工作をしてシェブリ大司祭達を叩き潰す。
ライトスミス商会が全力を挙げて、ロワールの街でシェブリ大司祭の悪行を喧伝して回ってやる。
市民の間に噂を広め扇動して、シェブリ伯爵家に対する反感を煽ってやる。
教導派の牙城である北部や東部の諸州でも聖教会に不満を持つ市民はいる。いやそうだからこそ聖教会の幹部や貴族に反感を持つ市民が多いのだ。
なによりライオル伯爵領の実情を噂で流し、疫病治癒に熱心なジャンヌを拘束し平民への無償治癒を禁止しようとしていると煽れば、市民の反感は教導派のシェブリ大司祭とシェブリ伯爵家に集中するだろう。
奴らが宮廷貴族や高位聖職者相手に裏工作をするなら、こちらは平民を相手に扇動するだけだ。
「セイラ、黙り込んだと思えばその顔。何か良い事を思いついた様ね。そんな極悪な笑顔を浮かべられるほど元気が戻ったのならわたくしも嬉しいわ」
「えっ、私そんな悪い顔をしてたかしら。でも男爵様の事を諦めたわけでもありませんよ。だからお母様も諦めないで私がジャンヌ様を連れ帰るのを待っていてくださいね」
【2】
夕刻、アナ聖導女はすっきりした顔で食卓に現れた。
あの後昼食も取らずに眠り続けていたのだから…と言う物の聖教会では食事は朝餉と夕餉の二回だからおかしな話でもない。
まあ聖堂騎士達もフィディスちゃんもお昼に出されたチーズとベーコンのサンドイッチを美味しそうに食べていたのでそれほど厳格な決まりでは無さそうだけれど。
夕食は羊肉のビール煮込みシチューだった。ビールの醸造に適したこの土地の水はあまり煮物には向かないが、ビールで煮込み肉はこまめに灰汁を取る事でとても柔らかく煮える。
キャベツやニンジン、玉ねぎと羊肉を長時間ビールで煮て塩と胡椒とチーズで味付けをした素朴なものだが滋養は豊富だ。
出汁が取れればなあ~。昆布や鰹節や干し椎茸…それに醤油が欲しい。
そんな事を考えている私の隣でアナ聖導女は黙々とシチューを頬張っていた。
「アナ様。アナ様はジャンヌ様にお仕えしてどれくらいたつのですか?」
私の問いかけにアナは顔を伏せて悲し気に答えた。
「二年前からジャンヌ様にお仕えしておりました。いえ、このような事を仕出かしてお仕えしていたとは申せませんね。お仕えしたつもりになっていました」
「そのように卑下なさらなくとも、今悔い改めてここに居らっしゃるという事はジャンヌ様にお仕えしているという事です」
「そう仰っていただけると少しは気が楽になります。そもそも私は視野が狭いのです。治癒魔法だけが人々を救える方法だと思いその技術を少しでも高めようとジャンヌ様の許にお仕えしたのですから…。でもジャンヌ様は違った。身の回りを清潔にするとか食事を改めるとか…手を洗いうがいをするだけでも病魔から遠ざかる事が出来る。魔法に頼らずとも出来る事は沢山あるんだと教えていただけました。目が開かれる思いでしたが、それでもまだまだ何もわかっていなかった。セイラ様がなされていた事を曲解してこのような事に…」
大分追い込まれているのだろう。悲観的になりすぎている。話題を変えよう。
「ならばアナ聖導女様も治癒魔法の専門家なのですね。ならば私にも教えて下さい。ジャンヌ様がお戻りになられたらご協力できるように」
そう言ってアナの顔を覗き込む私に、アナは驚いた表情を浮かべて聞き返した。
「セイラ様は聖職者を志すおつもりですか? お教えするのは簡単ですが?」
「聖職者になるつもりは有りませんが、出来るなら何でも覚えておきたいのです。この地に来てつくづく自分の無力を感じてしまいました。目の前で苦しむ人に何もしてあげられない自分が嫌になります」
「ですが、フィデス修道女から色々と伺いました。教室も工房もセイラ様が初めた事を。貧しい子に今日の命を繋ぐ糧では無く、明日から生きてい行ける手段を教えるというそのお考えを聞いて感銘を受けました。実際、教室と工房で自分だけでなく親や弟妹まで救っている子供たちを見てきました。無力だなんて滅相も無い」
「でもそれは私の力ではありません。両親や友人や商会で働くみんなの協力で出来た事です。十二の時に思い上がってみんなを危険にされしてしまって自分の限界を知りました。だから聖教会とジャンヌ様にお任せしたのです。私は影でジャンヌ様を支える事に徹しようと決めたのです」
その言葉には嘘は無い。
ここまで清貧派にどっぷりと浸かっている身としてはジャンヌに破滅されると困るのだから。
今回の件もジャンヌに託けて私がターゲットにされている。ヨアンナやファナとも係わりが有るモブキャラとしては、この際ジャンヌにくらいついて行かなければシナリオ補正で潰されてしまいそうなのだ。
「ですからできるならジャンヌ様の助けになるように治癒魔法の一端でも学びたいのです。こう見えて火属性の魔力はとても強いと洗礼式の時に言われております」
アナはしばらく私の瞳を覗き込んでいたがあっさりと言った。
「宜しいですよ。ジャンヌ様の聖魔法の考え方を理解すればとても簡単に治癒魔法を使える事になりますわ。あの方の治癒魔法の考え方は画期的です。私や他の一般の修道女でも聖属性が有ればジャンヌ様と同じ事が出来るとおっしゃっておられましたし」
思いもしないアナの答えに私は愕然とした。
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