第174話 王妃とグリンダ

【1】

 結果を受けてグリンダは忌々しそうに口を歪め腰を下した。

「ホホホ、平民風情が出しゃばっても太刀打ちできぬ事が判ったであろう。北部の商会を南部の好き勝手にはさせぬわ」

 王妃殿下が機嫌よく笑う。


「オーブラック商会よ。先ほど申しておった荷受の件じゃ。それを速める事は出来ぬか」

 王妃殿下の問いにオズマが立ち上がった。

「僭越では御座いますがお答えさせていただきます。今カマンベール子爵領に有る設備は波止場用に改造中です。改造が終了次第最優先でシャピの港に輸送させるように致します」

 その答えに王妃殿下は満足げに頷く。


「ただ設置させて運用するにあたり人手が足りないのです。シャピに限らず港の荷受け作業は救貧院が請け負っている事が多く、人手を集めようにも直ぐには間に合いません。聖霊歌隊の事が有ってから救貧院は収容者を就職させないのです。ですから救貧院が人を回さないでしょうし、予算も足りません」

 オズマの言葉に王妃殿下が何か言いかける前にグリンダの言葉が響いた。


「その事業を分社化しなさい。株式の過半数はオーブラック商会が持てば良い残りの四十九パーセントはライトスミス商会が投資しましょう。それなら王妃殿下のお望み通り直ぐに運用が開始できますよ。南部には救貧院は無いので、人員も一緒に送りましょう」

 喜色満面でそう告げるグリンダに王妃殿下が怒気を含んだ声で問いかける。


「其方が申すのはハウザー王国の農奴上りのケダモノたちか? ふざけるな、其方らの好きにはさせん」

「そう仰られても余剰な作業員は救貧院が…教皇派閥の聖職者と貴族が手放さないでしょう。何せ救貧院は彼らの農奴なのですもの。それも王国の税金で養ってもらえるこんなおいしい農奴をモン・ドール侯爵家やペスカトーレ侯爵家が手放すとも思えません。作業員の手配が出来るのは南部の我らだけですよ」

 そう言ってグリンダはニヤリと笑うと唇を舐めた。


「ほう、グリンダが笑う事が出来るなんて初めて知ったのだわ。あの女は無表情が売りだったのだわ」

「あんな饒舌なグリンダも久しぶりに見たわ。昔はグリンダも可愛かったのよ。私が無茶をした時なんて泣いて諫めてくれたことも…」

「それはグリンダでは無いのだわ。きっと別の人間だったのだわ。あの女が泣く訳無いのだわ」

 酷い言われ様ではあるが否定しにくいのも事実である。


「その分社化の話、ワシが金を出そう。シュトレーゼ伯も乗らぬか? ストロガノフ卿もどうじゃ。息子らの骨折りの褒美としてな」

 フラミンゴ伯爵の声が響いた。

 シュトレーゼ伯爵とストロガノフ子爵がにんまりと笑う。


 そこにジョン殿下の声が響いた。

「母上、ならば俺に出資させて頂けませんか。母上の出資される商会の子分社なら息子の俺が出資するのがふさわしい。俺も経営の何たるかを知るためにその事業に参加したいのです。いつまでもヨアンナに舐めた口を利かせない為にも」

「ふむ、面白い。やってみるが良い。出資して経営に参加してみよ」


「「それならば私も、僕もお願い致します」」

 ヨハンとイアンが同時に声を上げる。

「我が家のイヴァンは今回は遠慮させよう」

「いや、イヴァンはああ見えてあいつの意見は光る物が有るのだ。是非参加させてやってくれ」

 ストロガノフ団長の言葉を遮ってジョン殿下の声が聞こえた。

「そう言って頂ければ恐縮で御座います。息子にも殿下のお力になる様申しておきましょう」


「何を、いくら資金を出そうとも救貧院が有る限りライトスミス商会が経営に参加しないと人手は集まりませんよ」

 グリンダが声を上げて食い下がる。


「方法は有ります。救貧院を無くせば良いのです」

 そこでイアンが声を発する。

「救貧院を無くせば収容者は解放される。なにも国の税金でモン・ドール侯爵家やハッスル神聖国にいる教皇やその派閥を潤す必要は無いではないですか」

「口では何とでも言えますわ。でも教導派の聖教会には聖教会教室も聖教会工房も御座いません。聖霊歌隊でもポワトー女伯爵カウンテス様の力が及ぶのはポワチエ州内がせいぜい。所詮絵空事ですわ」


「そんな事は無い! 救貧院を廃止してその予算で新たな枠組みを作れば良いのです。父上、私にやらせてください。考えは有るのです。出来上がった物を官僚の方々に吟味して貰えれば。何より表立って動けば教皇派大貴族に潰される。私たち学生が素案をまとめているとは彼らも思わないでしょう。案を通してから施行までの間も出来る限り短く邪魔されない様に秘密で動けます」

「ほう、具体的に何か考えが有るのか?」

「素案は有ります。清貧派聖教会がやっている事を国がやれば良いのです。清貧派のやっている事は、読み書きと算術を教えて給金を払って仕事をさせるだけです。これなら王国でもやれるじゃないですか」


「面白い。フラミンゴ卿、其方の息子の話乗ったぞ。学生たちにやらせて見せよ。これが成功すれば子らに箔がつく。しくじった所で学生のやった事。その気概は称賛に値する。結果がどうあれ教皇派貴族に一矢報いる事も出来よう」

 王妃殿下が面白そうにイアンを見る。


「ジョンよ。よくぞ申し出た。週末ごとにわたくしに報告を持って来るように。秋までには波止場の荷受け業務の準備を整えて救貧院を潰せるように勧めなさい。この件は国王陛下にはくれぐれも内密にな。王宮には極力、顔を出さずに極秘に進めるのじゃ」


「それでは検討はどこで行わせましょう? 内務省に部屋を宛がいましょか?」

「宰相様、ジョン殿下がすでにこの店の会議室を一月間借り受けて検討もそこでやり始めています。僕たちはここで案を練ってその結果を毎日内務省に提出する様にしてはいかがでしょうか?」


「それは良いな。ここなら王宮とも役所ともオーブラック商会とも接点が無い。好都合だな」

 フラミンゴ伯爵がそう言うと、グリンダが立ち上がり歩き出し始めた。

「どこに行く。他言は…、まあ其の方らが教皇派一派に利する様な行為はせんだろうが、詰まらぬ邪魔立てはするな」

「そうやって机上の空論を弄んでも最後は私どもライトスミス商会に泣きつく事になるのですからいらぬ小細工は弄しませんわ」

 そう言い放って部屋を出て行く。


「あの平民の娘は大丈夫なのか?」

「その点はご安心召されよ王妃殿下。あの者もライトスミス商会も熱心なジャンヌの僕。何を間違ってもペスカトーレ教皇一族に利する事は絶対にやらぬでしょう。あの者らはペスカトーレ教皇を屠る為なら悪魔とでも手を結ぶヤカラです。救貧院の件については敵には廻りません」


 当然敵に回る事は無い。

 みんな私たちの手の内に有るのだから。


「ならば良い。後は其方らに任せた。今日は有意義な楽しい時間を過ごせたぞ。礼を申すポワトー女伯爵カウンテス。オズマとやらも荷受け場の事頼んだぞ」

 そう告げると王妃殿下は立ち上がった。

 カロリーヌが優雅にカーテシをする。それにならいオズマ達も立ち上がって頭を下げた。

 貴族たちは直立して臣下の礼を取る。

 王妃殿下は笑顔で答えて退席した。それに呼応して貴族たちも席を立ち部屋から出て行く。

 

 これでどうにか一段落ついた。

 そう思いながら様子を窺っていると、隠し部屋にグリンダが戻ってきた。

「パウロもやっと使えるようになりましたね。これからしっかりと鍛えなければ」

 ああ、パウロ。可愛そうに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る