第142話 聖女の困惑(1)

【1】

 もう何が何だかわからない。

 ジャンヌの立場は本来、王国を破滅に導く闇の聖女のはずだった。

 もちろん今のジャンヌにそんなつもりは無いが、それでも両親や祖母を殺した教導派を許した訳では無い。


 洗礼式から一年あまり教導派の追っ手を逃れて辛い旅を続けてきた。

 人の優しさも知ったが汚さも見てきた。子供の儘のジャンヌであればきっと王国への恨みと憎しみに凝り固まってしまっていただろう。

 それも有って獣人属や平民への差別や搾取には抵抗を続けているし、その気持ちは揺るいでいない。


 ただそれとは別に自分の為にも動いてきた、悪の聖女としての破滅の運命を免れるために。

 闇の聖女ジャンヌは反逆罪で死刑、国外逃亡の途中で裏切りに有って暗殺、死刑は免れても生涯幽閉と言う過酷な運命に抗う為に。


 そもそもジャンヌのパーソナリティーは憎悪と復讐心に塗りこめられた根暗な人嫌いと思っていた。

 しかし祖母が殺されて目覚めた時のジャンヌは臆病ではあるが人好きの甘えん坊で陽気な性格だった。

 祖母が殺されてからの苛酷な運命がそうさせたことは間違いない。

 王国への憎しみは祖母を殺され命を狙われた事だけでなく、助けてくれた農民や下町の貧民そして獣人属が、悉く王国や聖教会の教導騎士や貴族に虐げられ迫害されてきたのを見てきたからだろう。


 ボードレール伯爵家に保護されてからも王国に媚びるつもりにも教導派を許すつもりにも成れなかった。

 過酷な運命が訪れる事が判っていても、自分の身を優先できずヘッケルと共にボードレール伯爵領の清貧派の村々を支援して回る毎日が続いた。

 せめて情報をと思ってもたかだか十歳児に出来る事は、政治や宗教の基本情報を学ぶ程度しかなかった。


 それでも地道に回った州内の村々での衛生指導や農業指導で、乳幼児の死亡率が下がり収穫も上がり始めてきて聖女ジャンヌの名が浸透し始めた。

 転機になったのは十一の誕生日を迎えた頃だ。

 グレンフォード大聖堂教区内の教導派勢力も一掃されて、聖教会教室と聖教会工房が設置されたのだ。

 もともと清貧派の中心地だったグレンフォード大聖堂だったが、州内の教導派が一掃され救貧院もすべて撤去されたのだ。


 そしてロンバモンティエ州の聖教会を回るジャンヌの評判も高まり始めた頃、ブリー州からヘッケルと入れ替わりで司祭として移って来たドミニクや護衛のジャックたちからセイラ・ライトスミスの話を聞いた。

 そして護衛のジャックやポールやピエールと知り合い、自分と同じ考えを持つゴッダードの人々と出会い、思いを同じくする人々が沢山いる事を知った。

 その頃からだろうか南部や北西部、そして西部やハウザー王国からも清貧派を支持する領地が増え始めたのだ。


【2】

 それ迄は真っ暗な闇の中を進む様で何一つ動かす事が出来ないと思っていた運命の歯車が、聖年式の頃から急に動き始めた。


 伯父のボードレール枢機卿とドミニク司祭、ジャック達護衛の三人組、そして何よりセイラ・ライトスミスとライトスミス商会の人々、そう言った背中を押してくれる人たちが多数現れたのだ。

 その頃からジャンヌは恨むより救う事に重きを置いて人生を歩み出した。力になってくれる中小の領地やそこの下級貴族達も増えた。

 降ってわいたような異端審問事件もセイラ・ライトスミスやカマンベール男爵家、そしてあのヨアンナのゴルゴンゾーラ公爵家やクオーネ大聖堂の支援で切り抜けられた。

 今まで所在の分からなかった謎の子爵令嬢もいきなり現れた。


 不安が有るがこれから起こる事は分かっている…はずだ。

 はずだったのだけれど、何か思っていたのと違う。何が違うかって全て違う。

 それぞれの攻略対象もだが、係わりが無いだろうと思っていた悪役令嬢はジャンヌの後ろ盾になってくれている。

 何よりヒロインであるセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢が悪役令嬢側に組して攻略対象達と対立し続けているのだ。


 このままではストーリーが進まない。

 いや、進んでいるようだけれどクロエの誘拐未遂事件のように予想もつかない展開に陥る可能性が高い。

 ジャンヌが望むことは後半最大のイベント ハウザー王国との戦争を防ぎ、それに加担した罪によって自分が裁かれることを回避する事。


 今回の夏至祭は攻略対象の好感度を上げる為に必要なイベントなので、ここで少しはセイラの好感度を上げて貰わなければと色々と誘ってみた。

 初日にイヴァンに誘われて出て行ったので少しは好感度が上がったのかと思えば、そのイヴァンを投げ飛ばして帰ってきたようだ。

 同じ数学好きという関係からジャンの討論会に誘ったが、二人ともライバル関係を強調するだけで歩み寄る兆しは無い。


 ジョバンニののお茶会では散々嫌味を言って挑発して帰って来たそうだが、まあこれは手を出さなかっただけマシだった言う事か。

 一緒に行ったヨハンの魔術演習は話す事も無く帰って来たし、イアンの講演会はエマ・シュナイダーとの口論から始まりいつもの罵り合いに終始した。


 好感度アップどころか悉くフラグを折って回っているとしか思えない結果になってしまった。

 本来セイラが好感度が上がった攻略対象とガーデンテラスに出て二人の愛を確認し合うはずの最終日の立食会のイベントでも、アントワネット・シェブリ伯爵令嬢とお互いの憎悪を確認し合っている。


 攻略対象はなぜかジャンヌの周りに集まってセイラの悪口で盛り上がっている。

 そしてその結果が今夜のオズマ・ランドッグの嘆願である。

 日頃の言動からオズマはてっきりセイラのシンパだと思っていたのだけれどそうでも無いようだ。

 今までセイラ本人はオズマと親し気にしていたが、エマがオズマを警戒していたのは意味が有ったのだろう。


 ジャンヌとセイラが親密な友人関係にあるという認識が学校内では一般的な認識である。

 その事実を押してジャンヌの下にセイラを止めろと依頼が来るとは思わなかった。

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