第141話 オズマの依頼
【1】
「そうなのです。ジャンヌ様、無理を承知でお頼みいたします。どうかセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様を止めて下さい」
目に涙をたたえたオズマ・ランドックがジャンヌの手を取って頭を下げた。
「一体どうい事なのでしょう? 事情が分からなければご相談を受けようも御座いませんが…」
困惑するジャンヌの手を取ってオズマが更に近づいて来る。
「セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様が救貧院の廃止を画策しておられます。北部でもいくつもの領地で救貧院が有名無実化されてきているのです。どうかお願い致します。セイラ様を止めて下さい」
「オズマ・ランドック、一体それはどういうことなのだ?」
ジョン・ラップランド殿下が問いかける。
「救貧院? 聞いた事が有るな。職の無いものに住居と食事を宛がって仕事をさせる施設では無いか?」
「そんな物になぜセイラ・カンボゾーラが係わっているんだ?」
イアンとヨハンも不審げに首を傾げた。
「セイラ様は救貧院の有り様が気に入らないのです。南部や北西部、そして西部の一部でも清貧派の聖教会が尽力して救貧院を廃止してきました。ただそれは聖教会教室を設置し聖教会工房が救貧院の人たちの受け皿になったからです。それにご尽力しておられるジャンヌ様の事もご理解申し上げております」
「ああ、あの…待って下さい。オズマさん、なぜ私にそんな事を…」
ジャンヌはオズマの嘆願に唖然としてまともに返事すら出来ない。
「ジャンヌ様が救貧院を快く思っていない事は存じ上げております。もちろん救貧院には多くの問題が有るのも理解しておりますし、私も今の救貧院が良いとは思っていません。でも…でも、セイラ様のやり方は間違っておられます。性急過ぎますし、あれでは救貧院の私物化で御座います」
「オズマ・ランドッグ、詳しく話してくれないか? これは内政に係わる事だ。俺も他人事とは思えない」
イアン・フラミンゴがオズマに先を促す。
「セイラ様がすべて悪いと言うつもりは有りません。でも性急すぎるのです…」
そう言ってオズマは訥々とし話始めた。
北部ではあちこちで聖霊歌隊が組織され始めている。宿舎も有り食事も出されるが、それはサン・ピエール侯爵家やポワトー伯爵家が聖教会に喜捨する為の銅貨から賄われている。
それ以外の収入は葬儀や祭事に呼ばれて歌ったり、セイラカフェでの歌であったりする。
これでは歌の上手い子とそうで無い子は貰うお金も差が出てくるではないのか?
それにやっている事は聖霊歌隊を見世物代わりに使っているのだけではないか?
更には、リール州内ではカンボゾーラ家が運営する紡績組合に救貧院に収容されている者を全て雇い入れて、次々に救貧院を潰している。
この結果、今までの秩序が壊れて困窮する商人達も大勢出ている。
「ですからジャンヌ様が成されたように聖教会工房と聖教会教室を立ち上げてから救貧院を減らして行くべきなのです」
そう言ってオズマは話を締めくくった。
「収容者を全て自分の商会に囲い込むとは、まさに救貧院の私物化ではないか」
ジョン・ラップランド殿下がそう言って吠える。
「セイラ・カンボゾーラなら企みそうな事だ。俺はオズマに手を貸すぞ! 聖女ジャンヌあなたの立場も分かるが協力してくれ」
イアン・フラミンゴが勢い込んでジャンヌの手を取った。
「お待ちください、何かすれ違いがあるようです。救貧院では衣食住は保証されますが給金は出ません。それに仕事も苛酷で…」
「でも仕事の出来による差別は有りません。皆同じに働いて同じ食事をして同じ服を着るんです。これは清貧派の掲げる平等では無いのでしょうか?」
違う、断じて違う! 過酷な労働の収益は聖教会と役人と政商が掠め取っているのだから。
それに救貧院には自由も一切無い。同じ院内に住みながら肉親と会う事すら叶わないのだ。
「救貧院は救済とは名ばかりの監獄です」
「ええ、ええ、ジャンヌ様が救貧院をお嫌いな事も、救貧院に問題がある事も知っております。その為にご尽力されている事も承知の上ですが、時間はかかっても聖教会工房や教室の設置を進めて行くべきだと思うのです」
「そうだな、ジャンヌの行って来た事で救われている者は多いと聞く。それならジャンヌのやり方で通せばよいではないか。セイラ・カンボゾーラが今更しゃしゃり出る事などいらんのだ」
「しゃしゃり出るなんて、セイラさんは私の手の届かないところを補ってくれているのですよ。それは皆様の勘違いです。現にカンボゾーラ子爵領には大きな治癒院や高等学問所も…」
「ジャンヌは立場もあるだろう。表立って協力してくれとは言わん。しかしオズマ・ランドッグの後押しはしてやって欲しい」
「今そんなお返事は出来かねます。救貧院は無くさねばならないのです。それにセイラさんは私の…」
「それも承知している。セイラ・カンボゾーラはあなたの親友だし、あなたの防波堤になっている事も理解しているよ。でも、だからこそ暴走を正すのは友情じゃないのかな」
「暴走だなんて! セイラさんはそこまで短慮ではありません!」
「まあジャンヌ、落ち着いて下さい。僕たちもあなたに対して早急すぎる要請でした。少し時間を置きましょう」
「そうだな、この件は今は俺たちだけの協力で勘弁してくれ。ジャンヌも直ぐに判ってくれる」
ジョン・ラップランド殿下の言葉で一旦話は打ち切られ、ジャンヌの反論も打ち切られてしまった。
予想もしていなかった話の流れで、楽しかった昼までの事も全て吹っ飛んでしまった。
一体なぜこんな話がジャンヌの下に来たのか? オズマ・ランドッグはなぜジャンヌを名指しで協力を求めに来たのか理解が追い付かない。
夏至祭での準備から今日までの疲れも有ったのだろう。いつもならナデテが側にいるのだが、夏至祭の間は聖霊歌隊の世話やファッションショーの準備などを頼んでいた上、今日もファッションショーの片付けの手伝いに出て貰っている。
同室のエマはリオニーと共にショーの収支決算の為に徹夜だと言っていた。
サパーパーティーを抜け出してひとりで寮に帰ると、閑散とした平民寮でベッドに入り頭の整理を始めるのだった。
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