第88話 宰相(1)
【1】
パルミジャーノ州の二つの紡績組合を立ち上げた事で紡績機の需要と注目度は大きく上がった。
お陰でウィキンズの実家のヴァークラーの鍛冶工房はライトスミス工房の下請けと化し、ウィキンズの兄貴のドニはグッレッグ兄さんと同い年で馬が合う様でいつも二人して紡績機や織機の改良の相談をしている。
特にグレッグ兄さんは金属加工に興味を持ち始め紡績機の強度アップや構造の改良に金属部品を多用し始めている。
当面は今の紡績機でやって行けるだろうが特許いうという概念が無いのでいつまでもこの状況は続かない。真似される前に近隣に売り込みを掛けたい。
レッジャーノ伯爵に麻だけでなく羊毛の紡績もどうかと聞いてみたが、どうもこの紡績機は細い糸しか紡げないので羊毛に向かない様だ。
そう言われれば紡績産業が本格化するのもミュール紡績機が登場してからだ。私たちが作った紡績機はジェニー紡績機の亜種だ。
ケミストで化工屋だった(俺)は、機械の知識は無い。ミュール紡績機もスピンドルが着いたキャリッジがレールの上を前後する事ぐらいしか記憶していない。
あとはドニとグレッグ兄さんに丸投げだ。ゆっくり時間をかけて改良して貰えばいい。欲張っても手が回らないしね。
何よりもリコッタ紡績株式組合の動向がはっきりしない今の現状で大幅な改良も無いだろう。
パルメザンの商会支店の調査ではリコッタ領の収穫量は前年比の0.9倍。
若干の減産は有るが、今までは繊維で出荷していたものが今年は紡績機の導入によりすべて紡糸での販売だ。
普通に考えて利益は充分に出ている。そこそこの配当は可能なのだが、農地を増やしてこの結果では来年度以降さらなる減産に転じる事になるだろう。
紡績組合の経営の前に領地経営を見直す必要がある。生産を抑えて土地を休ませなければならいが、そうすると三~五年は生産量を落としての領地経営になる。
それを我慢できるかが、リコッタ伯爵にかかっているのにその動向に問題がある。
出入りの商人が増えているのだ。以前、不払いが問題で遠のいていた商会が最近また戻ってきている。
来年の春には配当金の支払いが発生する上、返済すべき借金も有る。
伯爵の動向次第でリコッタ領自体の破滅も考えられる。
リコッタ家にもうペコリーノ氏は居ない。執事のタイラーにどれだけ伯爵が抑えられるのか、執事や家人の伯爵家に対する忠誠心が如何ほどのものなのかシッカリ判断させて頂こう。
場合によっては半年後の決算報告は荒れるかも知れない。
【2】
まあそんな事でしばらくは織機の販売は無理だろう。当面は紡績機の拡販を考えようと思っていたが局面が急展開した。
王都から東部の宮廷貴族の大物がやって来たのだ。
そいつはいきなりセイラカフェの前に馬車で乗り付けると、ゾロゾロと家来を引き連れて店内に乗り込んで来た。
「ここがライトスミス商会か? なんだ、ケモノが居座っておるでわないか!」
不快な言葉が耳に入った。
ムッとして文句を言おうとカウンターから身を乗り出しかけた私はエマ姉に引き戻された。
「お客様、ここは庶民の集うカフェでございます。料金を払って楽しんで頂く方に貴賤を問いません」
「浅ましい事だな。さっさと追い出せ」
叩き出してやろうと暴れる私はルイスとマイケルに羽交い締めされている。
エマ姉がカウンターから出て貴族のもとに行く。
「みなさん、お金を払って頂いたお客様ですわ。お金を頂いて追い出す訳にはまいりませんわ」
「払い戻せばよかろう。さっさとせい」
「そのお金はどなたが出してくれるのでしょう。損失の補填がない限りそれは出来ませんわ」
「ワシが言っている。伯爵たるこのワシがだ」
「今いらっしゃるお客様の払い戻し分と迷惑料、カフェの損失補填に鐘一つの間の貸し切り料金を加えて金貨三枚になりますわ」
「払ってやれ」
グリンダの采配で他のお客様は払い戻しの上、リバーシボードごと隣のセイラカフェに移動してもらった。店員も最低限の者を残して一緒に移動させた。
「その方が商会主か?」
伯爵は、エマ姉に聞く。
「代表は、あちらに」
カウンターの中で憮然としている私を指差す。
「はじめまして、私が代表のセイラ・ライトスミスと申します」
私は一番大きいテーブルに座席を設えさせると伝声管の蓋を開けた。ミシェルを工房に走らせて父ちゃんとお母様に厨房で待機してもらうように伝えた。
伝声管は注文をとるために付けさせたものだが、この世界では馴染みのないものだ。今回は会話の盗聴で使わせて貰おう。
伯爵は一番の高級椅子にふんぞり返り、グリンダの淹れたお茶を飲んでいた。
「突然の事でしたので移動と準備の時間は貸し切りの時間にカウントさせていただきます。時間が限られておりますので手短にご用件をお願い致します」
伯爵の額に青筋が浮かんだ。
「その方、ワシを誰だと思っておる!」
「未だご紹介も承っておりませんのでどなたか存じ上げません」
…そんな事は無い。馬車の家紋を見ればわかる。東部貴族の重鎮で宮廷貴族のトップ。そして西部や南部の貴族の怨嗟の的…。
「宰相を務めておるフラミンゴ伯爵だ! 平民の分際で敬意と言うものを知らぬのか!」
「払っていただいた金額分の敬意はお払いいたします」
「ふん、浅ましい平民風情の小娘が大口をたたきおる。ならその敬意分の金になる仕事をくれてやる。織機を四台修繕せい」
「できません」
「ふん、ただとは言わん。金なら払ってやる。一台で金貨十枚、四台で四十枚じゃ」
「無理です、法に触れます。レッジャーノ伯爵より伺いました。なんでも鑑札制度が有るとかで壊れれば廃棄せねばならないとか。宰相様ならご存じのはず」
「ワシを誰だと思っている? 宰相だぞ。そのわしが良いと言えば良いのじゃ。」
「真っ平です。聖教会の教えでは法は神の名の下に施行されるもの。聖教会の教えに背くことはとてもとても…」
私は派手に聖印を切って見せる。
「小賢しい事を。それで幾らならいいのじゃ」
「四台で六十枚。鑑札の法に抵触しない旨の印璽の入った許可証と正式な契約書にも印璽をお願い致します。それから荷積みと搬送はそちらでお願い致します。今回限りであるならばこれで了承いただきたく…」
「ふふふ、小賢しいが気に入った。その条件呑んでやる。して、今回限りとはどういう魂胆じゃ」
「もし今後修理を継続するならその許可を…。そして分解して修理が出来るのならば…やろうと思えばできますが…。それは国法には触れぬと思いますが?」
私の言葉に宰相様はにやりと笑うと答えた。
「まあそうじゃなあ。王家はリネン生地の輸出と輸入に税金をかけておる。織機も同じで輸入に税金がかかる。王家に収める税金はバカにならん。いくらで作れる?」
「修理品四台をばらして二台に作り替えると二台で金貨四十枚。残りを新品にして一台金貨三十五枚。二台で金貨七十枚で請け負いましょう」
「良いのか? ハスラーから仕入れれば一台で金貨五十枚、更に一割五分の税金が取られるので金貨五十七枚と半分となるが」
「レッジャーノ伯爵家に納めた修理品と同等ならばライトスミス工房なら三十五枚で作りましょう。神の下に製造の許可を頂いて契約を結ぶならハスラー商人のように暴利は貪りません。但しこれ以上のお値引きは出来ません」
「気に入った! その不遜な態度も小賢しい物言いもな。下出に出てゴマを擦って来る小悪党よりも信用できるわ。よしそれで契約してやろう」
「有り難うございます。ご信頼に沿うように励みます。製造も有りますので引き渡しは一月後、その場で作動確認を行いましたのちお引き渡し致します。経費明細もお付けいたしましょう」
「うむ、解った。公証人を呼んで参れ。直ぐに契約書を作ろう。そろそろ貸し切り時間も尽きるのでな」
暫くするとお母様が手文庫を持って現れた。
「公証人を務めますレイラ・ライトスミスと申します」
「その方がこやつの母親か。その方の娘、なかなかに化け物の様じゃな。どうじゃワシに預けんか?」
「それはご勘弁の程を」
「そうか、まあ良い。これからも贔屓に居たそう」
そして滞りなく契約は終了した。
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