第89話 宰相(2)
【3】
オスカーはミシェルから知らせが来て慌ててカフェの厨房に走った。厨房にはもうレイラが待っていた。
店内は慌ただしく店員たちが立ち回り、客たちの移動が行われていた。
貴族の我儘に対して、客の機嫌を損ねず卒無くこなしたグリンダやエマもわずかの間に成長したものだ。
「あなた、あの馬車の家紋はフラミンゴ宰相のものですわ」
「あの東部の宮廷貴族か」
名前を聞いただけでも腹立たしい。この街の綿花市場を牛耳って入札制限をかけている首魁こそフラミンゴ伯爵率いる東部貴族たちだ。
「たぶんレッジャーノ伯爵の織機を召し上げたのもあの宰相様でございましょう。取り上げた織機を見てうちに乗り込んできたのですわ」
ハスラー商人が買い占めていたリネン紡糸、この秋パルミジャーノ州から大量の紡糸が販売された為に市場にだぶつきだした。
元々東部諸州はリネンの織物が産業の一つであったので値が下がったリネン糸を活用する為織機を増やそうと考えたのであろう。
ただリネンや綿の織物はハスラーの主要産業である。
ハスラー商人は織機の販売と製造に縛りをかけてラスカル王国内での織機の普及を阻んでいるのだ。
宰相殿はレッジャーノ伯爵の織機を見たのだろう。それで乗り込んできたに違いない。
「レイラの言う通りだろうな。もしかするとレッジャーノ伯爵の織機もあの宰相が取り上げたのかもしれんぞ」
「それならば余計腹立たしいですわ。あなたが手塩にかけた織機を無理やり取り上げて使おうなどまるで盗賊ではありませんか」
「どうする。セイラに何かあっても事だ。俺が乗り込むか?」
「人目が有るこの様な場所で愚かな事をなさるような愚物でもありませんわ。ここは様子を見ましょう。問題が起こればわたくしが参ります。子爵とは言え叔父上は南部貴族の重鎮、伯爵もそこまでの対立は望まれないでしょう」
「まあセイラもそこは
”いや、セイラの野郎はまるで
伝声管からの第一声を聞いて二人は頭を抱えた。初めからけんか腰なのだから。
「あの野郎、煽ってやがる」
「セイラは出来れば契約を反故にしたいようですわね。あの織機はセイラの自慢だったようですし。レッジャーノ伯爵にも父ちゃんが作った織機だと自慢していましたから」
「へへへ、でもまああの査察官が持って帰ったのは俺が修理したハスラー製の織機だしな。修理程度なら受けてもいいんだが、あいつは相手がだれか分かって無いのか」
「そんなはずは有りませんわ。わかって挑発してるに決まってますわ。煽り方が絶妙ですもの」
「だろうなあ。あの伯爵の言動はセイラが大嫌いなタイプだからなあ」
二人の商談はまるで進展しない。空気は険悪になるばかりに思える。
そもそもセイラには受ける気が無く、伯爵も引く気が無い様なのだ。
正論を並べるセイラと権力を押し付ける宰相の対立は、険悪な雰囲気を通り越して何やら楽しげに聞こえてくるから不思議だ。
価値観がまるで違うが案外と意地っ張りで負けず嫌いな性格は似ているのだろう。
とは言うもののこのまま対立が平行線をたどり最悪の事態に成れば聖教会も引っ張り出す事に成るかもしれない。
なによりセイラは獣人属や平民を見下す言動を殊の外嫌う。
オスカーとしては真っ直ぐに育ったセイラの性格は好ましいが、時と場合で抑える事も学ばせなければと考え始めた。
「あなた、雲行きが変わりましたわ」
二人ともただただ意地の張り合いを続けていたのではないようだ。対立しつつも落としどころを探っていたのだろう。
フラミンゴ伯爵も権力を嵩に着たゴリ押しをやめて妥協点を探ってきた。セイラもそれに応えてこちらの要望を提示して行く。
商会を立ち上げてから二年、貴族や聖職者との交渉の経験を積んできたのだから要領は知っている。
しかしあの老獪な伯爵相手に物怖じせずに食らいついて行く根性はたいしたものだ。『さすがは俺の娘だ』とオスカーは独り言ちている。
セイラとフラミンゴ伯爵の駆け引きは佳境に入った。
「しかし新品で三十五枚とは馬鹿に吹っ掛けたなあ。レッジャーノ伯爵が買った中古の織機並みの値段じゃあないか」
「それでも多分東部貴族がハスラー商人から買っている値段からすれば随分と安いのではないかしら」
伝声管からセイラの啖呵が響いてくる。
「ウハハハハハ、何が暴利をむさぼりませんだ。どの口が言うのかねえ。まあ飾り彫刻をふんだんに入れて豪華に仕上げてやろう」
「でもこれは困りましたわ。セイラが宰相様に気に入られたようですわ」
見る目の有る者なら誰でもセイラを手元に置きたいと思うのは道理だろう。
「その様だな。これからもこういう奴が増えてくるぞ。本気で上位貴族に取り込まれぬように気を付けなけりゃあな」
二人は大きな溜息をつくのであった。
【4】
王都からの印璽付きの許可証は一週間を待たずに届いた。
許可証はリネンの薄布に包み透けて見えるようにしたうえで、額装して帳場の一番高い位置に掲げてある。
ライトスミス工房の玄関口には印璽のマークの入った”王室製造許可証交付工房”の看板が掲げられた。別に何も嘘は書いていないよ、嘘は。
一月後には宰相様が引き取りにやって来てた。今回は裏の商会入り口からやってきて商談を進めた。
契約事項が有るのでお母様が同席する。私としてはフラミンゴ伯爵への当てつけでコルデー氏を同席させたかったのだけれど両親に却下された。
無事に契約が結べるのだからいらぬ諍いの種を蒔く必要が無いと言われたのだ。感情に任せて突っ走りがちな五十代の(俺)よりも三十代のこの両親の方がずっと大人だと思う。
前世との通算年齢では定年間近の(俺)としては恥じ入る限りだ。
フラミンゴ伯爵に納入するのは中古品の修理改造品が二台とライトスミス工房で作った新品二台。
中古品も改造して使い勝手は上がっているが、新品は今回の中古修理品の利点も取り入れてさらに改良して操作性は格段に上昇している。更に駆動部などの強化により強度も上がっており、部品も互換性を持たせている。
初めの交渉でも話していたが、織機など大昔からある機械なのでさすがのハスラー商人も王室も独占する事は出来なかった。
その代わりにハスラー品の修理を購入契約時に禁止する事で技術移転を阻止してきたのだ。
だから国内での製造と販売にはその契約の縛りが適用されなくなるのだ。これにお墨付きを貰えれば大っぴらに織機製造・販売が可能になる。
織機の製造販売については特に法の縛りは無いので自由となった。この一言が私は欲しかったのだ。
”法の縛りが無い機械なら製造販売が可能。”
この言い訳は最大限に使わせて頂こう。
当面、織機はフラミンゴ伯爵家を通して注文販売と修理に徹する。見境なく販売を始めて王家に目をつけられることは避けたいからだ。
私がその旨を告げると伯爵は少し驚いて私を見返す。
「もっと欲をかいて来るかと思たのだがな。まあそうなればわしが其の方の口にしたことを言っておったであろうがな」
宰相殿もその辺りは解っているようで自領のあるハルミー州に限定して徐々に入れ替えて行くつもりのようだ。
ハルミー州でもパルミジャーノ州のように株式組合の導入も可能だろうが、教導派の州に利する事はしたくないので教えてやらない。
宰相殿は納品される織機の現物確認と試運転に立ち会うべく父ちゃんと工房に出て行った。お母様も契約の確認とさらに追加契約が有りそうなため一緒に付いて行った。
私の役目はこれで終わりだ。
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