第159話 救貧院廃止法案(1)
【1】
オーブラック商会のランドック商会長には北部、東部の貴族からの投資を募って株式組合化を図る案をオズマから持ち掛けて行く事になった。
取引先も投資先の貴族を中心とした派閥に切り替えて行く事で、収益確保を狙うようにする。
特に中央街道筋の有力大貴族相手から顧客を河筋の小貴族に切り替えて河船と連動した流通に切り替えて行けば収益も上がるだろう。
当面は財務指標が出てからの話だが、オズマの話やライトスミス商会の調査結果ではそこまで不健全な経営では無い。
北部や東部の御用商人達の中では良心的な商会という評価である。
「オズマさん。オーブラック商会の支援については信頼して頂けるなら全力で支援致します。だから救貧院の救済計画に協力とまでは言いません、理解して邪魔をしないで欲しいのです」
「邪魔なんて、協力致します。私に出来る事なら何でも命じて下さい。セイラ様、私の家族を、商会員を救って頂けるならなんでも致します」
オズマは私の言葉に食い気味に感謝の念を伝えてくる。
「それを今から検討したしましょう。まず私やジャンヌさんの立場として救貧院の廃止は一刻も早く進めたいのです。私がなぜこんなにも救貧院の現状を危惧しているかという最大の理由は、救貧院に教育の為の仕組みがない事です」
「いやそうでは無かろう。劣悪な食事や過酷な労働に加えて賃金の搾取、それ以上の問題があるではないか」
ジョン殿下が若干声を荒げながら詰め寄って来る。
「もちろんですが、それは運営している人間の問題なのですよ。殿下が仰られた事は
運営先を変えるれば解決できる可能性がある。法律を変える迄も無いのです」
「ああそう言う事ですか。殿下の挙げられた問題は監査官が手を入れる事で解決が可能だと」
宰相の息子だけあってイアンは理解が速い。
「ただ、司直の手が入ったところで、トカゲのシッポ切りで本質は変わらないでしょうが…その通りです」
「それでは法的な不備の最大点が教育だと言うのか? 宿舎や家族を引き離すの収容方法や労働時間よりもか?」
「ええ、収容方法は劣悪ですが、スラムの路地で寝るよりはまだマシでしょう。家族を分ける事も苦痛でしょうが、収容されている男達から女を守ると言う利点はあります。管理官が信用できませんがね」
私の回答を引き継いでジャンヌが続ける。
「セイラさんと議論しました。やはり救貧院に入ると抜け出せない状況が一番の問題なのだと結論に達しました。職業教育を受けられないのです。鐘六つの時間、単純労働をして後は寝るだけの生活です。清貧派聖教会が聖教会工房だけを単独で設置させない理由がこれです。聖教会教室は単独でも設置いたします。ここで学んだ子はその知識で仕事に着く事が出来ますから。聖教会工房でも木工の技術はついてもそれだけでは子供たちは救済できないのです」
「しかし、救貧院の大人はどうなるのだ? 大人も…そうか文字が読めるだけでも仕事の幅は広がると言う事か」
「ええ、それに専門的な技術の必要な仕事を与えればそれを習得して働けるのです。私の尊敬するセイラ・ライトスミス様が仰られた施しでは無く魂の糧を与える事、今日を生き明日からも生きられる為に仕組み自体を変えるのです。その為には一旦救貧院は廃止しなければいけません」
…私、そんな立派なこと言った記憶は無いんですけれど。
魚を与えるより釣り方を教えろとか、知識は盗まれないとか、似たようなことは言ったけれど魂の糧なんて絶対に言わない。
いつの間にかジャンヌの中でセイラ・ライトスミスが聖人化している…。
「私はそのセイラ・ライトスミス様の考えを国中に示したいのです。救貧院を廃止して新たな仕組みを作るための法律を提案する事を考えているのです。王都の七つの救貧院の一つを無くすだけで五年かかっています。次の救貧院を廃止する為には早くても二年、全部無くす為には十五年? 二十年? そんなに時間をかけられません。法律を根本的に変えなければいつまでもこの連鎖が続くのです」
ジャンヌに何かのスイッチが入った様で熱に浮かされた様に話し続けている。
「しかし、そう簡単に法を変える事が出来るのか? 俺たちは学生だぞ、法案なんてそう簡単に作れぬだろう」
「ええそうですね。でも法案の骨子は作れます。何が悪いのか? どう変えれば良いのか? 理想を詰め込む事は出来る。全てが実現できなくても一歩でも進める為に出来る事はやります。アヴァロン商事やライトスミス商会の法律顧問たちが協力してくれるでしょう。私の
懐疑的なジョン殿下の言葉を私は否定する。
「セイラ・カンボゾーラ。君はやらずに諦める位ならダメもとでもやって見ろと言いたいんだろう。僕は共感できるぞ。やらずに後悔はしたくない」
「法案を作る事は可能だと思う。問題はその法案を通す事なんだ。私の父上は宰相としての仕事は根回しと調整だと言っている。それは私も同じ意見だよ。教導派聖教会をバックに付けた上級貴族をどれくらい黙らせるかが成否の境目だと思う」
イアンはヨハンに意気込みだけでは事は成就しないと言いたいのだろう。
さすがは政治家の息子だ。こういう場合の勘所は抑えているよだ。
「私たちの望んでいる事をどのようにして彼らの利益につながる様に思わせるかが、成否の分かれ目になると思います」
「良いのか。其の方の敵である者に利益を上げさせて」
「それで救貧院の子供たちや女性たちが救われるのでしたらばそれで構わないのです。それはジャンヌさんの仇であっても飲み込むことと致します。教導派の聖職者たちや係累の貴族たちが、己の利益に繋がると思われるような事になっても仕方が有りません。大義の為です」
ジャンヌも涙を貯めながら頷いている。
「済まなかった。其の方を誤解していたよ。大義に準じるその心意気には感じ入った。俺も協力を惜しまないぞ」
「後はあの業突く張りのファナ・ロックフォールと守銭奴のエマ・シュナイダーが何と言うかでしょうね。大義の為にあの二人を黙らせるてやれるのなら私も協力を惜しまないよ」
「イアン様はファナ様の婚約者では無いですか。そのような言い方はファナ様がお可哀そうでは御座いませんか?」
不味いよ。絶対ファナは聞いてるよ。
下の厨房行きは締まっているけれど、一本だけある三階に行く伝声管の蓋が開いているもの。
「私は宰相の息子として利益よりも大切な物が有るとファナに教えてやるためにも協力は惜しまない。伴侶となるからこそそこは譲れないのだよ。自分こそどうなのだ。ファナやエマに責められるのではないのか」
要するに色々と評価で水を開けられれているので、ここらで挽回しようと言うところなのだろうか。
「憎い相手に利益が出ると思わせる位なら、何一つ困る事はありません。それで解放された子供たちの笑顔が見れるならそれこそが報酬です」
「どうなんだろう? 宮廷魔導師たちを引き込めるだろうか。魔導師の魔導理論は聖教会の魔道書に基づくことが多い。だから聖教会にベッタリの魔導師もおおいんだ」
「ヨハン様。あなたがこの惨状を理解してあの子たちの事を思って下さるならそれでじゅうぶんですわ。この事でご両親といがみ合う必要は無いんですから。私には両親が居ないのでその想いは良く判るのです」
「でも…だからと言って僕としては救貧院改革の法案延期や廃案を実家にさせたくないし、父上や宮廷魔導士派閥には賛成票を投じて貰うよう働きかけたい」
ジャンヌの言葉にヨハンも心を決めて顔を上げた。
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