第128話 王太后

【1】

 王太后の周りに次々と教皇派閥の重鎮が詰めかけて挨拶を始めている。

 今回王太后を引っ張り出したのはモン・ドール侯爵家とペスカトーレ侯爵家だろうか。

 北海でのギリア王国のダプラ王国侵攻から一月半、敗戦降伏から一月ほどである。


 宮廷内ではギリア王国の初戦敗戦の一報が入ってから、王妃殿下の支持者が大幅に増えた。

 一早くギリア王国への非難の声を上げた王妃殿下の先見の明を評価する声が高まったのだ。国王陛下派は一年前のハウザー王国との交換留学を引き合いに全ての布石はその時からと先見性をアピールしているが、ハッスル神聖国の教皇の声明がかなりのダメージとなり内外から懐疑的な目で見られている。


 その流れも有って王妃殿下を母に持つジョン王子の王太子指名の声が優勢になっている。

 国王陛下派としては黙ってその流れに竿を刺す様な事は避けたいのだろう。

 ジョン王子の後ろ盾は当然王妃殿下とその生国であるハスラー聖公国では有るのだが、ここ一年でエヴァン王子との仲も親密になりハウザー王国からの支持も高まっていると考えられている。


 リチャード王子即位の芽を摘まぬ様に、引退したとはいえ教皇派でペスカトーレ侯爵家の直系である王太后を担ぎ出し、教皇庁やペスカトーレ枢機卿家の繋がりをアピールする事で釘を刺すつもりなのだろう。


「エヴァン王子、挨拶には行かぬ方が良い。あの方はかなり苛烈な性格で反獣人属の思想を体現した様なお方だ。俺も立場上何かあっても積極的に間に入れるほどの立場ではない。後で不敬と言われる事を加味しても今は我慢してくれ」

 ジョン王子が挨拶に向かおうとするエヴァン王子たちを押しとどめた。


「しかし、そういう訳には…」

「不名誉な事になるかも知れぬが、すまぬ。呑んで欲しい」

 エヴァン王子も緊張でであろう血の気の引いた強張った表情でジョン王子の顔を見る。


 それを横目で見ていたヨアンナがサッと歩み出ると、ジョン王子の顔に一瞥をくれてスタスタと王太后殿下の元へ歩みだした。

「久しくお会いできておりませんでしたかしら王太后殿下。ヨアンナ・ゴルゴンゾーラで御座います。王太后殿下におかれてはご存命で恐悦至極ですかしら」

「なっ…」

 王太后の顔色が変わるが、ヨアンナは構わずに畳み掛ける。


「王太后殿下もご存じかしら、ペスカトーレ枢機卿様やモン・ドール侯爵様のご尽力でハウザー王国より王族の留学生をお招きいただけたこと感謝いたしております。私もお陰で上級貴族寮に獣人属のメイドを多く仕えさせる事が出来て感謝の気持ちで一杯なのかしら」


 ヨアンナの挨拶の言葉一言一言でどんどんと王太后の機嫌が悪くなって行くのが分かる。

「それはこの会場にハウザー王国の民がいるという事か、ヨアンナ・ゴルゴンゾーラ」

「ええ、給仕をしている獣人属のメイド達も良く教育がされて貴族家の行儀見習いメイドよりずっと優秀かしら」

「今何と申しました! 獣人属が給仕?! それは誠なのか!」

「ええ、料理人にも腕の良い獣人属の者が…」


 ガシャーン!

 ガラスの割れる音が響き渡った。

 王太后が渡されていたクリスタルの酒器を床に叩きつけたのだ。

「わらわにケダモノが給仕したものを食せと申すのか!」

「いえ、その様な事は…」


 眼の良く見えない王太后にとって会場内にいる者の素性など分かるはずがない。

 もともと教皇派の貴族は獣人属のメイドやサーヴァントそして留学生が場内に居る事に、王太后はこちらから言わなければ気付かないと高をくくっていたのだろう。


 ヨアンナはそれを逆手にとって王太后に差し出された飲み物や食べ物迄獣人属のメイドが給仕したような印象を与えたのだ。

「どういう事なのじゃ、モン・ドール侯爵。王立学校の上級貴族寮にケダモノが居ると申すのか! それを其の方らが手引きしたと」

「手引きなどと…。誤解で御座います」


 涼しい顔でソッポを向くヨアンナに対して、モン・ドール侯爵がその顔を睨みつける。

「不快じゃ! 其方の頼みで出てきたやったのにこの様な事を!」

「落ち着いて下さいませ王太后殿下。御説明致します」

「黙れ、わらわは帰るぞ。この様な場に一時も居りたくない。ゴルゴンゾーラの小娘でも不快だと言うのに尚更じゃ」

 そう言い捨てると王太后は車椅子を押されて会場から去って行った。

 それに付いて教皇派の重鎮のお歴々も慌ててつき従う。これから時間をかけて弁明が行われるのだろう。


【2】

「すまぬ。ヨアンナ、不快な思いをさせた」

「お父様の足を掬ったあの女に当てこすれてスッキリしたかしら。そもそもあの女の顔を見るのも不快なのだから、追い払えてこれ程痛快な事はないかしら」

 ジョン王子の礼の言葉にヨアンナは顔も向けずにそう言い放った。


「いや、そういう訳には行かない。僕たちの代わりに泥をかぶってくれてかたじけない。ヨアンナ・ゴルゴンゾーラ公爵令嬢殿、この恩は忘れない」

「余からも礼を言わせて欲しい。その機転と胆力はさすがは次期王妃殿下の器だ」

「止めて欲しいかしら。先ほども言ったけれど折角のパーティーで不快な事を思い出したく無いかしら」

 ヨアンナは心底嫌そうに眉を顰めるとジョン王子に一瞥をくれた。


 私もフィリップ義父上から聞かされていたが、ゴルゴンゾーラ公爵家にとって最大の憎悪の対象は前国王夫妻だ。

 ヨアンナの祖父、フィリップ義父上の父に当たる先々代の国王の急死にも王太后が関わっているのではないかと聞いている。


 八年前の先王崩御の際もその後の宮廷内の内紛は苛烈を極めたと聞いている。

 それも全て王太后の主導によってだと言うのだ。

 先王には王太后以外の寵妃が三人居た。

 その内子どもがいたのは二人、三人目はまだ若く子も居なかったので惨禍は免れたが二人の寵妃は今は生きていない。


 一番年上の寵妃は前王存命中に馬車の事故で重傷を負ったという事なのだが救助が間に合わず命を落としたと言う。

 しかし王都のそれも王宮の近くでの車軸が居れる程度の馬車の事故で瀕死の重傷というのも、更に救助が間に合わなかったという事も有るのだろうか。

 それも国王陛下の寵妃だ。警備兵や護衛兵も居ない状態で馬車で出て行ったという事も腑に落ちない。


 もう一人の寵妃は前王崩御直後、喪に服すようにと修道院に入れられて一月後にその地で客死している。

 寵妃三人の実家は前王崩御後廃嫡させられたり、養子を押し付けられたりしてその実態は無くなってしまった。


 二人いた王子たちは現国王とは年も離れてまだ若く、十代前半だった第二王子は西部国境の山岳地帯の騎士団に配属され滑落で事故死している。

 第三王子は当時三歳だったが、ハッスル神聖国に送られて修道士として出家させられたと言われているがその後の消息は分からない。

 それ以外の寵妃の娘たちは準男爵家や騎子爵家に嫁がされてこの先貴族として血筋を維持する事は出来ない。元王族だとは考えられない嫁ぎ先だ。


 王太后の病はその行状の報いだとか呪いだとまことしやかに囁かれている。

 事実現国王即位の翌年には歩行が困難になり三年後には視力が低下し始め、現役を引退し離宮に引っ込む事になった。

 あの体型や症状を考えれば糖尿病のステージもかなり進行しているのではないかと思う。

 とは言うもののその影響力は大きく、自らの血筋に固執し手段を選ばない冷血なその性格は侮れない。


「あの方の冷酷で手段を選ばない性格はペスカトーレ侯爵家の血筋よりも母方の血筋の影響が濃いのではないかかしら」

 ヨアンナがポツリと言ったその言葉を私は聞き流してしまった。

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