第49話 福音派(3)

【6】

 ロックフォール家とは良い商談が出来た。王都に聖教会教室が開講できるというオマケ迄付いてだ。

 私も商会主として嬉しい限りだけれど、エマ姉が裏でどんな画策をしてきたのかが少々心配ではある。

 これまでの販売は執事のモロノー氏を通してだったが、今回は次男のファン様とパイプが出来た。侯爵家ではファン様の王立学校卒業に合わせて、長男を宮廷政治に次男を領地運営に振り分ける様で、今後ブリー州での商談はファン様を通すことが増えそうだ。

 エマ姉のお陰でファン様の不興を買う事が無いようにだけは気を付けなくては。


 そして今回の成果の極めつけは聖教会情報だ。

 ファン様が王立学校経由で耳にした話らしく、出どころもペスカトーレ枢機卿の妻の実家である子爵家と枢機卿の側近の男爵家の二か所からの情報で信憑性は高いとの事だ。

 その情報ソースが、どちらもご令嬢と言うのは少々いただけないが…。


 さすがにこの情報に関しては裏取りが難しい。

 この情報が事実だとしても、双方とも表に漏れないように動いているだろうしソース自体が限られている。

 清貧派も相手がペスカトーレ枢機卿であれば慎重にならざるをえまい。

 早々にニコライ司祭長とヘッケル司祭宛てに手紙を持たせて使いを走らせてはいるが、口外無用で下手に動かない方が良いと釘を刺してもいる。

 疑心暗鬼を生み結束にヒビが入ることが今は一番懸念される。


 誰がという事も有るが、枢機卿との接触内容すら判らないのだ。つまらぬ事務手続きやご機嫌伺である可能性も充分にある。

 監視は強化するにしても、つまらぬ犯人捜しは百害有って一利無しだ。

 その辺りは司祭長達も心得ているだろうし、何より大狸のボードレール大司祭が居るのだから任せても問題ない。

 私はハバリー亭とオープンカフェで情報収集を図るだけだ。


 そしてセイラカフェではミゲルからも聖教会関連の情報が入っている。こちらは福音派の大司祭の情報だ。

 癇癪持ちで評判は良くないようだが実家はハウザー王国の実力者らしく、実家の力でその地位に着いたため実務能力は低いと言う噂だ。

 下に就いている司祭長や司祭に実務を丸投げしていると言う商人たちの情報を得ている。

 これミゲルが私に報告してなかったら、エドの奴一言も言わないで勝手に何か企んでたろうなあ。


 ハウザー系の清貧派信徒やセイラカフェのお客から情報を集めるよう指示してみるといくらか補足情報が集まってきた。

 大司祭様は元貴族のご令嬢で南方系のバトリー家の出身だという事だ。バトリー家はハウザー王国では珍しい人族の貴族の家系で、もともとはずっと南の別の王国の男爵家だったそうだが、内戦に介入したハウザー王国に協力しその王国が併合されて時に陞爵しハウザーの宮廷貴族に召し上げられたそうだ。

 信徒たちの噂では意に添わぬ結婚を嫌って聖教会に逃げ込んだとか、身分違いの恋人との婚姻を実家に反対されて家を出たとか言われているが真相はわからない。

 ただ獣人属の信徒たちとは余りそりが合わないようだ。


 どうも福音派聖教会とハウザー貴族の間には微妙に軋轢が有るように感じる。

 教会べったりでハッスル神聖国の傀儡となっているラスカル王国の王族とはだいぶ違うようだ。

 福音派は信徒間での平等と人族と獣人属の融和を掲げつつも、教会内部の権力構造は人族至上主義のようで獣人属は冷遇されている。

 清貧派のハウザー貴族か獣人属の実力のある司祭との連携を図る方が事を起こしやすいのではないだろうか。


【7】

 ピエールのアバカス教室の日。

 私はセイラカフェの隅で教育を受ける少女たちを見つめるニワンゴ修道女を見つけた。食い入るように少女たちの手元を見つめて、ピエールの説明にも耳を傾けている。

 講義が終わると、退席しようとするピエールめがけて少女たちが殺到し質問攻めにしている。


 私はその喧騒に隠れて席を立とうするニワンゴ修道女のを捉まえて話しかける。

「ご熱心に見ていらっしゃいましたが、ご興味がおありなのですか?」

「セイラ様、こんなにも沢山の若い女性が算術の学習に来ているのは素晴らしい事です。学ぶ意欲のある女性に学ぶ場が有るという…、うらやましい限りです」


 ここ迄感動してもらうと私としては恥ずかしい。

 ピエールにたかっている娘たちの質問は、やれ休みはいつだとか好きな食べ物はとか聖教会ではいつどこで会えるのかとか算術とは関係無いものが殆んどだ。

 何事にも卒の無いピエールはそれを上手くあしらってピエレットさんの家に向かって行った。


「ご興味がおありでしたらば一度参加されてはいかがですか?」

「いえいえ、このような高価な物私どもには購入は無理でございます」

「聖教会では貧しい子供たちの為に、壊れた聖珠ロザリオを使ったアバカスも提供していますよ」

「そうなのですか。」

「ええ、ライトスミス工房で作った物をご喜捨させていただいています」


「誰でも算術の修業が出来るのは素晴らしい事ですね。ハウザーの聖教会でも出来るでしょうか?」

「アバカスの珠は少し難しいでしょうが、壊れた聖珠ロザリオを使った物の組み立て位なら…。修道女様は算術がお好きなのですか?」


「私たち鳥獣人は視覚がとても優れています。鳥目と言いますが夜目の利く者も多いのです。長旅をする種族なので地理にも長けています。暦の作成や地図の計測にも算術は必須でした。太古の幾何や代数、解析、天文どれも鳥獣人属の賢者の理論です。でも福音派の成立以降算術の評価は下がる一方です。暦学と測地学以外は正式に認められておりません。その上鳥獣人が多いその学問は神学者に成れない愚か者の学問とさげすまれております。ましてや天文や幾何は聖典の理論に相対するものとして迫害の対象です」

「暦学と天文は切っても切り離せないものなのに愚かな事ですね」


 中世の天動説や日本の和算などの事を考えると頷ける。

 原理主義者にとって天文は都合が悪い、代数や幾何は江戸時代の和算学者は趣味のパズルでしかなかった。

「鳥獣人は算術が得意なのですか?」

「ええ、特に天文や暦学の観測や測地学における距離測定にむいているのです。その知恵で古代鳥獣人の王はグラナダ王国を興し周辺の国を隷属させて圧政を敷いたのも事実です。それに反旗を翻した福音派教徒にとって鳥獣人は悪しき者なのです。そのグラナダ王国は滅び鳥獣人は世界を放浪する種族となってしまいました」


「それで修道女様は清貧派に? やはり福音派はお嫌いですか?」

「いえ、そう言う訳では…。同じ聖教会の聖職者です。聖典の解釈が違うだけで嫌いとかでは…」

 何か煮え切らない。

「ニワンゴ修道女様は算術がお好きなようですが、何故聖職者に成られたのでしょう?」

「ハウザー王国では鳥獣人は算術で名を上げる他は出世する術があまりないのです。ですから貧しいものが多い。ドミンゴ司祭はそんな鳥獣人たちを聖教会の下働きとして多く使ってくれています。その恩に報いなければなりません」


「それでドミンゴ司祭が清貧派なのであなたも清貧派に?」

「それも理由の一つですが、清貧派なら算術にも理解があると思いました。そして今こうしてラスカル王国での算術の教室を垣間見て、やはりこの思いに間違いは無いと確信いたしました」

 そう言うとニワンゴ修道女は私の手を取った。

「是非ともこの教室を、この新型のアバカスの普及をハウザー王国でも成功させたいと思うのです。なんでも致します。私に出来ることなれば何でもお申しつけ下さい。いえ、無理だと思われる事でも構いません。全霊を持ってお応えいたします。どうしても成功させたいのです」


 ハウザー王国では宗教上の理由で算術が迫害されていると言う事か。

 しかしラスカル王国でも、迫害こそない物の暦学や測地学以外では商人が帳簿をつける為の簿記ぐらいしか数学者の活躍の場は無い。力学や物理学はまだまだ未発達だ。

 聖典には天動説や地動説の記述が無いため清貧派でも教導派でも天文を異端視してはいないが、教導派の王都では鳥獣人に活躍の場は無い。

 商学や経済学の分野での活躍の場を南部や西部の諸州が提供できるかどうかと言う事だろう。


 ニワンゴ修道女の想いは解ったが、ドミンゴ司祭の意図は彼女とは離れたところにあるように思える。

 ヴォルフ氏は功利主義者と言っていたが、ハウザー商人連合の代表カルネイロ氏も似た様な事を匂わせていた。

 鳥獣人の聖教会での雇用も何か意図が隠されているように思えてならない。この案件は一筋縄では行かない様だ。

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