第108話 農村の聖教会教室(考察)

【1】

 ”読み書きや算術が何の役に立つんだ”

 どこの村でも皆同じような事を言われた。

「父ちゃん、どう思う。農村では文字も算術もそんなに不要な物なのかなあ」

 職人上がりの父ちゃんなら少しはそのあたりの事が判るのではないかと思う。


「そうだな。知らなくても今までやって来れた、ならこれからも同じだろう。そう言う考えから抜けられんのだろうな」

 そんなものなのか。読み書きや数学など教育を受ける事は国民の権利であり、受けさせる事が義務であった国で生まれ育った(俺)にはその感覚が理解しにくい。

 この世界で私として生まれ育ち、前世記憶が覚醒したときにまずやった事も文字に書いて記憶を整理する事だった。


「ウチの工房の職人は読み書きと算術を覚えるのが修行の一年目の課題だ。お前は生まれた時から文字が有って、読み書きが出来る大人しか見てこなかったからわからんだろうがな」

 子供教室を始めたのも字が読めない者が周りにいるのが許せなかったからだ。私には文字が読めない事は大きな障害があるように思えた。


「別に下町なら皆、読み書きや算術なんてできねぇ。必要な時には知ってる者に読んで貰えばいい。算術なんて物の値段が分かって釣銭を間違えなければそれ以上必要ない。屋台商や行商人だって掛け算や割り算が出来る物は殆ど居ないんだぜ。読み書きなんて論外だな」

「それでも商人ならば荷受伝票くらい読めなけりゃあ…」

「バルザック商会はどうだった? ドブネズミ野郎は字も読めないが一応商会は回ってただろう。小さな商店くらいなら読み書き算術が出来なくてもどうにかなるんだよ。読み書きが出来なけりゃできる奴に任せればいい。その為の代書屋であり公証人や会計士だ」


「でもそんな事をしてれば、会計が出来る奴の良いカモじゃない。公証人がグルなら契約詐欺にあうよ」

「だから俺達の国はハスラー商人のカモにされ続けて来たんだ。王家を抱き込んであいつらは国中を食い物にしてる。それでも街の住民は無教養が不利だって事は知っているから聖教会教室に行くだけましだ」

 ああそう言う訳か。ラスカル王国の亜麻市場がハスラー聖公国に食い荒らされているのは。


 その上綿花市場迄ハスラー商人に独占されている。

 あいつらは、ラスカル王国もハウザー王国も食い荒らしてるんだな。

「ハウザー王国でもメリージャの市民は熱心に聖教会教室に通っているようだからね。耕す畑も無いから職を失えば生きて行けないものなぁ」

「ああ、それに成功例も直ぐ近くに居るから目標をイメージしやすいんだろうな」


「でも農村は違うんだね」

「ああ、俺も深くは解らねえがだいぶ違うな。畑仕事をする労働力は有るに越したこっちゃねえ。手っ取り早いのは自分の子供だよ。子供は飯だけで使える労働力だ。使えるならいつまでもタダで使いたいって事だな」

 要は体の良い農奴のようなもんじゃないか。親は子供を出来るだけ村に縛り付けて農作業に使いたい。

 おまけに食事まで出してくれる作業場があるなら、そこで食事をさせて日銭も稼がしたい。


 村の中で完結するならそれで構わない。しかし子供たちが村から出て行ってしまうのは御免被りたい。

 出来る限り手元に置いて働かせたいのだ。

「厄介だね。都会では宮廷貴族共が平民から搾り上げて、領地では領主貴族や地主が農奴を使って領地から絞りつくしている。農村では婦女子を農奴代わりに使って絞りつくしている」

 結局世の中は領主も貴族も聖職者も、そして平民や農民も皆根本的な発想は変わっていない。弱いものからの搾取と言う手段は…。


「だから親は子供を手放したくないのか…」

「全部が全部という訳でもないだろうが、農村じゃあそれが当たり前なんじゃねえか。生活に余裕が出来れば変わってくるんだろうが、カツカツの生活をしてれば仕方がねえさ」

 一人で暮らすより家族で暮らす方が収入源も多くなり出費も抑えられるから生活して行けるという事も有るか…。

 それでも我が子の人生を食い物にしているようで納得できない。貧しさ故という言葉で割り切るには私(俺)には重すぎる。

 前世での娘に対する未練もあるが、今の父ちゃんやお母様の私に対する扱いも恵まれているので尚更だ。


「正直な話、聖教会工房の仕事なんて子供の小遣い稼ぎとしか思ってなかったよ。ラスカル王国の農村はハウザー王国よりもまだ余裕が有って裕福だしね」

「俺にも詳しくは判らないが、同じ麦畑なのにハウザー王国じゃあずっと実りが悪そうだし、麦以外に何か作っているようにも思えねえ。ラスカル王国みたいに豆や亜麻、キャベツや玉ねぎやニンニクなんていくらでも売れる作物も有ると思うんだがなあ」


 物事の変化を嫌う福音派の影響が強いので生産性が悪いのだろう。

 それでも南部では綿花やコーヒーなどを農奴を使って農場を経営する地主たちが幅を利かしている。

 利益が出るなら動くものは動くのだ。いつまでも焼き畑紛いの農業が続くはずもない。

「父ちゃん、収入の手段が替われば村の大人の意識も変わるかなあ」

「さあどうだろう。それでもゴッダードじゃあ、将来を諦めてた貧民たちが未来に希望を持つようになったじゃねえか。何もしないよりはやった方が何か変わるだろうぜ」

 父ちゃんはそう言うと私の頭をワシワシと撫ぜた。


「そうだね。どうなるか分からないけどやらなきゃ変わらないか」

「それにやるなら最善を尽くせって事だろう」

「ああ父ちゃんの言う通りだよ。それなら村人に意識改革をぶち込んでやろうかな」


「それでだ、ルイーズ。俺がメリージャを出る前にお前に言った事を覚えているか?」

「はい旦那様。街道や工場を通る土地、それに川や水場でしたよね。しっかりと気を付けて見ていました」

「それじゃあ街道については何か感じる事はあったか? 何でもいいから気付いて事入ってみろ」


 ルイーズはしばらく考えて口を開く。

「…狭かったです、中央に向かう街道でも。ブリー州やパルミジャーノ州と比べても。アヴァロン州には比べようも無かったです。それに街道から脇道に入るととても狭くて道もガタガタでした」

「そうね、馬車や人の往来も少なかったわね。それも有るから街道は狭くて整備もされていないのだと思うわ」

「それに村に向かう脇道が曲がりくねってました。何故でしょうね? 真っ直ぐ作ればすぐなのに大回りしたり」

「多分だが、あれは他所の村や管轄領を迂回して道を通してるんだろう。道を整備するのも領区や村の仕事だ。わざわざ金と手間をかけて他所の村の道迄整備したくねえんだろうさ」

 父ちゃんがヤレヤレと言う風にルイーズに説明する。


「それじゃあ広い土地が取れそうな村はどうだ?」

 父ちゃんがサンペドロ州の地図を広げてルイーズに示す。旅の間、御者席でルイーズが見ていた地図だ。

 ルイーズはポケットから反故紙のメモ帳を取り出して地図とにらめっこを始めた。

 私たちが聖教会で面談していた間に、旅程で見た事を反故紙に木炭鉛筆で書き付けていた様だ。


「旦那様。この村のこの辺りにはレッジャーノ伯爵の工場くらいの敷地が有りました。こちらの村はもう少し狭いですがすぐ近くに川が有って…」

 地図に空地の位置や川や水場の位置が書き込まれて行く、空地や水場も大中小や優良可とコメントが記されていった。


「この村は川の畔に大きな敷地が有ってとても良いのだけれど街道から離れているのが難点ね。こっちの街道筋の村も広い空き地が有るけど水場が無いわね。ここは街道に近くて川も近いけど丘が邪魔して敷地があまりとれないわ」

「一長一短があってなかなか難しいなあ…。だがこの地図は役に立ったぞ。特に街道からの脇道を良く記録してたなあ。村や空き地と街道が繋がっているかいないか地図だけじゃあ気付かないところだったぜ」

 父ちゃんがルイーズを褒める。

 ルイーズも嬉しそうに微笑んだ。


「ルイーズ。あなたがメモに取った事後で全部この地図に書き込んで頂戴。これは大切な資料になるわ。大手柄よ」

 私はそう言って父ちゃんに向き直ると宣言する。

「次はゴルゴンゾーラ卿と打ち合わせだよ。気合を入れていこう」

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