第97話 珈琲(カフェ)

【1】

 ルイーズとミシェルはすました顔で食後のコーヒーの準備を始めた。次々にテーブルに運ばれるコーヒーの香りアロマはカロリーヌの母の鼻孔をくすぐる。

 その香りアロマを味わいながら苦いブラックコーヒーをグッと飲み込んだ。これからコーヒーより苦い言葉を告げねばいけないのだから。


 床に投げ出されてカールが苦痛に呻きながら憎々しげに声を上げる。

「これで終わると思うなよ。俺はこんな事で諦めんぞ。母上もこの様な勝手がまかり通って良いと思っているのですか? サン・ピエール侯爵家の血を継ぐ息子ですよ!」

「わたくしも残念でなりません。二人いた息子が一人に成ってしまったのですから。司直の手に委ねられたなら最悪なら極刑も有りうる事ですが、大司祭様がいち早く決断されたおかげで我が家とは縁が切れました。殺した相手も脱走騎士で犯罪者ですから禁固刑で済むでしょう。うまく行けば流罪で終わるかもしれません」


「この俺を衛士に引き渡すと仰るのか!」

「当然でしょう。カロリーヌの尽力のおかげで事件の詳細は伏せる事が出来そうですが、シェブリ伯爵家にあなたの従卒が捕まっているのですから。間違いなくシェブリ伯爵家はあなたを告発するでしょう、公衆の面前であなたの従卒を晒したのですから。ファナ・ロックフォール侯爵令嬢様はカロリーヌの説得で罪人の引き渡しだけで済ませて貰えそうですが。その罪人の中にあなたも入っているのでしょね」


「まさか、そんな。俺はポワトー伯爵家の…、いやサン・ピエール侯爵家の。ああそうだ。お爺様、お婆様どうか母上を説得して下さい。高位貴族であるこの俺が衛士に捕まるなど有ってはならない事です。高位貴族は導くもので裁かれるものでは無い。聖教会の…教皇様の教義にも反するはずです。ですから…」


「カール殿。御安心なさい。其方はもう高位貴族では無いのだよ。伯爵家を廃嫡され養子縁組を解消されたのだから。もちろんサン・ピエール侯爵家も養家では無いので引き取る事などしない。家名の事は気に病まず罪を償いなさい」


「後生です。母上、お爺様、お婆様。衛士に引き渡す事だけはご勘弁ください」

「いい加減になさい! これだけの事を仕出かしておいて。以前わたくしに、”俺が枢機卿に成るのだから侯爵家でも尊ぶべきだ”と言いましたよね。カロリーヌの頼みが有ったのでサン・ピエール侯爵家から代訴人はつけてあげましょう。あなたが罪を償って帰って来たなら我が家の使用人として迎えるかどうか考えてあげましょう」

 サン・ピエール侯爵夫人の言葉にカールはへたり込んで泣き続けた。


「さあ皆様、少々興が削がれたかもしれませんが、今から新しいポワトー伯爵家の門出が始まります。来週には改めて女伯爵カウンテスの就任を寿ぐ集まりを行いましょう。内外ともにお披露目をすることに致しましょう」

 カロリーヌの母が立ち上がり宣言した。

 もうカールの方を向いてすらいない。


「家名のためなら実子でも切るということか…」

「カロリーヌ殿は何時から画策しておられたのだろう?」

「来週にはすべてがカロリーヌ様のものになるということなのか?」


「そうですなあ。外戚として差し出がましいかもしれんが一つ提案させていただきたのだ。その就任の集まりはサロン・ド・ヨアンナで開くことは出来ないだろうか? ゴルゴンゾーラ公爵令嬢殿、そのような用途で来週末にお貸し願えんであろうか? 我らにはすべてお呼びいたしたいのでな」

「ええ、もちろん。喜んでご用意させて頂きますかしら。最高の食事も、最高のおもてなしも、サロン・ド・ヨアンナのメイドやフットマンすべてを動員してをお迎え致しましょうかしら」


「僭越ながら、サン・ピエール侯爵様。サロン・ド・ヨアンナでは教導派の司祭様方は…」

 立ち上がって異を唱えようとするベンジャミン教区長司祭の裾をその妻の親族が引いて座らせる。

「ベンジャミン殿、案ずる事はない。これはただのポワトー伯爵家の当主就任式だ。司祭や大司祭の就任でも枢機卿の就任でもなく、只々一般の貴族行事なのだから気に病まれることはない」


「何をその様な詭弁を…」

「ベンジャミン様、試されているのです。ポワトー伯爵家につくか袖を分かつか」

「あっ…」

「お気になさるな。聖職者であるベンジャミン殿はその様な宴には抵抗が有ろう。どなたか名代を送っていただければそれで宜しいではないか」


 私邸内に清貧派の聖教会を持つゴルゴンゾーラ公爵家の施設を使うということは、教導派と袂を分かつことを内外ともに知らしめる事になるのだ。

 一般の貴族家がパーティーや夜会にサロン・ド・ヨアンナを使用することは多々ある。

 それが王族系や教導派寄りの貴族であっても、格式も評判も高いサロン・ド・ヨアンナなら体面も守れるし、大人数の夜会を開ける店はあまり無いため王族も訪れる。


 しかし聖教会関係は意味が違うのだ。

 そもそも聖教会関係者が大人数の集まりをする場所は聖教会である。聖職者が豪華な夜会を大ぴらに催す事はない。


 表向きは聖教会に関わる貴族家の夜会や晩餐会に招待された風を装い模様される。その際に清貧派の看板を掲げたサロン・ド・ヨアンナに絶対に赴かない。

 酒色に溺れていると名指しされ足をすくわれる可能性が多分にあるからだ。


 ここにいる招待客は来週のカロリーヌの就任祝いが自分たちの踏み絵に成るのだと皆気づいたろう。

 もちろん近隣の教区でも教導派の司祭は訪れることはないだろうし、今のサン・ピエール侯爵の発言を聞いて聖職者たちは自分の家族を名代に立てるだろう。

 その宴には清貧派も教導派も聖職者は一切来ないだろうが、聖職者の誰もいないその宴が清貧派と教導派の静かな戦いの場になるのだ。


「ちょうどお父様が王都にいらっしゃるのだわ。ぜひお父様ともどもにご出席させていただきたいものだわ。ねえカロリーヌ様、厚かましいお願いだけれどお父様やお母様も、それにお姉さまも一緒に伺いたいのだわ」

 ファナがカロリーヌにお願いするようにそう言ったが、それはロックフォール侯爵家が全力で支援するという表明でも有る。


「それならば、我が家も折角サロン・ド・ヨアンナを使っていただいたのだから父上からお礼のご挨拶をさせていただきたいかしら。出来ればゴルゴンゾーラ公爵家もご招待頂けないかしら」

「もちろんクラスの信頼の置けるお友達は、無くご招待させていただきますわ。聖女ジャンヌ様は、まだ叙階をお受けに成っておられないのですから聖職者ではございませんでしょ。是非にご参加ください」


 カロリーヌはジャンヌを招待するということで、この先のポワトー伯爵家の立場を明確に宣言した。

 あとは私を光の聖女と位置づけて闇と光の二人の聖女を味方につけていることを一族に示すのだ。


「セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢様、いえ光の聖女セイラ様。ジャンヌ様とお二人でぜひご参加ください。これまでもお祖父様の治療にご尽力くださって、こうして私がこの場にいるのもセイラ様のお力添えが有ってのこと。これからも闇の聖女様共々

 ポワトー伯爵家に祝福を賜りたいのです。どうぞこちらにいらしてくださいませ」


 私とジャンヌが微笑みながらカロリーヌのもとに向かう。カロリーヌは二人の手を取り上座の、ポワトー大司祭の前に立つと全員に向かって頭を下げた。

 後ろにはサン・ピエール侯爵とその右脇にヨアンナ・ゴルゴンゾーラ公爵令嬢が左脇にはファナ・ロックフォール侯爵令嬢が並んで立っている。

 誰の目を通しても、もうカロリーヌに敵対することは出来ないと思える後ろ盾を得たことが一族全員に示された。

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