第98話 小菓子(プティフール)

【1】

 上座の席に招かれた私とジャンヌにカロリーヌが小声で嘆じた。

「私はレオンが…、これから先レオンの命が狙われる事の方が心配です。私はヨアンナ様に言われて覚悟を決めましたが、レオンは自分で決断すらできない年ですもの。この子にそんな重荷を背負わせてしまったことが可哀そうで」

 六歳と言えばオスカルと同い年か一つ上か、そう考えるとカロリーヌの心配は良く解るが、アドルフィーネたちの言う事も解る。

 もてる者の不安なのかもしれない。


「カロリーヌ様。レオン様がお兄様のようにならない様に導くのが私たち年長者の責任では無いでしょうか。正しい事、正しい物を教えて行けば良いんです」

「ジャンヌ様。それは可能でしょうか? 今しばらくはポワトー伯爵領に帰る事は危険だと思うのです。ポワトー伯爵領のあるポワチエ州は北部教導派の地盤の一つ。州都のシャピの大聖堂は多くの教導派が残っております。一つ間違えばレオンの命も危ういかも知れません」


「王都のポワトー伯爵家の別邸は教導派の大聖堂に有るのですよね。直ぐに引き払った方が宜しいですね」

 私の言葉にカロリーヌが頷いた。

「もう、昨日からお爺様のサン・ピエール侯爵家の別邸に引っ越しているのです。しばらくは間借りですが、近くに別邸を誂える予定です」


「それならばレオン様もカロリーヌ様も極力王都に滞在される方が良いでしょうね。王都ならサン・ピエール侯爵家はもとよりゴルゴンゾーラ公爵家やロックフォール侯爵家の庇護も受けられる。カロリーヌ様が卒業しレオン様が洗礼を終える迄は王都に籠るのが宜しいですね。獣人属で構わないのでしたら私の伝手で、護衛の腕の立つ家事使用人サーヴァントも手配出来ますわ」

 ライトスミス商会を通して腕利きのメイドやフットマンを護衛としてレオンの側に付ければ防諜の役目も担ってくれそうだ。


「ジャンヌ殿、我がサン・ピエール侯爵家の別邸にも大きくは無いが聖堂がある。宜しければそこで聖教会教室とやらを開く事は可能かな?」

 そこにサン・ピエール侯爵の声が割って入った。

「ええ、それは願っても無い事で御座います侯爵様。私から是非にとお願い致したい事です。もし市井の子供達も受け入れて頂けるのならばライトスミス商会のエマさんを通して工房も併設が可能だと思います」

 それならばエマ姉を通さなくとも私が太鼓判を押すよ。


「カロリーヌ様、レオン様をその聖教会教室で学ばせては如何でしょうか? 洗礼式後の子供が対象ですが、少し早いですけれど英才教育です。我が領には高等数学や法務・財務を教える聖職者も多数います。レオン様の専属として教育を施しましょう。それに領内から優秀な子供を集めてともに教育する事で側近の育成も兼ねる事が出来ます」

「それは、可能ならば素晴らしい事ですが。お母様はどうお考えですか?」


「そうですね。ならばレオンはあなた達にお任せしてわたくしは領地の掃除に専念致しましょう。きっと上の二人の娘も快く手伝ってくれるでしょう。あの二人の夫も地元のマール州での発言力が一気に上がるのですから」

 カロリーヌの母は大司祭の名代で領地を牛耳るつもりのようだ。


 ポワチエ州はマール州を挟んでリール州の北に接する州だ。ポワトー伯爵領にある州都シャピは海に面して大きな港も持っている。

 それにマール州の東に位置するシャトラン州は河筋が分岐して王都とポワチエ州に向かう。そこのシャトラン州にサン・ピエール侯爵領が有る。

 カンボゾーラ子爵領から北に向かう河筋を抑える事が出来るとなると、この一族を手放す事など出来ない。


「しかしそれでは、レオンの面倒をお婆様にお任せする事になってしまいますが…」

 カロリーヌが心配そうに呟く。

「カロリーヌ様。近くにいる一番近い肉親はあなたですよ。出来るだけ上級貴族寮からレオン様のところに通ってあげて下さいませ。幼くして母上と離れる事になるのは辛いものです」

 私もオスカルの事を思うと辛い。何よりも生前十歳で母を失った冬海を思うと猶更である。


「そうですよ。肉親を失うのはどれ程辛いか。会えるなら出来るだけ顔を見せてあげて下さい」

 ジャンヌも泣きそうな顔で言う。そうだよな、ジャンヌは両親を殺されてその顔を知らず、育てて貰った祖母も目の前で殺されてしまったのだから。


「しかしそうなるとカロリーヌの学外での警護も重要になるわね。ここに居る二人のメイドはともかく、今のメイドも警護の教育を出来ないかしら。今後は州都のシャピにもセイラカフェを誘致して、早急に領内生え抜きサーヴァントの育成を図らなければいけないわ」

 ポワトー伯爵領、サン・ピエール侯爵領、それにマール州のカロリーヌの姉たちの領地でも救貧院の廃止と聖教会教室と工房の設置、ライトスミス商会とセイラカフェの誘致が進むだろう。


 …いつの間にか室内のメイドを仕切っていたグリンダがサン・ピエール侯爵の隣に居るんだが。

 グリンダ! その笑い顔やめろ!


「カロリーヌ様! いつも私の身辺警護をしてくれていた冒険者のパーティーが居りますの。その方たちに警護をお願いする事は可能ですわ。一人は治癒魔法にも長けた修道士でもう一人は聖堂騎士ですからサン・ピエール侯爵様の聖堂に派遣していただきましょう。そうそうあの方なら数学や法務の知識にも長けていらっしゃるし。それにもうお一方とても腕の立つ風魔法の使い手の冒険者の方も…」

「だめー! 「いやー! その男だけは…」」

 思わず悲鳴が口から出てしまった。他の二人はともかくジャックのバカは何をしでかすか判らない。

 そう言えば何故か誰かの声とハモッているな。


「バカな兄貴だけでも持て余しているのに、あいつ迄来たら手に余ります。ジャックは勘弁して下さい」

 ルイーズがジャンヌに懇願し始めた。

「えっ? えっ?」


「ジャンヌ様、ジャックはルイーズの従兄なんです。今王都で働いているルイーズの兄とジャックはよく似た性格で、その兄にも手を焼いているので」

 ミシェルの説明にジャンヌはオロオロと私たち二人を見た。

「でも…仲良しの、あの三人組で無いと。それにジャックさんは行儀作法は問題が有りますが気の良い優しい方ですし、護衛としての腕は一番ですもの」


 まあそうだな。場数も踏んでいるし、ジャクリーンさんやアルビドさんに鍛えられて、戦闘に成れば一番頼りになるのも間違いない。

 ジャクリーンさんの息子と言う事でジャンヌが一番信用しているのはやはりジャックだろう。


「良いのではないですか? レオン様も色々な人に接する事で経験を積めますし。何よりジャンヌさんの信用が厚い方たちですから」

「セイラ様…」

 ルイーズが恨めし気に私の顔を見ているがジャックだってもう十八だ。

 いつまでも、おっちょこちょいの考え無しでも無いだろう。何せ尊敬を集めた冒険者ディエゴの息子だから…。

 そう言えばジャクリーンさんのあだ名は何だったけ。


 そんな事を話しあっている傍らで、何も知らないレオンは姉の膝に座って小菓子プティフールのクリームとフルーツのタップリ乗ったフワフワホットケーキを幸せそうに頬張っていた。

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