第36話 リネンと鹿革

【1】

 四か月ぶりにカンボゾーラ子爵領に戻った私を待っていたのは、ルシンダと名付けられた妹だった。

 フィリップ義父上は、もうメロメロだ。


 まあ斯くいう私(俺)も冬海が産まれた時は同じだったので、解らないでもないが少しは私にも抱かせろ!

 可愛い妹なんだから!


 ルーシー義母上とルシンダには、聖魔法で免疫力と体力を強化した。

 これで煩わしい感染症にも対処出来るだろう。


「ところでセイラ。今年の春から麻栽培の助成金が無くなったのを知っているか? だから西部では麻畑から転作する領地が増えているそうだ」

 フィリップ義父上が切り出してきたが、

 それは初耳だった。

 やはり昨年からのリネンの値崩れが原因らしい。

 国内産リネンにハスラー聖公国産のリネンが押され、ハスラー商人がラスカル王国内でリネン糸を投げ売りした事が一因だ。


 その上安価な綿布が供給されて、値の張るリネンが嫌厭されて市場自体が縮小している。

 ハスラー商人も輸送費をかけてまでラスカル王国産の麻を買い付けるメリットが薄れ始めている。


「そもそも助成金なんて出ていたの? それも初耳なんですけど。鑑札の話や税額免除の件は知っていたけれどケチな王室が良く助成金なんて出していたものね」

「まあ、麻栽培に携わっている領主以外にはあまり知られていないがな。王国は麻売買の鑑札を売っているだろう。その上がりの一部を助成金として出していたんだ。助成金は現金で支払われるから、それに目が眩んで転作を始める領主もかなり居るんだよ」

「ああ、そうだったんだ。税額免除よりも目先の現金か。前のリコッタ伯爵みたいな奴がいたんだね。そいつらから王室も甘い汁吸う為にエサを撒いてたんだね」

「まあそうい事だが、今年の春の鑑札購入者が半分以下になったらしい。その上助成金なんて出したら甘い汁が吸えんからな」


「パルミジャーノ紡績株式組合は大丈夫かしら? 麻の確保が難しいくなるんじゃないのかしら」

「昨年ハウザー商人が放出した麻が未だありますし、今年の秋は急激に麻市場が縮小したので、リオニーの指導でダブついた麻を大量に買い集めたそうですよ」

 アドルフィーネがパルミジャーノ州の状況を教えてくれた。


 リコッタ伯爵領は領地経営の立て直しの為、ほぼ麻栽培から手を引いてソバや燕麦やライ麦やカブの栽培を始めたそうだ。

 ちなみにリコッタ株式組合は完全にパルミジャーノ紡績株式組合に吸収され、領民の雇用の一助に成っている上、領主家にはそれなりの利益も上がったので、昨年はその金で乳牛を購入し小規模ながらも放牧も始めたそうだ。


「年が明ければお前の立ち上げたフィリポ毛織物組合のベールが剥がれる。例の水力自動織機が稼働する事に成れば、一気に繊維市場の状況が変わる。夏にはゴッダードの綿花市が崩壊する可能性すらあるぞ。関係領地や株式組合へは手を打っているが、北部や東部それからハスラー聖公国の連中が何を仕掛けてくるか判らんからな。気を引き締めておけ」


 この冬から春にかけてが正念場だ。

 今でも私たちの系列の大型シャトル織機を導入している株式組合から安価で大量の綿布が供給され続けている。

 リネンは高級品。

 普段使いはラスカル王国性のコットン生地と言う住み分けが出来つつある。ハスラー聖公国製の綿布は品質の割に価格が高く市場から駆逐されつつある。


 そして高級品のリネンもパルミジャーノ州がリネン生地の安価な供給元としての地位を確立しつつある。

 来年の今頃までには、ハスラー聖公国のラスカル王国内での特権を全て剥ぎ取ってやる。


【2】

 同じころシャピの港は雪の積もる冬だと言うのに仲買人の熱気で活況を呈していた。

 冬至祭と新年に向けての駆け込み需要を見込んで新規北海航路のノース連合王国から船団が帰って来ているからだ。

 ドライフルーツやジャムや乳製品なども有るが、この商船団の目玉はなんといっても大量の鹿革である。

 この国の鹿は大陸よりも巨大で、特に越冬期を前に肥えた牡鹿は革艶も良く最高級品である。


 海洋船用の積荷倉庫の中に設えられた競り台の前には鹿革の入札を行う競売人がひしめいていた。

 その中で誰かの代理人と思しき一団が必死に鹿革を買いあさろうとしている。

 それに対抗する様に南部の商会の代理人の一団が値を吊り上げて行く。


 秋口の相場をかなり上回る額に引き上げられた価格に、南部商人たちは倉庫の隅で競りの成り行きを見守っている船主たちの一団に目を向ける。

 その中心でこちらを見ていた少女が首を振って片手を上げる。


「これ以上は無理だ。俺たちは降りる」

 その合図を見た南部商人たちが入札から降りると宣言する。

 競り合っていた代理人の一部に安どのため息が漏れたが、別の一団がなおも値を上げて食い込んでゆく。


「エマさん、降りてよかったのか? 別にシュナイダー商店なら世話になっているし、船主の内陸通商としては競り価格で無く通常相場ででも取引して良いんだがな」

「それは公平性に欠けると言う物だわ。どこの代理人か知らないけれどあの一団が納得いくまで頑張って貰へば良いのよ」

 一番大きな鹿革が競り落とされた様で競り人が均す鐘の音が響いた。

「おや、売値が決まったようですな。秋の相場の七割増しだ。よくもあそこ迄上げた物だな。あいつら一体何者なんだろう」


「今競り負けたのはハスラー聖公国の代理人。勝ったのが多分モン・ドール侯爵家の代理人だと思うわ」

「エマさんは御存知だったんですかい? ウチとしては儲けが上がって嬉しい限りだが、それで良いんですか奴らに持って行かせて」

「良いわよ。内陸通商さんにはライトスミス商会やアヴァロン商事の商品を高値で売りさばいて頂けたのだし、おかげでシッカリ儲けさせてもらったわ。だからその見返りに鹿革でシッカリと儲けてちょうだい」


「もしかして先ほどの入札で値を吊り上げたのは…」

「さあ、どうかしら。うちも鹿革の靴を扱っているから有っても邪魔にならないわ」

「その程度の鹿革なら沿岸商船がモース公国から入れているんじゃないですか」

「そうね。でもあそこは中型帆船だから内陸のカロライナで王国海上貨物株式組合が仕切っているでしょうから」

「ああ、ポワトー伯爵家とオーブラック商会が抱えている荷受け組合ですな」


 そんな話を進めている間にも次々と鹿の一枚革が高値で競り落とされて行った。

「さあ、私もそろそろ動き出そうかしら。今競り落とした方たちから鹿革の端切れをギース単位で安く譲っていただきたいの。あちらも不用品が少しでもお金になるならきっと喜んでいただけると思うの」

 そう言って仲買人の群れの中にエマは歩き去って行った。

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