第41話 聖女との対話(1)

【1】

 国王との謁見の翌日には婚姻の日取りと場所が発表され王都のサロン・ド・ヨアンナでお披露目の会食の案内が主要貴族や関係者に発送された。

 当然王立学校の在校生の間にも知れ渡り冬の休暇を終えて帰って来る平民寮の生徒たちにとっては格好の話題だった。


 私はジャンヌが帰って来たと聞いて平民寮に向かったが、そこで寮生たちに揉みくちゃにされた。

「セイラ様、ヨアンナ様とジョン王子殿下がご結婚なさるって本当ですか?」

「婚礼の儀が卒業式の翌日だとか」

「どうなのです」

「「「「「「セイラ様、答えて下さい」」」」」」


「その通りです! 国王陛下から王宮聖堂での婚礼を命じられたわ。卒業式の翌日に。今大司祭は式の準備で奔走しているでしょうね」

「「「「「「まあ! 素敵」」」」」」

 素敵な訳有るか。

 この結婚自体が政争と陰謀まみれだ。

 何より卒業式の大舞踏会は催されるのだからその場で何が起こるか予断を許さない。

「皆さんもそれまでの間に何かトラブルが起こらない様に…教導派の邪魔が入らない様に…目を光らせて下しまし」

「「「「「「ハーイ、お任せください」」」」」」

 平民寮の情報網はバカにならない。

 私たちが一歩リードしているけれどこれからは当面情報戦だ。どこで盤面をひっくり返されるかわからない。

 打てる手はすべて打っておこう。


【2】

 ジャンヌの部屋に行くとジャンヌは留守だった。

 それなのに何故かヴェロニクが居座ってホットミルクを飲みながら皿に積み上げたスコーンを食べていた。

「…いったいどういう事?」

「んっ? オズマがな、下級貴族との商談があるというからジャンヌに頼んでこちらの部屋で待たせてもらっているのだ」

 立場上あんたはオズマの側付きメイドだろう。商談の場に…、言うだけ無駄か。


「それでそのお菓子とミルクは?」

「ああ、閑だろうからとオズマが準備してくれた」

 何をやってるんだろう。オズマもこの女を甘やかすと本当にダメになってしまうぞ。まあ泣くのはルカ中隊長だから彼がなんとかするだろうけれど。


「まあ良いわ。それでジャンヌさんは何処に居るの?」

「少し前に下級貴族寮に行くと言って出て行ったぞ」

 それを早く言えよ! 多分私と話すために出て行って入れ違いになってしまったのだろう。

 どうしたものか…。

 下級貴族寮に戻ってまた入れ違いになるのも面倒だ。


「ねえ、ヴェロニク様。ジャンヌさんが私の秘密に気づいてしまったの。それで私はその話をするつもりでここに来たという訳」

「…ああ、ジャンヌなら頭も回るし今まで気付かなかった事が不思議なくらいだ。まあ憧れたセイラ・ライトスミスがこんなガサツ女だったなんて思いたく無かったのだろうがな」

 おい、あんたにそんなこと言われたくないわい。


「だからこの部屋で二人きりで話したいのよ。下級貴族寮の私の部屋にジャンヌさんを迎えに言って頂けないかしら。後は私の部屋で待機して貰っていていいから」

「おお! そう言えばナデテはホットケーキを焼くのが上手かったな」

「最近はドーナッツの腕も上達しているのよ」

「承知した! ほかならぬ聖女ジャンヌの為だ一肌脱ごうじゃないか」

 何を大層な事を。甘いものが食べたいだけじゃないか。まあ単純で御しやすいからもうこれ以上は言わないが。

 そんなだからイヴァナにまでバカだと言われるんだよ。士官学校首席が泣くぞ。


【3】

 しばらくしてジャンヌがマリーとアンヌを連れて戻って来た。そしてアドルフィーネも。

 本当にこの娘は私の心を読んでいる様だ。


「ごめんなさいジャンヌさん。何度も往復させて。悪いけれどマリーとアンヌはオズマさんの商談のお手伝いに入って貰えないかしら。私がヴェロニク様を追い払ってしまったので」

 二人は破顔して頷いた。

「よろしいでしょうかジャンヌ様」

「多分オズマ様はお困りでしょうから。メイドが居なければ商談で軽く見られてしまいますし」


 ジャンヌは微笑んで頷くが、私を見る瞳はもう既に潤んでいる。

「マリー、アンヌよろしくお願いしますね」

 二人が一礼して出て行く。


「アドルフィーネ、お茶の用意が出来たら扉の外の警備を。誰も近くに寄せ付けないで頂戴ね」

 アドルフィーネは微笑んで、手際よくポットとカップにお茶を用意すると静かに部屋を退室して行った。


「父さん…」

 扉が閉まると同時にジャンヌの金の瞳からとめどなく涙があふれだした。

 そのまま駆け寄って来ると俺(私)の胸に顔をうずめて泣き続けた。


 前世俺(私)は中量級だと言っても国体に出場する程度の柔道の実力を持っていた。一般人よりもずっと体格が良く、女子高生だった冬海は胸あたりまでしか身長が無かった。

 それが今はジャンヌの方が頭半分ほど背が高い。

 何かそんなつまらない事ばかり頭に溢れてきて嬉しい反面何を言えば良いのかすら判らず頭が真っ白になっている。


「…冬海、大きくなったな」

 ジャンヌが驚いたように顔を上げて俺(私)を見下ろすと、いきなり噴出した。

「なに…それ。本当に父さんたらいつもピントがずれてるんだから」

「いや…本当に大きくなったと思って。まさか冬海に見降ろされる時が来るとは思わなかったから」


「ホント、私だけ大泣きして…って、父さん泣いてるんだ。アハハ、父さんが泣いてるよ!」

 冬海(ジャンヌ)はそう言ってどさっと椅子に腰を掛けた。

「バーカ、そんな訳有るか! お前が頭押し付けるから髪の毛が目に入って痛かったんだぞ」

「そういう事にしておいてあげるよ。カンボゾーラ子爵令嬢様」

 そうしてしばらく二人で笑い合った。

 何を話そうか、どう接しようか、思い悩んだことが嘘のようにこの十八年の距離が一瞬で縮まってしまた。


「なあ冬海…、言いたく無ければ良いんだが…お前は…」

「解ってるよ父さんの一番聞きたいことは。でもね、ゴメン。私も解らないんだよ。十八から後の記憶が曖昧なんだ。ない訳じゃないんだ。ほら医療知識だとか農業知識だとか十八で知ってるはずのない記憶もある。でもだからと言ってその時の状況が思い浮かぶかというとひどく曖昧で霧がかかった様で…。あの時よりずっと年を取った婆ちゃんや爺ちゃんたちの笑顔や北海道の叔父さんや長野の伯母さんの顔や…それから知らない人の顔も浮かぶけどそれが記憶なのか思い込みなのかすらわからないんだよ」


「わかった。少なくともあの後もきっと命を繋ぐことが出来たと信じよう。これから少しづつ歳を重ねれば記憶も蘇るかも知れないし。俺も洗礼式で記憶がよみがえるまででも自分が八歳までに見ていた記憶を断片的に思い出していたんだ。まあテレビの番組や遊びの記憶だけどな」


「そうか、私も父さんから心移植を受けた記憶までは八歳の時にハッキリ思い出したんだ。手術後主治医の先生からそう告げられたことまでははっきり覚えているから、ゲームの記憶も鮮明なんだよね。でもそこ迄なんだはっきり覚えているのは。聞かされた後すごく泣いて泣いて…バカ、父さん、なんであの時死んじゃったのさ」

 冬海(ジャンヌ)はまた泣き出してしまった。


「ゴメン、本当にゴメン。ずっと後悔してる。今でもそれは変わらない。もうお前を、ジャンヌ・スティルトンを悲しませるような事は絶対しない。誓うよ」

 俺(私)の心臓は冬海に移植され手術は一応成功したのだろう。

 少なくとも俺の心臓は無駄ではなかったと信じたい。


「嘘よ。私は騙されないから。何よりジャンヌ・スティルトンが私だって気づいたんだもの。私の命の為に無茶をするんだよ、父さんは。でもね、そんな時は私に一言いって。私に相談してからにして。私の知らないところでバカな事はしないで。その時は私も一緒に行くから。私だって私の為に誰かが死んだり危険な目にあうのはもう嫌だもの。これからは一蓮托生だから絶対それを忘れないって約束して」


「…ああ、えっと。うん、分かった絶対約束する。破らない」

 何かこの迫力はまるで女房の絵里奈の様な。

 …そうだよな。冬海は絵里奈と俺の娘だもの。

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