三年 前期

閑話1 北の大地(1) 

【1】

 ラスカル王国の北の果ては寒く、小麦の生育にはあまり適していない。それでも領主は小麦に拘る為あまり収穫量が上がらないが半分は小麦畑、そして残りを大麦やライ麦そして燕麦とを交互に植えて農地を回している。

 ライ麦や燕麦は農民の食料で小麦は貴族の食べ物。足りない分の小麦は他領から買い付けている。

 そして最近は牛の放牧が奨励されライ麦や燕麦が牛のエサに回される。


 その上小麦の値段が上がり北西部や西部から買い取る小麦の価格が上がり、余剰のライ麦や燕麦さえ小麦の代金に支払われ始めた。

 それじゃあ小作の農民は何を食えというのだ!

 牛に食わせる燕麦を盗んで聖教会の前の大樹に吊るされた一家がいた。

 小作の農民たちはライ麦や燕麦のフスマしか食べる物が無い。家畜以下の扱いなのだ。


 聖教会は何一つ助けてくれない。教導派の聖導師は聖典の教えに従えと言うばかりで喜捨を持ってこない者など人としてすら扱われない。

 春小麦の収穫時期なのに収穫を祝う事すら出来ない。収穫された小麦もライ麦も燕麦も育てた自分たちの口に入る事は無いのだから。


 その獣人属の少年が現れたのは収穫後の成人式が終わった頃だった。

 混血の様で見た目は獣人属の血が混ざっている事も判らないが、髪に隠れたその耳は毛に覆われてピンと尖っている。

 そいつが夜にコソコソとやってきて燕麦の粥を大量に置いて行った。


 収穫の宴も催せなくて貧窮している村人たちにとって久しぶりのフスマ以外の穀物であった。そしてかつて食べていた燕麦と同じとは思えない程に驚くほどに美味い燕麦の粥である。

 久しぶりの燕麦の粥を子供たちが貪るように食べるその姿に大人たちは涙が止まらなかった。

 自分たちは家畜より劣るのかと思うと悔しくてさらに涙があふれてくる。


 翌日もやってきた獣人属の少年は村人を集めて話始めた。

「あんたら、ラディッシュって食った事がねえだろう。こいつは食えるしうめえ。玉ねぎだってバカにしてるだろうが、煮込んでスープにすれば滋養も有って美味いんだ。昨日の粥はこの玉ねぎのスープで煮込んだもんなんだぜ。ラディッシュもそのまま食えば辛いが一緒に煮込めばスープの味を吸って美味くなる。まあ俺は生で喰うのも好きだがな」

 そこで村人の一部から笑い声が漏れた。


「それからこれだ。そこらの山や森に生えている草だ。見てみな紫の棘だらけのこの花を見たことあるだろう。こいつはゴボウって言って根っこが食える。掘り出して皮をこそいで水で晒した後は煮込んでも油で揚げても食える。好き嫌いは有るだろうが不味くはねえ。それに滋養が有って腹もふくれる。俺はオリーブ油で揚げて塩をふって食べるのが好きだがな」


「おい、木の根を食べるのか…」

「木の根なんて食うもんじゃあねえだろう」

「おまえら、そんなこと言えるのか? ニンジンは根っこだろう。クスリになるからって食うが根っこには変わりねえだろう。ゴボウはニンジン以上に薬になるんだぜ。なら問題ねエじゃないか」

 言われればその通りだ。贅沢を言えば飢え死にしてしまう。


「それから昨日の粥だ。あれは燕麦を一度蒸してって言ってもわからねえか。少なめの水で煮て、それからローラーで潰したものだ。大麦でもライ麦でもそれをするだけで美味くなる。南部じゃあお貴族様でもそうやって燕麦を喰うそうだ。」

「それは信じられんぞ、お貴族様が小麦以外の物を口にするなんて」

「さすがに言い過ぎだろう」


「バカ野郎、南のお貴族様は皆清貧派だ。この押し麦の燕麦だってロックフォール侯爵家が貴族用に売っているもんだ。見てみなロックフォール侯爵家の名前と家紋がこの袋に書いてある。ああ俺は読めねえけどな」

 村人から一斉に笑い声がおこった。

「そいつはお互い様だ」

「字が読める農民なんて聞いた事がねえ」

「そもそも字なんか読めても腹の足しにもなりゃしねえ」


「それがそうでもねえんだよ。今じゃあ南部でも北西部でも字が読めて書けなけりゃあ仕事にありつけねえ。北西部じゃあ農家でも読み書きが出来て計算が出来る奴しか働かせて貰えねえ」

「おい、与太を言うな!」

「俺たちは何代も小作でやって来たが知らなくても困った事はねえぞ」


「聞きな、それじゃああんたらは何で小作になった? 土地持ちが借金を抱えた為だろう、出稼ぎの契約のつもりでサインしたら小作で縛り付けられたせいかもしれねえ。字が読めれば計算が出来ればこんな事には成らなかったはずだ。土地持ちでも自分が作った作物を高く買い取ってくれる方が良いだろう。計算が出来れば契約書が読めれば少しでも得する商人に売れたんだ。それだけじゃねえ、暦が読めれば種まきが何日後か、刈り取りは何時が良いか事前に分かる。苗だって肥料だってどれだけ買えばいいかわかって無駄が無くなる。清貧派の領地じゃあ聖教会でそれを教えてくれる。その上飯までついて簡単な手仕事で給金まで貰えるんだ」


「あんた一体何が言いたいんだ?」

「メシ迄配って、俺たちにどうしろといいたい」

「まあしばらくは俺が教えた事を試してみな。それでこの冬は乗り切れる。出来るなら近くの村や小作人にも教えてやんな。月が開けたら又来らあ。その時までによく考えておきな」


「考えるって何をだ」

「清貧派に鞍替えするかどうか、ここに残って戦うか清貧派の他領に逃げるか、子どもだけなら今から連れて清貧派領に逃げられるが大人はすぐにとは行かねえんでな」

 その半獣人属の少年の言葉を聞いて村人はざわつきだした。


「おい、そんな事が出来るのか?」

「あんた達は知らんだろうが、この領の西隣は清貧派の男爵領だ。子供の足でも一日歩けば領境を越えられる。大人なら少々細工が必要だが山を抜けるなら関所も通らないで済む。子供なら関所で止められる事もねえからな」


「…」

「なあ、向こうに行けば飯がまともに食えるんだな」

「ああ、そいつは保証する。まあ口約束だがな」

「それでも良い。このままじゃあガキどもが死んじまう。うちのガキを連れて行ってくれ頼む」


「おいおい、そんな事で俺を信用して良いのか? 人買いかもしれねえんだぞ」

「それでも売り物を殺しはしないだろう。ここに居れば死ぬだけだ」

「分かった。面倒見てやるよ。月明けには又来るからその時はどうなったか教えてやる」


 その結果四人の子供が半獣人属の少年に託された。

 少年はオートミールとかかれているという大きな袋一杯の燕麦を置いて子供たちを連れて去って行った。

 今の村にとって四人の子供をこの燕麦と引き換えに売ったとしても損な取引ではないくらいに追い込まれていた。


 これから一月近く、あの少年が言った食物で食いつなげるか、そして本当に又あの少年が戻って来た時にどうするのか。

 考える事は沢山あったが、少しは前を向ける状況が開けて来た事は事実であった。

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