閑話13 爵位継承式

 ★

 イオアナ・ロックフォールは所在無げに淡水スズキパーチのポアレをフィッシュナイフで突いている。

 ポワトー女伯爵カウンテスの爵位継承式である。


 何故私がここに居るのだろう。

 別にカロリーヌ・ポワトーと面識が有る訳でもなく、親しい訳でもない。そもそも学年も違うし、ポワトー伯爵家の権威付けの為に王都に居るロックフォール侯爵家の面々が招かれただけの事だ。


「旨いなあこのソテーは。白ワインの風味が身の中まで通っているぞ。ソースも良いがこの風味付けはどうやっているんだ」

 隣で無心にポワレに舌鼓をうっているイアン・フラミンゴを横目で見つつため息をついて呟いた。

「楽しそうで何よりなのだわ。貴方はこの茶番に何も感じないのかしら。ご自身の婚約者が主賓扱いで振る舞っているのに貴方は添え物なのよ」

 本人には聞こえていないようだ。


 ファナとイアンが婚約者同士でありながら仲が悪いのは今に始まった事ではない。ファナは婚約が決まった頃もう既に結婚に対して醒めた見方しかしていなかったのだから。

 幼い頃、そうイオアナが第一王子リチャードの婚約者候補に名前が上がった頃は、何かと反発して突っかかってきていたのだが、聖年式を迎える前くらいからそれも無くなった。


 イオアナは聖年式のあとゴルゴンゾーラ公爵家の長男ジョアンとの婚約を打診されたが断ってしまった。

 リチャードの婚約者候補であったことから王家に固執したのだ。

 結局リチャードは婚約者こそ決まっていないものの、イオアナには見向きもしなかった。


 予科の三年間も王立学校の三年間もあれこれとアプローチし、王宮や北部ハスラー聖公国の流行を追いかけて気を引こうとしたのだが全て無駄だった。

 何よりリチャード自身が不実な男で、下級貴族の令嬢達と浮き名を流しては捨てている。

 一時はクラスメートのクロエ・カマンベールに血道を上げたいたが、相手にされず…と言うより気づかれることすら無く、今では聖女ジャンヌ・スティルトンやセイラ・カンボゾーラに食指を伸ばそうとしている。


 昨年二歳上のジョアン・ゴルゴンゾーラが結婚したと聞いて、つくづくバカな選択をしたと自分でも後悔している。

 ずっと婚姻に夢を見ていた、第一王子の心を掴んで王宮に上がる夢を。

 そして二年に上がった年に夢から醒めてしまった、リチャードに無関心のクロエを見て。


 平民出身の騎子爵でしかないウィキンズ・ヴァクーラしか見えていないクロエ・カマンベールに気付いて馬鹿らしくなったのだ。

 そう、イオアナが夢見ていた恋とはクロエの様な者の事を言うのだと。

 浮気性で女を物としか考えていない様なリチャード王子など願い下げだが、かと言って糟糠臭い準貴族の妻も御免である。


 妹のファナはイオアナが公爵家との婚約を断った頃から何か吹っ切れた様に思う。

 それ迄王子の婚約者候補と言う立場のイオアナに嫉妬し何かと突っかかって来ていたのがピタリと治まった。

 同じころ台頭してきたライトスミス商会と組んで、その頃から料理をビジネスにして今や王都にでも影響力を持つ地位を築きあげている。

 それもライトスミス商会に呑み込まれる事無くだ。


 イオアナが夢から醒めた頃ファナはイアンと婚約した。

 もちろん政略結婚だが、自分の立ち位置を築いての婚約だ。貴族としての地位でも財源でも人脈でもイアンに太刀打ちできない力を持っている。

 婚家はいざとなれば息子を切っても嫁のファナを選ぶのではないかと言われる程の実力を付けている。


 それなのに、自分もだが隣で食事を貪っているイアン・フラミンゴの危機感の無さに呆れを通り越して物悲しくなってくる。


 ★★

「しかし本当にこのソテーは旨いなあ。どうやって焼いてるんだ? 流石はサロン・ド・ヨアンナだ」

「ワイン蒸しにした後に皮目をバターでソテーしているのよ。ポワレという新しい調理方法よ」

 ヨハンが感嘆の声を上げると横から口を挟むものがいた。イオアナだ。


「ああ、イオアナ様。お久しぶりですね。さすがはファナの姉上だ料理にもお詳しいのですな」

「止めてちょうだい。料理なんて使用人でもあるまいし、貴族令嬢がするものではないのだわ。そんな物に拘っているのはあの娘だけよ」

「そうでもないでしょう。聖女ジャンヌやセイラ・カンボゾーラもよく厨房に出入りしているようですし、女子たちはファナの料理は美味いと人気のようですね」

「呆れたわ、貴方はファナの婚約者でしょう。ハバリー亭に招かれたことはないの?」

「ハバリー亭? あんな高級店一介の学生風情には過ぎた店でしょう。父上は時折使っているようですが、ジョン王子殿下が学年の終わりには一度皆で行こうと仰っておられましたね。王子殿下はサロン・ド・ヨアンナを使うのは嫌なのでしょうね」


「貴方、ファナに虚仮にされているわだわ。あの娘、月に一度はハバリー亭で女子派閥を集めて食事会を開いているんだから。貴方は仕立て屋のエマ・シュナイダーより下に見られているのよ」

 さすがにイアン・フラミンゴもその言葉にムッとしたのか眉をしかめた。


「私はエマ・シュナイダーとリバーシの対戦成績は五分だ。他の賭けでもあいつが汚い手を使わなければ勝ち越しているはずなんだ。口先だけの詭弁で何でも乗り切ろうとするエマ・シュナイダーにいつまでも大きな顔をさせるつもりはないですよ!」


 …ああそうなの、貴方はエマ・シュナイダーと同じ土俵で戦っているという訳ね。

 そして今は負け越して大きな顔をされているのね。

 言い訳の言葉さえ全勝するではなくて勝ち越しとは、気概が無さ過ぎるのではないか?


 王立学校の貴族男子はこんな者なのだろうか? 同じ三年生の男子たちも下級貴族のカミユ・カンタル達に牛耳られている。

 頼り無さで言うなら第一王子のリチャードやその取り巻きも似たようなものだ。カミユ・カンタルは子爵令嬢ながら、クロエを含めた下級貴族の三人組(一年の頃は四人だったが)と、ウィキンズ・ヴァクーラたち騎士団の四人と組んでいつの間にかクラスはおろか学年も仕切っていた。


「貴方はファナに舐められてなんとも思わないの! 政略結婚だと分かっていても婚約者に相手にされないで悔しくないの。それで満足なの」

「別にいいとは思っていない。でも私には他に好きな人がいるんだ。身分など関係なくね」

「身分など…。貴方もクロエ・カマンベールみたいなことを言うのね。愚かな夢を見て現実に還った時後悔することに成るわよ。あの時馬鹿な夢さえ見なければこんな事には成らなかったって。妹に突っかかられるのなら我慢もできるのだわ。でもね妹に哀れまれるのは我慢ならないのよ」


 王立学校に上がってからあの妹はやたら私にかまって来る。

 やれ糖分を取りすぎだ、塩分が多すぎるだ、肉を止めて野菜を食べろだと。食事も糖分や脂分を落とした料理を作らせて勧めてくる。

 腹立たしいことに、これが旨いのでついつい反発しつつも食べてしまうのだ。

 そして食後の皿を見つめて満足気に微笑む妹の顔を見るたびに怒りが湧いてくるのである。


 今日だってそうだ。別にイオアナがいた所でなにか状況が変わるわけではない。

 それなのにファナが強引にイオアナの参加をねじ込んだのは、ひとえにイオアナに出会いの機会を作るためにほかならない。

 妹が悪意を持ってやっている事ではないので理不尽な事は承知しているが、妹になさけをかけられていると思うと我慢ができないのだ。


「別に僕はあの女になんと思われようが気にはしない。貴族として面識があるだけでそれ以上でも以下でもない!」

 やはりイアンもファナのことを不快には思っているようだ。

「ああ、その言葉は貴方の好きな方に対してそう仰ればいいのだわ。でも貴方が好きな方と結ばれるためにはファナは障害になるでしょうね」

 イアンは驚いたように目を見張った。

 鈍い宰相様の御子息もやっと気が付いたようだ。お互いに恋愛感情はなくとも婚約者という存在が大きな障害に成ることに。

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