第65話 ジャンヌの憂鬱
【1】
大変な一日だった。
下級貴族寮から帰ると平民寮の大食堂は誘拐未遂事件の話題で大混乱だった。
現場にいたジャンヌとエマは寮生たちの質問攻めに合わされるので早々に部屋に引っ込んで夕食もナデテに部屋まで運んでもらっている。
煩わしいだけではなく頭を整理する為でもある。
事件は一段落し、主犯のマルカム・ライオルは死んだと言われた。
おまけにクロエは助かったがセイラの部屋付きメイドのウルヴァが負傷したのだ。
この世界に生まれて今まで人が殺される現場も殺されかけた人の治療も、自分自身が殺し合いの標的にされた事も有った。
一般の人間たちよりも多くの修羅場を潜ってきている。
それでも、いやそれだからこそ人が傷つく事に嫌悪感が人一倍ある。
エマもナデテ達メイドもウィキンズはたとえ敵であっても自分から人を殺すような男じゃないと言っていた。
下級貴族の上級生たちはクロエの為に手を汚したと思っている様だが、ジャンヌはエマやナデテ達幼馴染みの言葉を信じたい。
ウィキンズはジャンヌの護衛だったジャックたちの親友だとも聞いている。彼らも冒険者や聖堂騎士では有るが相手が誰であろうと人を殺す事を良しとはしていない人たちだ。
何よりヨアンナの言葉が胸に突き刺さった。
『主人には使用人を守る責任がある』
まさか上級貴族である彼女の口からあんな言葉が出るとは思わなかった。
公爵令嬢だからもっと冷淡で使用人との線引きがはっきりしている人間だと勝手に思っていた。
もちろんゲームキャラとしての先入観が有るからだが、現実の彼女はまるで違う人間のようだ。
そもそもこんなイベントは元のゲームには無かった。クロエもウィキンズもマルカム・ライオルもゲームには名前しか出てこないのだから当然だろうが。
似たイベントならジョン王子ルートでヨアンナがセイラを襲撃すると言うのが有ったように思うがそれとは別物だ。
「誰がマルカム・ライオルを殺したかですね」
「えぇー? なぜ殺さなければいけなかったのでしょうかぁ」
「ナデタ、多分口封じでだわ。マルカムの犯行に資金援助した奴らの」
食卓を囲みながら三人で話をする。
平民寮では部屋付きメイドが居る生徒は稀だ。給仕の終わったメイドは普段厨房の奥で食事をとる。
しかしエマはリオニーとナデテに部屋で食事をとらせている。だからジャンヌとエマが部屋で食事をするときは四人で食卓を囲む。
今日はリオニーがウィキンズ釈放の為奔走しているので三人だが。
「先ほどぉ食堂に食事をとりにいた時に聞いた話ではぁ、リチャード殿下がぁ派手に動いているようですよぉ」
「リチャード殿下に情報を売っているのはアントワネット・シェブリで先ず間違いないわね」
「…えっどう言う事でしょう。何故リチャード殿下に?」
「リチャード殿下はクロエ様を狙っているみたいですぅ。だからウィキンズ様は邪魔みたいですぅ」
「この襲撃事件でウィキンズを出し抜いてクロエ様に良いところを見せて気を引く魂胆ね」
「そんなに簡単な話なんですか! そんな事の為にウルヴァちゃんは怪我をしたのですか!」
「王族や上級貴族なんてそんなものよ。平民のましてメイドの命なんて羽の重さも感じないわ」
「そうですぅ。私たち獣人属など尚更ですぅ」
「でもヨアンナ様は、それに伯父上やファナ様だって…」
「そうよね。言い直すわ教導派なんてそんなものよ」
「ジャンヌ様、エマさん、私食器を片付けて情報も収集してまいりますぅ」
そう言ってナデテは食堂に出て行った。
【2】
「いったいリチャード殿下は何を考えて何をなさったのでしょうね」
ジャンヌは疑問を口にする。
「リチャード殿下は第一王子ながら庶子。何か手柄が欲しかったのでしょうね」
「それがクロエ様救出? でも何故リチャード殿下が? 誰かに唆されたのですね」
「でしょうね。それを企んだのは別にいるという事ね」
「アントワネット様ね。なんとなくどんな絵を描いたのかは判りますが腑に落ちないところが有るのですよ」
「判りやすいじゃないの。アントワネットはエポワス副団長を通してルカ様と第四中隊を追い払って、決行日をリチャード殿下に知らせたと言う事よ」
エマが言うには決行日さえつかめれば計画の概要など推して知るべしだと。
クロエが通っていた近衛騎士団の訓練場やその途中の道での襲撃は有りうるが、第四中隊の騎士たちがいなければクロエは出て行かない。
校外ならどこでも襲撃は可能だけれど安全の為しばらくは外出は控えるはずだ。
そうなると決行日が決まっているのなら学校内でだろう。
王立学校の敷地内で襲撃をかけるなら寮内は無理、教室でも無理、そうなれば屋外での移動の途中が一番狙われやすい。
ただ王立学校の敷地は広い。確実に待ち伏せるなら帰寮時の移動時間が一番可能性が高い。
ジャンヌはエマの説明に納得する。
「でもエマさんだからそこまで推測出来たので、リチャード殿下では難しいのでは」
「リチャードなら無理ね。でもアントワネットなら直ぐに思い至るわ。その方法も含めてね」
「方法まで知っていたと言うんですか?」
当然よとエマが続ける。
先ず襲撃しても直接命を狙う真似はしない。衆人環視の状況でこれをやれば実行犯の逃走が困難なになる上に捕まれば極刑だ。
何よりそう簡単に殺人を引き受ける人間を雇えない。
ならば方法は誘拐だ。攫ってしまえば解放までの間に何をされたのかは証拠も無く無傷で開放してもクロエの名誉は失墜する。
取り巻きの騎士がいない状態ならメイド位どうとでも成ると判断するだろう。
そうなれば攫ったクロエを運ぶ手段がいる。
当然馬車が用意されるだろう。
馬車ごとアジトにでも逃げ帰って、拘束したクロエ共々そのまま放置すればそれで終わりだ。
マルカム・ライオルは実行犯と会う必要すらない。残金を貰い損ねた実行犯がクロエに何をしようがそれはそいつらの責任だ。
話の後半はエマの想像だけれどもまず当たっているのだろう。
事実エマやアントワネットならそうするのだろうが、マルカム・ライオルはクロエに手を掛ける事も考えたいたのではないだろうか。
だからウィキンズ様が激怒してあんな事になったのではないか。
「その推測をアントワネット様がリチャード殿下に吹き込んだと言いたいのですね」
「推測では無くて事実よ。あの女が吹き込んだの。間違いないのよ。ただ実行時間と場所は特定できなかったから近衛の学生騎士を使って巡回をさせたの。そして馬車が絶対に通る正面門前に手駒の第七中隊の学生を配置し待ち構えた」
「でもセイラカフェのメイドを甘く見た実行犯はウルヴァちゃんやナデタさんやリオニーさんの活躍で殿下に捕縛される前に片付けられたと言う事ですよね」
「ええそうね。それでもナデタの事は警戒していたようね。あの娘は一昨年クロエ様のメイドとしてここに居たから偽メイドを使って排除しようとしたのでしょうね」
「ねえ、エマさんこれなんだか変じゃありませんか? クロエ様にナデタさんが部屋付きメイドで就いている事を何故知っていたんでしょう? チェルシーさんと入れ替わっているのなんて簡単にわかるものでしょうか? ウィキンズ様たちが護衛を外れてから二日しか経っていませんし、それも腑に落ちません」
「そうよね。やっぱり内部に誰か情報源が居るのでしょうね」
「ねえ、おかしいと思いませんか。なぜクロエ様だったのでしょう? 何故アントワネット様は自分が狙われないと確信できたのでしょう?」
ジャンヌの問いかけにエマは凍り付いた。
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