第115話 カスバート家(2)

【3】

 返済されるという金貨の枚数を数えてマルクスは顔色を変えた。

 思っていた金額よりも随分と少ないのだ。

「ふざけるな! まるで足らんじゃないか。この額では話にならん。貴様ら良くこの金額で全額返済などと言えたものだな」


「いえ、この金額で間違いございません。先ずこの農家三軒分の証文ですが、利息の複利計算がおかしいのです。その結果返済終了の上に過払い状態になっておりましたので是正いたしました。過払い分は他の借金分から差し引いて修正いたしております」

「何を勝手なことを…」

「ご安心を過払いになった農家には信用組合から返金致します」


「更にこの村とこちらの村の利率は国の定める法定金利の上限を超えております。このままでは違法状態になりますので変更をお願い致します。法定金利内に是正すると借金は八割以上が返済されておる事になりますので負債額は此方となります」

「証文に金利は記載され、了承する手形も押してあるんだぞ!」

「ならば、王都の審問所に提出して裁定を仰ぐまでですが…宜しいのですか」


 審問所での裁定を受ければ間違いなく負けるのはカスバート家の方だ。裁定費用をかけて負けて罰金まで払わされてはかなわない。

「分かった。変更してくれ…」

「ご理解いただけて嬉しいです。ならばこちらとこちらの証文も同様に修正させて頂きます。まあ借り入れて直ぐですから返済額は大きくは変わりませんでしたがね」

「…くっ。好きにしろ!」


「その他の金利計算でおかしな所を全て是正した金額がこの結果になります。債務をまとめた結果、返済額の三割以上を減らす事が出来ました。ご協力を有難う御座いました」

「何がご協力だ! トットと失せろ! 虚仮にしやがって、不愉快だ」

 マルクスは信用組合のメンバーが出て行った扉に向かってテーブルのティーポットを叩き付けた。


「クソ! クソ! クソ! どこのどいつが農民連中に知恵を付けやがったんだ。あの村もあの農家も我が家の土地になるはずだったんだ。返せよ! あの土地も小作人になるはずだったあいつらも!」

「兄貴、あの信用組合の野郎も高等学問所からの出向だって言ってたぜ。あいつらがいらん知恵を付けやがったんだ」

「聖教会教室なんて出来たせいでこんな事になってるんだの村には絶対作らせるな!」

「そういえば兄さん、しばらく前にジャンヌとかいう平民の娘がそんな事を言って訪ねてきましたが追い払いましたよ。アナ司祭様の御名代の聖導女様がご同行されていたのでご領主様が派遣されたのではないかと」

「前の領主と繋がりが濃かったから我が家は今のご領主に目をつけられているからな。チコ! シルラ副司祭様にはちゃんと仲立ちをお願いできているんだろうな」

「ああ、兄貴の言う通り月々の付届けは欠かしていない」

「それだけでは足りんなあ。この間の織機の補填の件でも奥方と娘がでしゃばっていただろう。存外ご領主は奥方に甘すぎるからあの女が好き勝手するんだ。ご領主に直接話ができるように取り計らってもらえ。このままでは我が家の利益が削られる。ご領主に便宜を図って頂かなくてわな」


【4】

 その三日後に面会の約束が取れたのでマルクスたちは領主城に向かっていた。

 そもそもの始まりでマルクスたちはしくじっていたのだと痛感している。年若い成り上がりの領主なので御しやすいと高を括っていたのだ。

 聖教会の司祭たち、商工会の大手商人、各村の村長、そしてカスバート家を筆頭とする地主たち。

 みな協力してやる代わりに便宜を図ってもらうことを前提に新任の領主との挨拶に臨んだ。


 その結果一番に聖教会関係者たちが切られた。

 あろうことか清貧派のそれも獣人属の女性を筆頭司祭である司祭長に据えてしまったのだ。

 領主家は州都ロワールの枢機卿にもクオーネの枢機卿にもコネがあるようで、異を唱えた聖職者たちはライオル家に加担したと罪に問われ鞄一つで領内から追放されてしまった。


 その後はロワールから清貧派に転向した治癒聖職者や治癒術師たちが、クオーネからは清貧派の聖職者と清貧派の息のかかった研究者たちが続々と送り込まれて、教導派聖職者の私財はすべて没収され領内は完全に清貧派に牛耳られてしまった。

 どうにかこの領の生え抜きであったシルラ副司祭一派のみが残っただけだ。


 前領主家の没落が聖教会絡みであった事は噂で耳にしていたので、教導派聖職者はいつかは切られるだろうと思っていたがこんなにも早く一掃されるとは思わなかった。

 しかし話はここで終わらなかった。


 いきなり降って湧いたような運河の開発事業が打ち出されたのだ。それもシェブリ伯爵家の金でである。

 商工会は新しい利権を求めて沸き立ったが、領主家の御用商人であるアヴァロン商事がカンボゾーラ建設という組織を立ち上げて工事受注を攫ってしまったのだ。

 南部に伝手のあるアヴァロン商事はあちらから優秀な土木建築者を多く引き抜いて商工会の関係者は太刀打ちできなかった。


 もともと州内に利権を持っていたオーブラック商会に泣きついたが、オーブラック商会はカマンベール子爵領での同様の工事に手を取られてこちらまで手が回らないという事態に商工会は混乱した。

 領主家に交渉して入札方式に落ち着いたが、それも作業労働者を根こそぎカンボゾーラ建設に持ってゆかれて参加すらできなかったのだ。

 カンボゾーラ建設の給金が同じだったので、油断していた商工会は他の条件で足をすくわれたのだ。

 カンボゾーラ建設は食事と宿舎を無料として、一日の作業時間を商工会の半分に設定したのだ。

 技術の無い分を人数で補わなければいけない商工会は逃げてゆく作業員を繋ぎ止めることができなかった。


 その上商工会が扱っていた物産品についてもアヴァロン商事が南部や西部産の物を河船を使ってカマンベール領から大量に運び込み始めた。

 更に小売の商人たちを商工会の豪商からの縁切りを条件に専属商人として傘下に収めていった。

 品質で負け価格でも負けた商工会の豪商たちの多くは廃業に追い込まれるかアヴァロン商事の傘下に入るかの二択を迫られ、結果的に商工会もアヴァロン商事と領主家に大半を握られてしまっている。


 それでもマルクス・カスバートは農村と地主には手が出せないだろうと高を括っていた。

 農家の収穫は税収の要だ。農家の収穫がなくなれば領内の税収は滞ってしまうのだから潰されることはない。

 そう思っているとフィリップ・カンボゾーラ子爵は自作農家と地主の分断を謀ってきたのだ。

 借金の方に縛ってきた農家を農業共有組合と信用組合という搦手を使って、分断するだけでなく対抗勢力として手駒にしてしまったのだ。

 今になってまずい相手を敵にしてしまったことを後悔している。

 今は媚びてでもカスバート家の地所と収益を守ることを第一義に考え、領主家の介入を防ぐことだ。

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