閑話2 午後のお茶請け

【1】

 俺が侯爵家の厨房に入って仕事に慣れ始めた頃に初めて料理長から聞かれたことはゴッダードブレッドの事だった。

「ダドリー、お前はゴッダードの出だったなあ。ゴッダードブレッドと言うものを知っているか?」

「料理長様、そいつはゴッダードの庶民の食べ物ですよ」

「そうらしいがゴーダー子爵邸のお茶会で出されて好評だったそうではないか。侯爵様も手軽で良いとお気に入りのようであるしな」


「えーっと、パンの上にマヨネーズを塗って後はハムでもチーズでもマリネでもそれこそある物を適当に乗せて食べるだけですよ」

「マヨ? マヨネーゼ? それは何だ?」

「ゴッダードで売ってるソースです。俺もいくつか持って来てます」

「出してみろ。これはどこで手に入るんだ」


 俺はマヨ壺を料理長に渡すと答えた。

「ゴッダードのマヨネーズ売りか俺の実家のハバリー亭、でもレシピはゴッダードのライトスミス家が抑えているので壺買いしかできません」

 料理長は渋い顔をして「そうか」一言告げると壺を持って去っていった。


 少したって俺が食器の片付けをしていると聞き覚えのある金切り声が聞こえた。 

「わたしはカメリアのパンを作って来いと言ったのだわ。こんな何処にでもあるゴッダードのパンなどおよびでないのだわ!」

 暫くしてさらに渋い顔になった料理長がやって来た。


「おい、ダッド。お前お嬢様の言っているカメリアのパンってわかるか?」

「多分ゴーダー子爵邸のお茶会で出たゴッダードブレッドの事だと思います」

「じゃあお前が行って宥めてこい。お嬢様の部屋の給湯室だ」

「良いんですか? そんなところに行っても」

「良いんだよ。あそこのメイド頭に言って使わせてもらえ。あの癇癪がおさまるなら誰も文句は言わん」

 俺は白パンとライ麦パン、それにハムやニシンや卵などの食材を持ってファナお嬢様の給湯室へ向かった。


 さすがは侯爵家でファナお嬢様に三人もメイドがついている。

 給湯室もコンロが三つも付いたちょっとしたキッチンだ。

 白パンとライ麦パン一枚ずつをトーストに焼いて四つに切り分ける。子爵家のお茶会よりは小さい、一口サイズのパンにする。

 更に焼かない白パンとライ麦パンも同じ数だけ切り分ける。もちろんマヨネーズはタップリと塗る。

 パンの上にはニシン・生ハム・シュリンプ・ソーセージ…鴨肉が有ればなあ。

 もちろんハバリーサラダにタルタルソース、人参の蜂蜜煮も付ける。どの食材も花びらに見立てて人参には飾り切りを施す。

 トレイの上には十六枚の小さな花畑が出来上がった。


 トレイを運びに来たメイドが感嘆の声を上げた。

「これならお嬢様が気に入ったものをどれでもお好きに選べるでしょうね」

「でもこんなに沢山作ってもお嬢様は食べきれませんわよ」

 メイド頭も少し目を見張って、俺にここで待つように命じるとお茶のポットを持ってお嬢様の部屋に入っていった。


「ザコー! サッサとコッチに来るのだわ。本当に気がきかないザコなのだわ」

 多分お嬢様に呼ばれているのだろう、俺は扉を開いて部屋に入る。

「ザコ! この屋敷に来ていたのならまずわたしに一番に挨拶に来るべきなのだわ。誰のおかげで王都に居られると思っているのかしら」

 取り敢えず口答えはせずにスミマセンデシタと頭を下げておく。


「それが分かればいいのだわ。明日から午後のお茶の時間はザコがこれを作るのだわ」

 メイド頭が慌てて言う。

「お嬢様それならば料理長にお命じになられては。このものが作った物ならば料理長でも作れます。なにも見習いにやらせなくても」


 ああ、ここがセイラに言っていた勝負所だ。

 相手の自尊心と独占欲をくすぐるように話を誘導するとか言ってたな。

「そっ、そうですよお嬢様。料理長にお命じに成れば、侯爵様や兄君、姉君にもきっと同じものを作っていただけます。お嬢様が考えられたこの料理が姉君のお茶会でも出せると……」

 俺のその言葉にファナお嬢様の機嫌がどんどん悪くなる。


「どうしてわたしのパンをお姉さまに食べさせなければいけないのかしら。ザコ、あなたに言った言葉を忘れたのかしら。この料理はわたしの為だけに作りなさいと」

 俺は内心ほくそ笑みつつも少し慌てた風を装って言った。

「いえ、それは覚えています。でもファナお嬢様の料理をみんなに出せれば姉君や兄君もお喜びになるかと…」

「お兄さまやお姉さまを喜ばせてわたしに何の得が有ると言うのかしら? わたしはこのパンを見せびらかしてお姉さまを悔しがらせてやるのだわ」

 …なんと正直なお嬢様だろうか。


「いい事! ザコに造らせた料理はわたしの為の料理なのだわ。この家の他の誰にも教えてはいけないのだわ。判ったら明日からのお茶の時間はここにくるのだわ」

 そうしてお嬢様はメイド頭に向き直ると一言告げた。

「おなかが一杯なのだわ。だからお茶は下げて頂戴なのだわ。それからパンのトレイは後で食べるから置いておくのだわ」


 残りを食べられるかと期待していた様な二人のメイドが恨めしそうな眼をお嬢様に向けた。

 メイド頭は俺と見習いメイドを促して給湯室に戻った。

「ダッド。お嬢様の言いつけです。明日から三時のお茶の準備はあなたが担当しなさい。料理長には私から言っておきます」

 メイド頭が俺にそう告げた。


 俺は給湯室で残った食材を使って手早くゴッダードブレッドを三人分作ると調理台の隅に並べて給湯室を出た。

 メイドと見習いメイドの嬉しそうな声がドア越しに聞こえ、メイド頭の嗜める声がする。

 まあレシピ秘匿の目論見はどうにかうまく運びそうだ。

 ちなみにこの日、ファナお嬢様はあのパンを食べ過ぎて夕食を大量に残してしまう事に成ってしまった。


【3】

 それからは毎日午後の一時間ほど二階のファナお嬢様の給湯室で調理をする事が出来るようになった。

 厨房で味見したソースなどもその時に試せる上、味見の意見も聞ける。

 ファナお嬢様は侯爵令嬢だけあって味に対する感性は鋭そうだ。

 お嬢様の要望に沿って好みの味を色々調整する事も出来る。

 部屋付きのメイドさん達も機嫌良く協力してくれる。


 それはそれで良いのだが、反動で先輩たちからの当りがきつく成った。

 ファナお嬢様に媚びているだの、子供舌相手で使い物にならないだの言われている内はまだ良かった。

 準備した食器を隠されたり洗った食器をまた汚されたりとなると仕事に支障をきたす。

 適当に放り込まれている食器や調理道具は何か紛失しても気付かない。

 何が何処に幾つあるか把握できなければご立派な先輩見習い方の嫌がらせに対処出来ない。


 以前セイラが口を酸っぱくして言っていた整理・整頓の必要性が今になって実感できた。

 エ~と、四つのキーワードが有ったな。

 整理・整頓・清掃・清潔だったっけ。

 そういえば格上先輩のお三人はあの服いつ洗濯したんだ?

 何でも生地も縫製も超一流とか言っていたがそれならこまめに洗えよ、臭いんだよ。俺は安物でも毎日着替えてるぞ。


 俺が洗って片付ける食器と調理道具は、整理と整頓を徹底して行った。

 種類ごと用途ごとに片付け直して、在庫の数を記録して片付ける場所も決めた。

 今日も午後に深皿が二枚無くなっていた。


 今日のメニューでは昼に使った深皿を夕食でもスープで使う事に成る。

 仕込みが始まる前にスーシェフに報告した。

「スープ用の深皿が二枚足りません。誰かが間違えて片付けた様なので代わりに木の深皿を準備しています。」

「チッ。陶器の深皿を使いたかったが仕方ねえ。木皿でまかなうが、間違えた野郎は只じゃおかねえからな」

 格上先輩が青い顔をして慌てているのが目に入った。


 陶器の深皿はガラス食器が収められている棚から見つかった。

 ガラス食器を担当していた格上先輩の一人がスーシェフに殴られている。

「俺じゃないんです。リックの野郎が入れ間違えたんだ。そうに違いありません」

 往生際が悪い格上先輩はリックに罪をなすり付けようとした。

「おい、リックそうなのか」

 スーシェフが睨む。

「ちっ違う。俺は触ってない」

 両横に立つ格上二人に威嚇され、リックはそれ以上の反論をすることを許されない状況だ。


「スーシェフ。今日は使っていないはずのこの深皿にソースがこびりついているんですが?」

「ち、違うぞ。おいダッドお前がきっと洗い忘れてここに隠したんだろう」

「でもこのソース昼にソーシエが作っていた奴ですよねえ。そもそもここ三日ほど深皿でソースを使う料理は出してないですよね」

「そんな事なんでお前が分かるんだ」

「そもそも昼のソースかどうかも分からないじゃないか」

 格上先輩たちが食って掛かる。


 格上先輩たちの弁明を無視してスーシェフは深皿のソースを指ですくって舐める。

「ちげえねえ。今日の昼のソースだ。どういう事だお前ら」

「なんで、なんでそんな田舎者のガキの見習いのお前がそんな事分かるんだ。おかしいだろう」

「だって、洗い物の残りやソースを見てればいつ誰が何の料理を出してたか直ぐに分かるじゃないですか。ねぇスーシェフ」

「ああ、そんな事は当たり前の事だ。おいお前ら三人、ちょっと来い。その根性を叩きなおしてやる」


 短気なスーシェフは格上先輩三人を引き連れて厨房の外に連れて行った。

 そして仕事に支障をきたすような嫌がらせは無くなった。

 ただ俺は格上先輩三人から更に恨まれるようになったのは分かった。

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