第105話 領都フィリポ

【1】

 翌日レーネたちはアヴァロン州へ向かうべくカマンベール子爵領のア・オーへ向かった。

 大型の川船が運行できる波止場を備えたア・オーは冬場も船が途切れず、西部諸州の玄関口となるフェリペの街との交易で賑わっている。

 この街も西部との交易だけでなくリール州西部の河沿いの領地からの特産物も集まりだしている。

 西部の子爵領や男爵領は北部に買い叩かれるのを嫌い、南部や西部商人たちと直接取引を従っているし、カンボゾーラ子爵家も河筋の自由通行を条件に領内の通行料を取らない取り決めがなされている。

 何より大型河船を三隻運行させているアヴァロン商事の威光も大きい。


「ジャンヌ様お久し振りです。カマンベール領ではお世話になりました」

 ルーシーさんがジャンヌに丁寧に挨拶する。

「そんな、ルーシー様お顔をお上げください。そんなところに膝まづかれたらお腹の赤ちゃんにも障ります。私こそあの一月はとても楽しく過ごさせていただきました。こちらがお礼を述べる方ですわ」


 数年前にジャンヌはカマンベール男爵領を訪問し、衛生概念の指導や四圃式農業の指導を行ったと言う。

 ジャンヌにとっても四圃式農業は実験的だったらしく、カマンベール領で成功を収めとても喜んでいた。


「ルーシー様がセイラさんのお母様だったなんて、本当に驚きです。お顔を拝見するまで気づきませんでしたが、運命のお導きのようですね」

 いやね、私もルーシーさんが母親になった時はそれは驚いたんだよ、秘密だけど。

「ジャンヌ様のおかげでカマンベール子爵領はとても潤って、今では豊富な農産物や蒸留酒を輸出できるまでになっているんですよ。あの頃は領民が食べてゆくだけでヤットだったのに」


「その交易品のおかげでこの街も潤っているんだ。街は新しい商館の建築ラッシュだぞ。貸事務所も殆塞がっているし、賃貸料が入って我が家も潤うし、商人たちも商売が滞らなくて喜んでいる。セイラの言うウィンウィンってやつだな」

「でも単純に喜んでもいられないよね」

 私の言葉にフィリップ義父上が頷いて話を続ける。


「お前もそう思うか。賃貸云々は良いアイデアだが一時的なものだ。商館が運用されればすぐに終わってしまう。だがお前の思っていることはそんなことじゃないんだろ」

「この街は北部と南部の河筋、そして西部に続く街道のハブとして流通の中心に位置して益々栄えるだろうけど、カンボゾーラ子爵領として大事なものが欠けてる」


「えっ? この領はこれからももっと潤ってゆくのでしょう? それなのに何が欠けていると?」

 ジャンヌが不思議そうに尋ねてきた。

「気づいてるなら言ってみろセイラ」

「ジャンヌさん、その利益の中に領民がいないんですよ。この領はライオル家の搾取で疲弊しきっている。耕地も荒れて働き手も少ないんです」

「その上一昨年の麻疹の事件で多くの領民が死んだりカマンベール子爵領に追放されて領民も減っている」

「でも、追放された領民が帰って…」

「来ないんだよそれが。カマンベール子爵領に助けられた領民は多くが移り住んでしまったんだ。新たにカマンベール子爵家が得た地域の開発にも人手がいるからな。それに旧のライオル領を比較してあちらは天国だと感じてしまったんだろう。無理に連れ帰す事も出来ないしな」

 そう言ってフィリップ義父上は嘆息する。


「昨年は税を免除する様に触れを出したが代官や地主連中がそれを握り潰して搾取している。役人を何人かは摘発したが膿は出し切れていない」

「救貧院の解体は進んでいるけれど、それに寄生していた商人たちの反発も大きいわ。潰してしまうのは簡単だけれどその商人の関係者の受け皿は作らないと世情不安を招くし」

「カマンベール子爵領のようには行かないのでしょうか?」


 そもそもカマンベール男爵領は牧羊が中心の領地であまり裕福な領地では無かった。カマンベール家の人々も村々の農民たちと畑を耕したり羊を追ったりという近しい関係で領地内の運営も村長会議と領主一族との共同でなされていた。

 清貧派であった事とゴーダー子爵家との縁戚で有った事で、聖教会教室の導入も早くクロエや家臣の準貴族達も一緒に学んでいた事から教育水準も高かった。


 そんな領地事情も有って一気に四圃式農業に移行する決断が出来た。

 それ以降もビールの醸造や蒸留酒の製造、チーズの量産など領主や農村が協力し合って動き特産品を増やしていった。

 紡績機や織機の導入をライトスミス商会に働きかけてきたのもその表れだが、カンボゾーラ子爵領は違う。

 旧態依然の中世の封建領主さながらのライオル家が農村を圧迫して、小作農を農奴同然の扱いで酷使していたのだから。


「四圃式農法はおろか三圃式農法すら難しい状況だな。麦しか作っていない地域だし、三圃式農法をやるにも地主の土地が小さすぎる。それに地主は小作農を酷使することしか考えていないから、農地を遊ばせることに納得できないようだな」

「遊ばせるって…。ちゃんと豆を植えたり羊や牛を飼育したり…」


「この領の地主にはそれが無駄に思えるんだ。麦の植えられていない農地は無駄、収益率の低い大麦や豆は無駄。それにカマンベール子爵領のように牧羊が盛んでも無い。ましてやクローバーを植えて放牧なんて納得できないんだろう」

「地主の意識を変えるには二年三年かけて収穫量の違いを実感させなければ難しいわね。それに豆や大麦の活用先や牧畜の奨励も必要だし。農村部では聖教会教室もなかなか理解が得られなの。工房には通わせたいけれど教室に行かしたくないという人も多いわ」


「無料で学べる機会が有ると言うのにですか!」

 ルーシーさんの言葉にジャンヌはショックを受けているようだ。

「協力を得られる地主や村を作って行くのが課題ね。そうでないといつまでたっても農村は貧しいままよ」

 私はハウザー王国でも同じことを経験している。保守的で頑迷な人たちは何処にでもいる。

 ただあの時と違うのは、人ごとでは無く自領の切迫した課題なのだという事なのだ。


「私、聖教会を回って村々に訴えてみます。字が読める事がどれだけ素晴らしい事か、数学が出来る事がどれだけ有利な事かを」

「お願いします、ジャンさん。頑迷な老人たちに解らせてあげて、子供を導くのは親の務めだと言う事を。…あなたが解らせてくれなければ、私が事になるから」

 多分地主や商人共を相手に徹底的にてやる事になるだろうけれど。

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