第83話 炎上(2)

【4】

 マンステールの街は小康状態を保っていた。

 徴用に抵抗し抗議行動に出た一部の徴用農民が教導騎士団に捕縛され、その開放要求に州庁舎に赴いた農民も多くが捕縛されて斬首者を出したためだ。

 今は消極的なサボタージュを試見ているだけだ。


 州都騎士団や州兵は農村出身の者が多いためか、この件に関しては非常に消極的で、教導騎士団が州境に派遣されている今お座なりの警備だけで咎めだてをする者はいない。


「知っているか? アントワネット・シェブリ伯爵令嬢が出向いて来たという噂を」

「ああ、領地の教導騎士と司祭を連れて領主家に意見をしに来たそうだぞ」

「州内を回って農村の支援を約束して回っているそうだ」

 市中には事実とは離れた自分たちに都合のいい噂が流れ始めている。


「聞いてくれ。俺はダッレーヴォ州で清貧派領地に逃げようとして捕まった。斬首されるところをアントワネット様に救われた。その代わりにアジアーゴで苦役労働をさせられて、今は解放されてここに送られてきた。でもよう、ここよりも苦役労働の時の方がここよりマシな物を食えた。アントワネット様が来たならきっと俺たちを救いに来てくれたんだ」

「そうだ! 苦しみに寄り添うとおっしゃっている。アントワネット様は味方だ!」


 そして同じころアントワネットがかつて喜捨を施した村々でも、司祭と教導騎士団が訪問を始めてアントワネットの王都での声明文を読み上げていった。

「司祭様、アントワネット様は俺たちに寄り添って下さるとおっしゃるのだな」

「ええ、その通りです」


「アントワネット様は俺たちに味方してくださると言う事か?」

「創造主様の恩寵はきっと齎されると仰っておられます」

「アントワネット様は、わしらの後押しをして下さると言う事ですな」

「教導派聖教会の秩序と繁栄があなた方の未来を生むと仰せです」


「祈りなさい。為すべき事をなさい。創造主の定めし秩序を守るために」


「「「おお、我らにはアントワネット様がついておられるぞ! 時は来たんだ!」」」

 やってきた教導騎士や司祭はこれといった会話も無く、何一つ肯定も否定もせずにお座なりの言葉を吐いてかつてアントワネットが喜捨をした各村を回って行った。


【5】

 その村にマンスール伯爵の使い方が教導騎士を伴ってやってきた。領主からの使いなど初めての事だった。

 隣の村にはアントワネット・シェブリ伯爵令嬢の使いの司祭が回っているというのに今回もこの村は素通りだと思っていた。

 あの村は以前にもアントワネット・シェブリ伯爵令嬢の喜捨を受けている。

 そして今回もだ。


 領主様の特別徴税も当然で公平な事だと思っていたのだが、今回もまたアントワネット伯爵令嬢が何やら助けにやってきている。

 なぜあの村ばかりと忌々しく思っていたが、そこに領主様より使いが来たのだ。


 あの村にはアントワネット様から喜捨を受け取っていながら徴税を拒んでいるものがいるというではないか。

 この上アントワネット様の庇護を受けて徴税まで拒むとはと憤りを露わにしていると領主様の使いから提案があった。


 不埒な隣村の者を取り締まる権利を与えるというのだ。

 教皇庁の定めた秩序を破壊しようと企む背教者共は全て捕縛する事、そして背教者一人につき銀貨一枚の報酬を約束してくれた。


「それで背教者とそうで無い者の見分けは如何すればよいので御座いましょう」

「そうだなあ。余り難しく考える事は無いが、ご領主様のご意向に従わぬものだな」

「そう申されても学の無い我々には難しゅうございます」

「まあ、怪しいものは捕まえて自白させればよい。その方法は其方らに任せよう。安心せよ。領主代行としてワシも来ておるし、聖教会よりこうして教導騎士も参っておる。誰にも気兼ねする事はないのだ」

「そう言って頂けるのなら我々もご領主様の為に身命を惜しまずお仕え致します」


 こうして労役を課せられた村は隣村の監視と背教者狩りと言う圧迫にも晒される事になった。

 当然ながら私怨と妬みのが入り混じった暴力行為である。

 それも領主家と州と聖教会のお墨付きなのだから彼らには頼る者もいないのだ。


【6】

「もう耐えられねえ! 隣村の奴らは俺たちの村の人間を領主に売ってやがる! 俺たちがこんな仕打ちを受ける謂れはねえはずだ!」

「そうだ! 俺たちにはアントワネット様がついている。俺たちが立ち上がれば窮状を見てきっと手を差し伸べてくれるはずだ!」

「このまま黙ってれば隣村の奴らに根こそぎ奪われて領主に売られるか、ここで飢え死にするだけだ!」

「打って出るぞ!」


 耐えかねた村々は遂に爆発した。

 領主に与した隣村の襲撃を行ったのだ。

 血で血を洗う報復の連鎖がアルハズ州の農村同士で発生し始めていた。


 文字の読み書きの出来ない農民には声明を発する術も窮状を伝える術も持たなかった。ただその農村同士の争いは凄惨な結末だけを残して終結していった。

 そして村々が疲弊しきった頃合いで、アントワネットから農民の窮状と農村同士の争いを嘆き死者を悼む声明が出された。

 そして持ち主が居なくなった農地についてはアントワネットが慰労と追悼のための喜捨を与えて買い上げていった。


「これで不要な村が幾つか潰れる事になったわね。ブエナ、その後は手筈どうり任せたわよ」

「はい、お嬢様。救済の為に農地を買い上げ終了しましたので、牧羊地に致します」

「ええ、あのセイラ・カンボゾーラがやっている事よ。しばらく…後一年もすればこの州は終わるわ。それ迄は精々農民共を煽っておけば良いのよ。領主貴族たちも無駄な兵力を割かずに州内の不満分子を一掃できたと喜んでいるわ」


 アルハズ州では州内の不満分子を押さえる為に教導騎士団を増強している。軍務卿がジョン王子についたため州都騎士団やその下部組織の州兵を上手く動かせないからだ。

 そしてその資金はシェブリ伯爵家が貸し付けている。


「この程度の騒乱ではたいした利益にはならないわ。派手に火を付けたいけれど清貧派派閥に口を挟ませたくない。ならこうして教導派農村同士で争ってくれる方が都合が良いのよ。余った農民も排除できて土地も手に入る上、内紛になれば更に軍備に費用が掛かる。貸し付ける原資は充分蓄えているのだから、全てが終わった後に周辺州を呑み込むだけよ」


「それをあのセイラ・カンボゾーラが黙ってみているでしょうか?」

「だから外から見えない様に進めるのよ。あの女は頭の切れる愚かものよ。理想主義者の聖女ジャンヌなどに入れ込むから、この王国を牛耳れる王妃になれる器を持ちながら一介の子爵令嬢のままでいるのよ。誰でも何かの役に立つ? そんな言葉で無能を生かして何になるの? 私の為に役に立つ者以外必要無いのよ。だからエマ・シュナイダーのような女に上前を撥ねられてしまうのよ」


「ええ、エマ・シュナイダーやヨアンナ・ゴルゴンゾーラを蹴落とせばすぐにでも王妃に手が届くものを…」

「王妃に手が届いたところで無能を飼い続ける事になるのは今の王妃殿下を見ていれば解るでしょう。いくら実力が有っても無能な国王や愚かな寵妃や頭のおかしい王太后を相手にするのは御免よ。北部中央の三州とカブレラス公爵家のアストゥリアス州、そしてモン・ドール侯爵家のペルラン州まで抑えられれば文句はないわ。リール州も全て欲しいけれど相手がセイラ・カンボゾーラでは難しいでしょうね」


「北部の太守をお望みですか? アントワネット様」

「少なくともあの労害のペスカトーレ侯爵家の下には立ちたくないわ。私は女王や王妃でなくても女侯爵マルケーザを正式なものに出来れば十分。そうなればブエナ、あなたの望みも叶えて上げる事が出来るかも知れないわ。あなたも女男爵バロネス呼ばれる事になるわよ」

「勿体ないお言葉です。私はいつまでもお嬢様のメイドで御座いますよ」

 

 アントワネットの思惑は順調に進み始めている。

 そして多くの農民が踏みにじられ疑念と不信でお互いに傷つけあっているのだ。

 マンスール伯爵家やアルハズ州の領主貴族に搾取されながら、その怒りは農民同士の諍いにぶつけられている。


 そしてその全ての利益をアントワネットは吸い取ろうとしているのだ。

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