第82話 炎上(1)

【1】

 この小康状態を利用してマンスール伯爵を始めとするアルハズ州の諸領主との会談による解決を図ろうと私達が動き始めた矢先にちゃぶ台をひっくり返そうとする者が現れた。

 アントワネット・シェブリ伯爵令嬢である。


 何かやるだろうとは覚悟していた。

 そして思った通りそれはお座なりの声明文から始まった。

 またいつもの通り王都のペスカトーレ侯爵邸の前でペスカトーレ侯爵家の使用人がアントワネット・シェブリ伯爵令嬢の声明だという文章を読み上げたのだ。


 曰く、農民たちの苦痛は痛いほどよくわかる。市民の苦悩は心から理解している。何の力も無いこの身ではあるが、皆の苦しみに寄り添って生きたい。

 耐えれば創造主の恩寵がきっと齎されるだろうからそれまで我慢して欲しい。

 私も創造主に祈ろう。教導派聖教会の秩序と繁栄があなた方の未来を生むのだから。


 まるで実の無い、口先だけの綺麗ごとを並べた上で教導派の正当性を訴えて終わりだ。

 いや不確かな希望を抱かせる分、さらに質が悪い。


 オズマやナデテからの情報によると、この声明はアルハズ州の各地で読み上げられて不満領民たちはアントワネットは自分たちの味方だと盛り上がっているらしい。

 これで紛争が押さえられるのならば私達もそれで良かった。

 しかしアントワネットの行動はこれで終わりでは無かった。


 あろう事かリール州の州都であるシェブリ伯爵領のロワール大聖堂から司祭と教導騎士団を派遣させてアルハズ州内を回らせてアントワネットの声明文を読んで回らせたのだ。

 それも我々に気取られぬ様にオーブラック州の州境を通してである。


 アルハズ州の不満領民はロワールからやって来た司祭より、シュエブル伯爵家の旗を掲げた教導騎士に色めき立った。

 もしかの時のシェブリ伯爵家による軍事介入を期待してしまったのである。

 最悪の事態に陥った時自分たちの後ろにはシェブリ伯爵家の教導騎士団がついている。立ち上がれば賛同してくれるはずだと勝手な思い込みが不満領民の間に広がった。


【2】

 北部中央が混乱状態に喘いでいる中にあって、シェブリ伯爵家は潤っていた。

 シェブリ伯爵領では無く伯爵家がである。

 リール州西部の下級貴族領地やアヴァロン州北部、地区に隣接するカンボゾーラ子爵領とカマンベール子爵領の繁栄を間近に見ているのだ。


 直接の交流は無くともそのノウハウの片鱗は掴んでいる。

 領主家による土地と小作農の囲い込みに始まり、牧羊への転換で羊毛の収益を上げているのだ。


 羊毛は当然北西部や北部の紡織が盛んな地域に売却されるのだが、領民から領主家が極限まで搾り上げた羊毛を私たちの相場価格で売却するためその利益は大きい。

 私たちアヴァロン商事やライトスミス商会としてはシェブリ伯爵領産の羊毛を買い叩けばその余波は自分たちの身に跳ね返って来るので愚かな真似は出来ない。

 そんな事で羊毛価格に値崩れが生じれば折角築き上げた労務態勢が崩壊する可能性があるからだ。


 それだけでは無い。シェブリ伯爵領で産出する羊毛の一部は州内で紡績加工される。

 とは言ってもライトスミス木工所の紡織機は卸していないので旧式の紡織機での家内製造である。

 私たちの領地の工場で一人が織る羊毛を十人で織って私たちと同じ価格で販売している。

 それによって領内の余剰となった農民を働かせているのだ。

 当然その賃金はカンボゾーラ子爵領の領民の十分の一、どころでは無い。

 更にそこから領主家が苛酷な税を取り上げる為十五分の一以下である。


 そしてその金は貴金属や絹、そして磁器製品などに姿を変えてシェブリ伯爵家に蓄えられるのだ。

 当然農地転用で穀物の収穫は大幅に減少し領内は穀物の不足による価格の上昇に喘いでいる。

 シェブリ伯爵領の領民はほぼ食べて行くだけ精一杯なのだがそれでも生きて行ける状態が保たれている。

 ここがシェブリ伯爵家の、アントワネットの狡猾な所なのだ。


 対外的には裕福なシェブリ伯爵家はモン・ドール侯爵家やペスカトーレ侯爵家に並ぶ軍事力を誇る教導騎士団の駐屯地でもある。

 その令嬢であるアントワネットの名代でアルハズ州に派遣された教導騎士はアルハズ州の不満農民たちには救世主に映ったようだ。


【3】

 その頃アントワネットの身はアルハズ州の州都マンステールのマンスール伯爵家領主館に在った。


「アントワネット様、この度の巡回は一体どういう意図が有って」

 ユリシア・マンスール伯爵令嬢は少々当惑気味にアントワネット問い掛けている。


「私としても事を荒立てたく無くて。あのように折角喜捨をした村々が税を拒むなど、許しがたいとは思いましたがかと言って勝手なことをして伯爵様にご迷惑がかかるような事も避けたいと思いましてこうやってまいりました」


「もちろんで御座いますわ。アントワネット様のお心も解らぬ農民風情が…」

「出来るならば私もお力になりたいと思いましたが、清貧派の背教者共が州境に集結していると耳にしました」

「ええ、清貧派の悪魔どもがあろう事か騎士団を連ねてポワチエ州の州境に…。それだけでは御座いません! あの蝙蝠女の実家のエポワス伯爵までもが州兵を展開しておりますのよ。どちらも教導派の裏切り者、背教者ですわ!」


「ですから気付かれぬ様にオーブラック州からこうやってロワール大聖堂の司祭様と教導騎士を連れてまいりましたの。農民たちを非難して暴発させる訳にも行かず、慰撫して思いとどまらせるためにあの声明を出したのです。これから司祭様たちには不穏な村を回って慰撫に勤めて貰うとともにもし暴発する様な事が有れば州境に展開する教導騎士団の代わりに私共の騎士団が誅殺いたしましょう」


「アントワネット様、感謝の言葉も御座いません。今のこの状態では兵が居らぬので領民を取り締まる事も出来ず難儀しておりました。創造主の、聖教会の摂理に歯向かうような愚かな言動を繰り返す犯罪者が横行しておるのです。マンステールの街でも不届き者が出ましたので、その時は教導騎士団が捕縛して全員晒し首にする事が出来ましたが、今そのような事が起これば鎮圧する兵も足りず…」


「ご安心して下さいな。私に考えが有ります。ここは私にお任せくださいな。この領を、この州を背教者の好き勝手にさせるつもりは御座いませんよ。私たちは聖職者に、教皇猊下に連なる者です。創造主の秩序を乱すものは何人たりとも許してはいけません。貴族の創造主から賜った義務はこの世の序列と秩序を守る事。それに唾する様な平民風情に、農民風情に屈してはならないのです」


「アントワネット様、私が愚かでした。覚悟が足りませんでした。この手が汚れようとも創造主に賜った秩序を守るためならもう厭いませんわ」

「ユリシア様、私達が手を汚す必要すらないのですよ。下賤の物は下賤の者として創造主から与えられた義務があるのです。下賤の民は私たち高貴なる者に対する義務を果たすべきなのですよ。高貴なるものが汚れぬように」

 そう言ってアントワネットは暗い微笑みを浮かべユリシアを抱きしめた。

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