第81話 発火
【1】
アルハズ州の幾つかの村で特別徴税が行われた。
それらの村では余剰の穀物か金貨、それが出来ない場合は労役の義務が課せられた。
当然アルハズ州の農村に余剰の穀物など無く、それを出せば収穫期までの食料は枯渇する。
そんな状態で金貨など当然出せる訳もない。
結局農繁期でありながら労働力の供出意外に方法はない状態であった。
この時期に食糧を取られ人手を取られ、その理由もアントワネット・シェブリ伯爵令嬢から喜捨を受けたのだからと言う理由である。
当然近隣でも喜捨を受けていない農村は徴税対象にはなっておらず、又その近隣の村も彼らが徴税対象となる事を冷めた目で見ている。
連れて行かれた農民たちは牧草地を増やすための森林の開墾場や街の城壁や街道の補修に駆り出されている。
特に開墾場についてはその近隣の村々では、その森が冬季の食料や燃料の供給地としても機能している為その怨嗟は尋常の物では無かった。
夜な夜な宿舎が襲撃される事も稀では無かった。当然開墾機材などは破壊されたり夜に火を放たれた事も幾度かあったのだ。
労役農民の監視の為に派遣されている領兵もあまり警備の宛てにはならず、隣村との対立はエスカレートして労役農民と周辺農民との間で流血沙汰の対立が顕著になりだしていた。
そんな頃都市部で別の噂が流れ始めていた。
そろそろアントワネット・シェブリ伯爵令嬢が動き出すのではないかと言う憶測だ。
今回の徴税はアントワネット伯爵令嬢の喜捨先を標的にしている。
そしてアルハズ州の州都を治めるマンスール伯爵家の令嬢はアントワネット伯爵令嬢とジョバンニ・ペスカトーレ大司祭の妻の座を争うライバルでは無いか。
それならば慈悲深いアントワネット伯爵令嬢がいつまでも黙っている筈は無いだろう。
そして頃合いを見計らったようにアルハズ州の各街でゲリラ的に声明文が読み上げられ始めた。
特に徴用された農民たちの作業場では頻繁に表れては声明の要約を語って行く。
「今回の徴税は王法や聖典に準拠しない法令に該当するんだ! みんなよく聞け! これは不当な徴税であり不当な徴用なんだ。以前の農村開放要求にも該当するし二重に不当行為がなされているんだぞ!」
農民たちは彼が言っている事の半分も理解できなかったが、違法な徴税が行われている事も今自分たちが違法な行為の為に搾取されている事も伝わった。
溜まっていた不満は違法と言う言葉によって限界点に達しつつあった。
ただだからと言って何をすればいいかまだ理解できない。
アントワネット・シェブリ伯爵令嬢が喜捨をもたらした時は自分たちは隣村と違い聖教会の祝福に預かった選ばれし村だと誇りに思ったがそれがこの結果だ。
徴用されて連れ去られる時隣村の住民は嘲りと侮蔑の目で自分たちを送り出した。
領主の派遣した領兵はアントワネット・シェブリ伯爵令嬢の喜捨を笠にその慈悲深い行為を踏みにじっている。
そしてこの地の聖教会はその行為を見てみぬふりをしている。
「もう頼れるのは聖女ジャンヌ様とアントワネット様しかない」
「しかしだからと言って俺たちは何が出来る」
「この州にはジャンヌ様も清貧派の司祭様も来ることは出来ない」
「だから要求書に宗派を選ぶ権利と司祭を選ぶ権利が謳われているだろうが!」
「それでも…どうすれば声が届く。俺たちの嘆きが聞こえる?」
「方法はある。不当な方による不当な徴用は受ける必要が無い! そもそもこんな仕事を俺たちがやる謂れは無いんだよ!」
作業員たちのどよめきの声が上がった。
不当な事に従う必要はない! それは通りだと見な思えた。
我々はアントワネット様に認められた正しき教導派教徒だ!
人を傷つけたり物を破壊したり盗んだりするわけでは無い。何一つ聖典にも王法にも違反する事は無いはずだ。
その時である。
農民たちのどよめきを聞きつけた領主兵という名ばかりのならず者の監視員たちが押しかけて来た。
「何を集まってる! 勝手に集まる事は禁止だ!」
「喋るな! 悪巧みか! 集まって相談事も禁止のはずだぞ!」
「誰かひとり走って逃げたぞ! 脱走者か?」
「追いかけろ! お前は残って点呼をとれ!」
要求書とか言うものの事はよく解らないが、自分たちが違法に搾取されている事は理解できる。
そして明日からやるべき事も朧気ながら分かった気がした。
【2】
後期に入ってからユリシア・マンスール伯爵令嬢は登校していない。
クラウディア・ショーム伯爵令嬢もマルコ・モン・ドール侯爵令息もほとんど姿を見せていない。
北部中央の各所領が何処もごたついているからだ。
特にアルハズ州は新たな徴税を強行し農村や都市全ての地域で不満が溜まっているのだ。
その上これまで行っていたジャンヌの名前での喜捨も、州内の護衛不足を理由に荷を接収されて州外に追い払われた。
清貧派の抗議は無視されて、接収した食料の配布先も明確にされないまま領主たちは沈黙を続けている。
アルハズ州内に大きな情報網を持たない清貧派の私たちは情報が殆んど無い状態でヤキモキと焦りだけ募らせていた。
これまではジャンヌの喜捨隊が領内を回って情報を集めていたのだがそれが出来なくなったからだ。
それでも北部商人たちの口を通してオーブラック商会が情報収集に努めてくれた結果、大変な情報が入って来た。
州都マンステールでサボタージュを図った徴用農民の大量の弾圧が発生し、多数の農民が捕縛されたという。
自体はそれだけで収まらなかった。
捕縛された農民を取り返そうと他の農民たちが州庁舎に集まり抗議の声を上げたのだ。
そしてそれを鎮圧するために教導騎士団が動員され多くの死傷者と逮捕者が出たという。
「もうこうなっては悠長な事は言っていられません。クオーネの大聖堂に協力を要請して大規模な援助と仲裁の人員を…」
「落ち着いてジャンヌさん。それは無理なのよ。弾圧を行ったのもその弾圧を受けたのも教導派を名乗る信徒なのよ。私たち清貧派が口を挟む権利も無ければ、あちらも受け入れる謂れも無いのよ」
「でも…援助なら」
「もう今まで通りの方法は通じないわ。血を流してしまえば州外から清貧派を入れる事など絶対にない。援助はすべて領主たちの私腹を肥やすために使われるだけ無駄に終わってしまう」
「でもだからと言って…」
「泣くな『冬海』。これ以上の流血を止める方法を考えてみる。クオーネのパーセル枢機卿にお願いして手駒の司祭長や大司祭様たちを派遣して貰う。そして護衛の聖堂騎士団もだ」
「そんな…、今そんな事は無理だって」
「援助隊や大司祭様たちが州内に入る事は無理だ。方法はある」
その数日後パーセル枢機卿の意を受けた腹心のイアコフ大司祭とフォマ司祭長が大量の聖職者や聖堂騎士団を引き連れてポワチエ州の州境に集結した。
そしてその警護と紛争防止の名目でアルハズ州の南に面するヨンヌ州の州兵が州を治める軍務省輜重隊のエポワス伯爵の指示で州境に展開している。
「パーセル枢機卿様よりお願いがございます! アルハズ州において農民や市民に対して行われている弾圧や迫害を直ちに停止したして欲しい。農村や市民への喜捨が滞っておるなら、これまでのジャンヌ様の喜捨と同様の方法で大量の穀物の援助を致しましょう。州内へ領内へ入れて頂ければ我らが荷駄で回りましょう。護衛も我らで賄いましょう。領主様方には何もすることなく領民の糧を得る事が出来る提案をパーセル枢機卿からご提案致しておるのです」
彼らにそんな提案など飲めるわけが無い。
しかし州境に展開する清貧派の聖堂騎士団やそれを守るという口実で展開されているポワチエ州都騎士団の兵力は脅威となる。
州内の反抗農民弾圧に割いている兵力は全てヨンヌ州の州境に回されて一時的な小康状態が出現した。
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