第84話 飛び火(1)
【1】
清貧派領地でもなければ清貧派信徒でもない、何より領主と平民との争いでもない、アルハズ州の騒乱は私たちが介入できない。
そして農村同士が血で血を洗う様な対立を続けている。
糸を引いているのはどう考えてもアントワネット・シェブリ伯爵令嬢としか思えない。
本来領主貴族に向かうべき不満や怒りを隣村同士の対立にすり替えて、互いの憎悪を煽っているのだ。
そしてその暴力行為は本来連携すべき農民たちが、互いにぶつかり合って戦力も気力も削がれ領主に反抗する活力も失われる。
領主貴族は自らの手を汚さず反抗分子を鎮圧出来て、アントワネットはおためごかしの嘆きの言葉を口走るだけで何一つ手を出さずにその人気だけは上がっているのだ。
清貧派の中にはアントワネットに第二のポワトー
それは爵位貴族であろうとも人の命に一片の価値も認めていないあの女が農民に対して慈悲心を持つなどと言う事はあり得ないからだ。
私怨だと言われればそれまでかもしれない。
しかし私の見た範囲でも、実家のシェブリ伯爵一族は平気で現役のライオル伯爵を刺殺させポワトー枢機卿に毒を盛ろうとした。
アントワネットはクロエ
他にも数々の殺人を犯しているシェブリ伯爵一族を信じることも許すこともできない。
そして今この事態である。
ジャンヌは再三にわたり各領主家に仲裁に入る用意がある事を告げているが無しの礫である。
私もこの時期にジャンヌが教導派同士の騒乱の渦中に飛び込めばやけどで済まないことは確実のなので、無茶な行動に出ないよう目を光らせている。
そんな状況下で思わぬところから火が上がった。
【2】
アルハズ州の州都マンステールの州都騎士団はそんな状況を傍観していた。
「州内の各地で内乱が起こっているようですが、手をこまねいていて宜しいのですか?」
州都の書記官たちはいつもと違う騎士団の行動に不満を抱えている。
「別に領主家から要請が来ているわけでも嘆願が上がっている訳でも無いのになぜこちらが動かねばならんのだ? そんな事をすれば反乱の疑心ありと疑われても仕方ないぞ」
州都騎士団長は優雅に茶を飲みながらそう嘯いた。
「しかしこれまでも州内で変事が起これば州兵が鎮圧に向かうのは慣例です。領主たちより要請があればすぐに動けるように…」
「慣例? なんだそれは? 我らは州都騎士団だぞ。なぜ領主ごときの要請に対処せねばならんのだ? 俺に統帥権を干犯せよと唆すつもりか?」
「いえ、そのような事は」
「なら、軍務卿のおられる軍令部からの通達があるまで独断専行は控えるべきだろう。あとは状況に応じて俺が判断する」
州都の筆頭書記官はその発言にかなり当惑していた。
州都騎士団や州兵はアルハズ州の準貴族や市民、農民の徴用兵らで構成されている。
今まで領主家の威光は絶対だったのだが、今は人事異動で中央から派遣された騎士団長や幹部は現役貴族や上級貴族の子弟である。
アルハズ州の騎士団長も近衛騎士団出身の現役の子爵なのだ。
そして領主家のマンスール伯爵とは反りが合わないのか常に対立している。
特にマンスール伯爵家が率いる州都聖堂の教導騎士団との仲は険悪である。
州内の貴族子弟や準貴族で構成される教導騎士団を、たかが地方の聖教会の私兵ではないか見下した発言を常に行う。
プライドの高いアルハズ州の教導騎士団には我慢ならない事だろう。
しかしこれまで虐げられてきた州都騎士団員はそれに同調するものも多い。
教導騎士団に対しあからさまに無視を決め込む者も多く、領内の両騎士団はお互いに反目し没交渉となった。
騎士団内の内部争いの中で農村同士の争いは苛烈を極めていった。
そして州都マンステールでは以前の騒乱で鎮圧された徴用農民たちがアントワネットの庇護を求めて聖教会に逃げ込んだ。
かれら徴用農民は今州内で続発している農村間での抗争の片方の対象者でもあるのだ。
マンステールの聖教会は逃げ込んだ信徒にはアントワネットの名のもとにライ麦パンとスープを供し武力行使を慎むことを諭して送り出した。
この先例を聞いた各領地の市民や農民は最寄りの聖教会に殺到した。アントワネット派は当然だが、領主たちに与する村人たちもアントワネット派のふりをして潜り込もうとする。
領内のすべての者が飢えているのだ。なりふり構うものなどいない。
しかし彼らは聖教会にたどり着けなかった。
ほとんどすべての者が教導騎士団に排除されてしまったからである。
心ある聖職者は聖教会に閉じ込められて、領主の息のかかった教導騎士団に監禁されている。
司祭はアントワネットの手先、教導騎士は領主の子飼い、そんな根も葉もない勝手な噂がどこからともなく流されて、農民だけが司祭派と騎士派に分かれて反目し続ける泥沼に陥っている。
そして事態は思いもよらぬ場所で新たに火を噴いた。
モン・ドール侯爵家が治めるペルラン州の数か所の領都で市民や農民が徒党を組んで開放要求書を掲げて領都聖教会の聖堂に押し掛けたのである。
当然教導騎士団は彼らの排除に回った。
初日、彼らは大人しく解散したが翌日もまた集まり大聖堂前でジャンヌの聖霊歌を歌い始めた。
教導騎士の排除はこの日も行われ、それはさらにその翌日もつづいて日増しに人数も増えていった。
どうも噂を聞いたりこの状況を目にした市民や農民が共感して加わっているようだった。
日増しに増えてゆく市民たちに教導騎士団の神経は削られて行く。
聖教会は州兵や州都騎士団に対して出動を要請するが、州都騎士団は動こうとしなかった。
”聖教会の私兵団と市民とのいざこざに関して、公権力である州都騎士団が介入する権限はない”
”現在、法に反することなく平和裏に抗議がなされている以上取り締まるべき理由が見当たらない”
モン・ドール侯爵家からの要請に対しても同様の理由で腰を上げる事は無かった。
そして膠着状態の睨み合いのまま四日目に突入した。
群衆の先頭で幾人かの男たちが、以前州庁舎前で読み上げられた要求書の内容を何度も大声で暗唱している。
そしてその声に合わせて群衆がジャンヌの聖霊歌を歌う。
聖教会の前には”青空”の大合唱が響き渡っているのだ。
「「「「♪迷える民のもとに行く馬車に私達も乗せててくれないか♪ 行き先なら
どこでもいい♪」」」」
「「「「♪歴史が私達を問いつめる、創造主が照らす青い空の 真下で♪」」」」
地を揺るがすほどの歌声が教導騎士の精神を削り続ける。その威圧感はもうただ事ではない。
日に日に増してくる群衆の前で、重装備のまま戦闘態勢で威嚇し続けるのはなみ大抵の事ではない。
体力的にも精神的にも教導騎士団は限界に近づいていた。
「ウッ…ウオッー!」
とうとう神経をすり減らした教導騎士の一人がついに抜刀してしまった。
それに引き摺られて一部が群衆に対して殴りかかって行った。
ラスカル王国北部に火を噴いた動乱の口火が切られてしまったのだ。
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