第116話 特許と軍事機密

【1】

「ここに居らっしゃる方々はラスカル王国の信の置ける軍人方だと考えて宜しいでしょうか、ストロガノフ近衛騎士団長様?」

「ああ、その判断で構わん」

「だそうなので、宜しいですねエポワス副団長様」

「ああ、見せてやれ」


 私はポシェットから革の靴底を取り出した。

 一枚革を張り合わせた在り来たりの材質の靴底であるがその形は今までの形状とはまるで違っている。

 足の形に合わせた形状で爪先が親指と他の四本に分かれている。所謂地下足袋型の靴底なのだ。


「この靴底は爪先に力が込められて不安定な足場でもフィットして踏ん張りがききます。足音も消せますが半面強度が弱いのは難点です。この靴底なら豚革か木綿製のモカシン靴が宜しいかと」

 この地下足袋型の靴はエポワス副団長の顔を立てる為にエマ姉に頼まれた秘密兵器だ。

 まあイヴァン達を通して安全靴の秘密は渡してあるし、もう直ぐアヴァロン商事で特許も取るつもりだからこれは痛み分けという事で許して貰おうじゃないか。


「皆様もご理解いただいていると思いますが、足の裏にあった靴底は足に負担がかかりにくい上に動きやすいと言う利点があります。聖女ジャンヌの作ったモカシン靴はこの足に合った靴底と今まで一枚革で作っていたアッパー部分を別に縫い合わせて足にフィットさせたものです。これだけでも斥候や山野での弓兵の使用には向いている事はご存じのとおりですが特許はおりませんでした。軍装としての利点が理解されなかったためです」


「ああ、それでワシが一肌脱いだのだ。そして新たに改造を加えて親指を独立させた靴の形状が爪先に力が入りやすい事が判ったのだ」

 偉そうに講釈を垂れるエポワス副団長だが、私が持ち込んだ地下足袋型靴底のモカシン靴を履いてみただけの事だ。

 話し合いの結果各騎士団で斥候職に実験的に取り入れて反応を見て正式採用する方針が確認された。


 しかしこの中でイヴァン達とオズマが共同して進めている安全靴の開発は一切語られなかった。

 もうストロガノフ近衛騎士団長からも資金が出てオーブラック商店が専属の信用のおける職人を使って極秘裏に施策を行っている。

 ストロガノフ子爵は自領にオーブラック商店を招聘して極秘裏に自領内で生産したいと申し出ているのだ。

 当面近衛騎士団の東西二大隊だけで極秘に取り入れるつもりだと言う事なのだ。


【2】

 一仕事終えて私はオズマとエントランスの隅のカフェスペースでひっそりとお茶を味わっていた。

「セイラ様はお茶もストレートで召し上がるのですね。ミルクも砂糖も入れないで」

 オズマが感心したように言う。

 私はコーヒーもブラックのストレートだが、別にお茶は普通はミルクティーで砂糖も入れる。

 ただ前世の感覚でストレートのお茶にも違和感はわかない。茶葉によってはその方が合うものも有るのでそれによって変えるのだ。

 今日はジャスミンティーが有ったのでストレートで入れてもらった。


「ねえオズマさん、様付や敬語は止めてくださいな。同級生だしお友達じゃないですか」

「そういう訳には参りません。身分も違いますし、これまでもこれからもご指導いただく立場ですから」

「そういう商売勘はエマ姉のほうが優れているわよ」

「そんなことありません。エマ様もおっしゃってました。最終的に大局で結果を見るときはセイラちゃんには敵わないって」

 エマ姉にそういうことを言われるとその後が怖い。


「今回だって、エマ様やジャンヌ様がモカシン靴やムートンブーツの特許を取ろうとして叶わなかったことが、セイラ様が乗り出した途端に特許が通ったではないですか」

「それは法務局が間違っていたからよ。従来有るものに改良を加えることは新しい発明と何ら代わりはないのだもの」

「それでもエマ様やジャンヌ様の主張は通らなかったのに」

「だから騎士団を巻き込んだのよ。承認だけの主張では弱かったのでしょうね。それに利害が絡む人間が多いと役人もよく動いてくれるから」


「やはり教導派のエポワス副団長を動かしたことが大きいのでしょうか?」

「無いとは言わないわ。でもエポワス伯爵家でなくてもやり方は有るの。要するにそれで利益を得る者達を増やして圧力をかける事ね」

「それが近衛騎士団? っという事なのですか?」

「今回はね。靴など昔からあると審査から撥ねた法制局に、靴の構造自体が軍事機密扱いになるという事で圧力を掛けて貰ったのよ」

「でも、もう一般に売り出して王立学校では履いていない者の方が少ないくらいですよ。それでも機密になるのですか?」


「詭弁よ、詭弁。それでも特許をとった品物は、特許を侵害される恐れのある地域や国には販売禁止の措置が取れるのよ」

「ああ、それでエポワス副団長様を巻き込んで! 特許権者の一人に近衛副団長様の名を連ねておけば緊急時に販売禁止措置が取れるという事ですね」

「まあそう言って、煙に撒いて名義を借りたという事よ。本当に軍事機密に該当する様な物は特許なんて取らないのよ。その時点で秘密の一部を公開する様なものだからね」


「…詭弁とは、エポワス副団長様に対してですか? 法務局では無く?」

 まあ騎士団を巻き込んで法務局に圧力を掛けて貰った事も、特許の有用性を説いてジャンヌの特許を認めさせたことも事実なので法務局にも詭弁は弄しているのだ。


「知っているでしょう。イヴァン様たちの考えている靴は表沙汰にさえされていないのよ。表向きはエポワス副団長の圧力のようだけれど、ストロガノフ団長や東西大隊の幹部からも圧力がかかったから法務局が逆らえなかったのよ」


 それを聞いてオズマは深々と溜息をついた。

「ストロガノフ団長様と組んでエポワス副団長も法務局も手玉に取られたのですね」

「仕方ないじゃないの。教皇派閥に力を貸すつつもりはサラサラ無いんだもの」

 別にエポワス伯爵がそこ迄嫌いなわけじゃあない。

 それでも彼らもある意味典型的な教導派貴族なのだ。もちろん獣人属に対しては偏見が無いことは理解している。


 それでもメアリー・エポワスやエポワス副団長は非常な権威主義の塊だ。

 メアリー・エポワスがエヴェレット王女殿下を信奉しているのは、彼女の人柄だけでなく王族であるからという忠誠心から来ているのも事実だろう。

 だから下級貴族に対する態度はいつも尊大だ。


 そしてその金遣いの荒さ。

 別に私たちの様にエポワス伯爵家が商会を持っていたり領地経営で利益を上げているわけでもない。

 結局自領から搾り取っている税収であの浪費をしているのだ。


 それが証拠に今回の乗馬服や靴の開発にここ迄かかわっていながら、その技術やノウハウを自領に再投資する様な考えすら持っていない。

 フィリップ義父上なら靴工場のカンボゾーラ子爵領への誘致を図るだろう。うちの父ちゃんなら今頃はもう工場を稼働させているだろうけど。


 少しでも目端の利く領主なら儲けが出ると判った段階で、何か自領の収益を上げるアクションを起こすものだが、この親子にはそんな考えは微塵も無い。

 近衛騎士団の幹部を代々務めてきた一族だ。既得権に胡坐をかいているのだ。

 こう言う所がストロガノフ子爵に近衛団長席を取られた一因なのだろうと思う。


 今のところ出入りの商人や領民からの必要以上の搾取や圧政を加えていると言う噂を聞かないので関わっているが。

 エマ姉がこの一族から絞り上げているのを止める気も無いし、オズマにも取れる所から毟れと唆している事にも痛痒は感じない。


 借金の申し出が有れば返済計画を整えて金も貸すだろうし、行いを改めて領地の立て直しを図るなら事業計画も立ててやる。

 カロリーヌの様に真摯に現状と向き合って抗う気概があるならば力にもなるだろうが、今のままならば見捨てる事になるだけだ。

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