第20話 治癒施術管理法案

【1】

 レスターク伯爵家の葬儀から以降、王都大聖堂の大司祭の不用意な発言で聖教会の治癒術師の活動がかなり制限されてしまった。

 王都に別邸を持つ貴族は多い。

 上級貴族は領地よりも立派は屋敷を持っている者もいる。そう言う貴族邸には当然礼拝所が設置されている。

 高位貴族の別邸はゴルゴンゾーラ公爵家やロックフォール侯爵家のように聖堂を持っている邸宅も他にも存在する。


 しかしこれはどちらかと言えば特別な部類だ。

 伯爵家程度では礼拝堂迄備えた邸宅を構える者はそうそう居ない。家人や使用人が参る祠程度の物が有るくらいが一般的なのだ。

 下級貴族に至っては寄り親の高位貴族邸に間借りしている者はましな方で、大概は民間の邸宅を借りている。借家に礼拝堂や祠など有ろうはずも無い。


 清貧派の聖教会にとっては王都大聖堂に気を使う必要などないので通達を黙殺しているのだが、教導派貴族にとってはかなり深刻な問題ではある。

 宗派の線引きに厳格なロックフォール侯爵家の聖堂はさほど問題ないが、ゴルゴンゾーラ公爵家の聖堂には先のレスターク伯爵家の一件もあり泣きついてくる教導派貴族も多い。


 そう言った関係から内務省には多くの貴族からの苦情や陳情が大量にもたらされていた。

「いい加減にしろよセイラ・カンボゾーラ。お前の思い付きに高位貴族や王族を巻き込みおって。そのツケは全部内務省に廻ってくるのだぞ。お前が何と言おうが、来年卒業すればすぐに内務省の次官の辞令を出してこれまでやって来た事をすべて引き継いでもらうから覚悟しておけ」

 フラミンゴ宰相閣下は額に青筋を浮かべて文句を言ってくるが、それこそ八つ当たりと言うものだろう。


 内務省なんかに捕まったなら、カミユ・カンタル子爵令嬢のようにこき使われてやさぐれる未来しか見えない。そんなブラック職場での真っ暗な未来はゴメンだ。

 とは言うもののそのカミユ女史たちの努力で治癒施術管理法は成立した。


 とにかく教皇庁の治癒院出身の治癒術士とそれに相当する治癒術士としてグレンフォードとフィリポの治癒院の一級治癒術士を国家認定とし、それ以外の治癒術士と区別した。

 その上で教導派の主張を取り入れて聖職者である聖教会の治癒術士は料金を取る事を禁止する事。

 その代わり治癒施術の運営管理や喜捨に付いては聖教会の各聖堂の管理に任せ口を挟まない旨記されている。治癒術士は特に施術場所の指定もせず各聖堂の判断にゆだねている。


 ただし世俗の一般治癒術士は施術を行う場合には病状や処置内容を詳細に記録し、後日しかるべき機関の監査が入った時に提示できるように保管する事。

 患者にも病状や処方などのカルテと治療費明細の写しを渡さなければならない事。

 当然収入は納税対象となる為帳簿もつけなければいけない。


 骨子は整って上程された法案はすんなりと可決された。

 教導派聖教会は世俗の治癒術士に興味など無いのだ。それよりも教皇庁治癒院の権威が法的に認められたことを歓迎している。

 その上で行政が聖教会の既得権に口を挟まなかったことも大きい。

 清貧派の治癒院を教皇庁と同等とした事に難色を示したが、一級職に限定した事で譲歩を引き出せた。


 清貧派としては不十分な医療技術や知識を持ったものがはびこる位なら一級に限定して貰った方が良いのだ。

 何よりこれで治癒術士の技術水準が明確になりそれを維持できるのだから。

 そして教皇庁の治癒院出身者は市井に出て来ることはあり得ない。

 喜捨と言う搾取方法を捨ててまで、税金を払って定額医療を行おうなどと考えないからだ。


【2】

 法が施行されて暫くして、レイチェル修道女が還俗した。

 ファン卿から新しくブルビと言う苗字を与えられ、レイチェル・ブルビとして診療所の初代院長に就任したのだ。

 そして設立の段階で参加していた治癒修道士四人も還俗し、薬剤師はそのまま残留して薬局の運営に当たっている。

 ただ看護師として迎えた四人の修道女は一級治癒術士を目指しており、来年の秋まで王立学校の治癒術師と交替し修業を積んだのちフィリポの治癒院に帰って更に修業を積むと言っている。


 交替した王立学校の治癒術士はそのままジョン王子の離宮の治癒施術職員となった。この件に関してはジョン王子を通して王妃殿下から直々に勅令が出たのだ。

 さすがにこの人事には王立学校の教導派専任聖導師たちや学校長たち上級職員から反発の声が上がった。

 獣人属の治癒術士を入れるなど言語道断と言う事だ。

 それもカタリナやアナやキャサリンを引き上げると脅せばすぐに折れてしまった。


 こうして前評判も上々、治癒術士の腕前も上々、何より思いもしない技術の高い薬剤師を手に入れられた事が何より上々である。

 問題があると言えば入院食と健康食品販売そして栄養学系の部門をシッカリとロックフォール侯爵家に握られてしまった事だろうか。

 なにやかや言いながらキッチリ経営に食い込んでくるロックフォール侯爵家は南部の重鎮だけあって侮れない。

 なにより栄養学の研究は私が思いついたのに南部に先を越された感が有ってちょっと悔しいのだ。


 診療報酬の明確化についてはすぐに市井の治癒士たちが取り入れ始めている。

 冒険者ギルドや町の薬局にいる治癒術士が私の診療所の価格体系をまねし始めたのだ。

 市井の治癒術士は大半が経験則や先輩からの伝承で治癒施術を習った程度で、治癒院出身の三級治癒術士にもまるで届かない。

 教皇庁の治癒院の技術レベルでもフィリポやグレンフォードの三級治癒術士にも満たない技量である。


 市井の治癒術士は治癒院入学後三カ月程度の学生の技量程度だ。

 あのヘッケル司祭も今では一級治癒術師の技量を持っているが、冒険者時代は三級レベルに満たない技量だったと言う。それでも当時のヘッケル司祭ほどの技量を持つ冒険者は今でも少ないのだ。

 冒険者の治癒施術はどちらかと言えば外傷に特化しているのも一因である。切創、打撲、骨折等目立つ負傷部位に魔力を流す方法は患部が特定しやすいからだ。


 まだまだ遅れているとはいえ外科医療に関しては解剖学が成立する前にMRIやCTによるスキャニングが成立した感が有るのでどうにか対応できるが問題は薬学である。

 今は姉のビーチェと弟のベアトリクスの技量に頼って運営が出来ているが替わりがいないのだ。


 学ばせようにもこの一族の口伝…いや体に直に覚え込ませる体伝? では伝承が出来ない。

 そんな危険な習得方法など推奨できない。

 当面はベアトリスの一族の経験則を文章に起こしてもらうようにお願いしてみるが、この分野はこれから長い時間かけて進めなければならない分野のようだ。

 ただこれはサン・ピエール侯爵家に協力を仰がなくてはいけない。どうも腹の内が読めないサン・ピエール侯爵との交渉は苦手だが仕方がない。

 ベアトリスの一族を講師において薬学の教育機関を立ち上げられればとは思いつつ、学生に死者が頻出するような不安が拭えないので躊躇してしまうのだ。


 それでも診療所の立ち上がりは大成功で、何より診療に対して明確な賃金体系を設けて見える化した事は非常に歓迎された。

 現在のところ価格の安さから興味本位の群衆が押し掛けて来るので重篤でない患者の治療は断っている。

 しかしそうは言っても、断る為には診察をする必要があり有料で診察と診断結果のカルテを出す事でお引き取り願っている。

 その診断書を持ってロックフォール侯爵家の健康食品販売で健食を購入するとか、冒険者ギルドの治癒術士や市井の薬局で処置して貰うのだ。

 おかげで診療所と市井の治癒術士とは大きな混乱も無く棲み分けが進んでいる。

 診断書を渡す事で冒険者ギルドや薬局の治癒術士も施術を手早く適切に行う事が出来る上、患者を回してくれていると言う感謝の言葉もあちこちから聞こえて来る。

 治癒施術管理法は非常に順調に滑り出す事が出来た。

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