第132話 カマンベール男爵家
【1】
私が舟板を降りて行くと下には三人の女性が立って待っていた。
村娘の様に見えるが男爵家の使用人…メイドが緊張した面持ちでおずおずと私に声を掛けてきた。
「セイラ・ライトスミス様でしょうか?」
「ええ初めまして。ライトスミス商会代表のセイラ・ライトスミスです」
メイドたちが一斉に深々と最敬礼をする。
私も軽く頭を下げ会釈を返す。
「セイラ様。あちらで皆様がお待ちです。ご案内いたします」
一番年嵩のメイド長と思しき女性が私を促して先に立って歩きだした。
「ルーシー様はまだしばらく船の客室でお茶を飲んで寛がれるそうです。出来ればメイド長さんは付いてあげて欲しいのですが」
年嵩のメイドは少し驚いた風で振り返ったが直ぐに応じてくれた。
「わかりましたセイラ様。ドリス、ラウラ後は任せます。セイラお嬢様をご案内してください。くれぐれも粗相が無いように」
そう言うと私に一礼し踵を返してスタスタと舟板を上って行った。
あのメイド長は所作がとてもアンに似ている。きっと古参のメイドでアンに仕込まれたのだろう。
私は客室からメイド長の驚いたような声を背に聞きながらメイド達と一緒に父ちゃんたちの所に向かった。
【2】
村の中心の広場には村人がたくさん集まっていた。なぜか領主館の人々が多数一緒に集まり賑やかに騒いでいる。
領主館からは徒歩で鐘一つほどの距離にあるこの村に館の人員の大半がやって来たそうだ。
館には帰って寝る為の準備をする者だけが残っているそうだが、誰が残るかで結構もめたそうだ。
なぜこんな事になっているかと言うと、この村の外れに織物工場を設置するからだ。
もうすでに木造の工場が建設中で枠組みと屋根は完成している。
今回運び込まれた織機とは別に、先行で設置されたカーディングマシンや紡績機が仮小屋で稼働を始めている。
今日入った大型織機の設置と並行して工場も整備してゆく予定だ。
その前祝いと言う事で村人も総出でお祭り騒ぎになってしまったのだ。
「セイラ殿こちらへ! こちらへ来ていただけるか」
男爵様がが酒盃を掲げてこちらに手招きしている。
「そうだぞセイラ。主賓がグズグズしてるからすっかり出来上がっちまったじゃないか」
隣に座る父ちゃんもすっかり酔っぱらっている。
「そうですぞ。セイラ殿、ささ此方へ座られよ。まあ一献」
御曹司のルーク様が新たな酒器を私に差し出してきた。
「あなた! セイラ様は聖年式は過ぎてもまだ成人前ですよ。いい加減になさいませ」
ルーク様の奥方がたしなめる。
「そうですわ。お前は調子に乗り過ぎています。さあセイラ様こちらへいらっしゃいませ。本当にレイラ様によく似ていらっしゃる。さあ酔っ払いどもは放っておいてこちらで歓談いたしましょう」
男爵夫人が自分たちのテーブルに私を促す。
「いやいや。そう言う訳には参らん。みな聞いてくれ。こちらに居るのがライトスミス商会の商会長セイラ・ライトスミス殿だ。皆も知っているだろう。セイラ殿こそカマンベール男爵家直系の血を継ぐ才女なのだ」
「「「「うをー!!!」」」」
村人たちから歓声が起こる。
「そしてこのセイラ殿の両親は我が姪レイラ・カマンベールとここに居るこの国最高の木工場主オスカー・ライトスミス殿なのだ」
そう言うと男爵は父ちゃんの右手を取って立ち上がらせて私を右手で抱えるとその肩に乗せた。
思いがけない展開に私は泡を食ってしまった。
まさか男爵が自分の頭の上に平民の小娘を掲げるなど予想も出来なかったのだ。
それに加えて上機嫌な村人や男爵家の人々がにこやかにその光景を拍手と歓声で迎えている事も。
「皆の者。二十年前に失意の末に我が領を出ざる負えなかったレイラ・カマンベールは今この地に最高の夫と娘を遣わせてくれた。これほどうれしい事は無い!」
男爵はそう言うとぽろぽろと涙を流し始めた。
「男爵様! もこの辺で…。父ちゃん! ボッとしていないで私を降ろしてよ!」
男爵は左手で父ちゃんを右手で私を抱えているので、仁王立ちのまま滂沱の如き涙を拭う事も出来ない。
父ちゃんが慌てて私を抱き降ろす。
その父ちゃんの肩を今度は開いた右手で抱きしめてながら男爵様は更に号泣する。
「よくぞ来てくれた。嬉しいのだ。わしはずっとレイラや其方に恨まれとるのではないかと気になっておった。婚姻の折も持参金も渡せず、祝いの一つも送る事が出来なかったゆえにな」
「男爵様、そんな事はねえ。レイラを王立学校で学ばせて頂いた事が持参金だ。経理と法律の資格を取れたのは結婚祝いですよ。何より俺がレイラと巡り会えたことこそ最高の持参金だ」
「この人は豪胆に見えて小心者なんですから。でも主人が言うように本当に気にしておりましたの。でも私どもの力ではレイラに立派な婿を取って後を継がす事は難しかったのです。お義姉様もレイラに出来の悪い貴族家の次男や三男を宛がってまで後を継がせるくらいなら主人が継ぐべきだと仰ってね。それこそ大正解でした」
男爵夫人も眼に涙を浮かべて父ちゃんに語り掛けた。
「そうですわ。あの頃は私もカマンベール男爵家に嫁いで直ぐの頃でしたけれど、あの才能は貴族の娘ではもったいないと思いましたもの。弁証法や算術の成績がどれだけ良くても貴族女性は評価されませんもの。レイラさんはオスカー様の下でこそ花開く才能を持っていたのだわ」
ルーク様の奥方も男爵夫人の言葉を肯定する。
事実クルクワ男爵家のマルゲリータ嬢…今はリコッタ伯爵夫人だけれど…などは稀有な例で、貴族女性は政争の道具だ。
ヨアンナ・ゴルゴンゾーラはもう既に王家のジョン・ラップランド王子と婚約関係にある。ファナ・ロックフォールもイアン・フラミンゴとの婚約を打診されている。
ゲーム内でもファナとイアンは婚約者同士だ。
お母様はカマンベール男爵家の跡取りのままなら、貴族社会に吞み込まれて消えていただろう。
それが今やブリー州の商工会での重鎮である。
「それだけでは無いぞ! オスカー殿は今日の為にワインも二樽プレゼントしてくれた。それに香辛料もな。さあオスカー殿とセイラ殿を讃えて乾杯だー!」
ルーク様は完璧に出来上がって上機嫌で乾杯の音頭を取る。
「「「「「うおー! カンパーイ!」」」」」
「さあ皆さん方! 食ってくれ! 羊を一頭つぶしたんだ。村からの差し入れだ!」
村長が砕けた言葉で肉を盛ったトレイを持って来る。
「おお、でかしたぞ。 オスカー殿のくれたこの粉を…胡椒を振りかけて見ろ。少し辛いが堪らなく旨くなるぞ」
いつの間にか男爵様とルーク様と村人と父ちゃんは車座になって羊肉の前で酒盛りを始めていた。
「まあ、呆れた。叔父様もルーク従兄様も相変わらずですわね。今でも義叔母様やメリル義従姉様に迷惑ばかりかけているのではなくって?」
お母様の声に皆が振り向き、驚きで声を呑み込んだ。そして一瞬の静寂の後大歓声が上がった。
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