セイラ 11歳 バルザック商会

閑話1 王都の見習い料理人

【1】

「ザコー! ザコは居ないの?」

 厨房にお嬢様の声が響き渡る。

 王都に来て三カ月。

 やっとこちらの生活にも慣れた。

 新入りの見習いなのでまだ厨房には立たせてもらえない。

 洗い場の仕事をさせられて、やっと先週からナイフを持つ事が出来た。

 野菜の皮むきだ。

 モチロン洗い場の仕事も兼任だ。

 この厨房では一番の下っ端で、雑用は全部俺が熟さなければ成らないからは忙しいのだ。

 お嬢ちゃんのお相手などしている暇は無い。


 料理長が険しい目で俺に視線を送ってきている。

 四つ上の先輩見習いのリックが俺を肘で小突いた。

「おい、行けよ。お嬢様がお呼びだ、ザコ。さっさと行ってこい」

「えっ? 俺はまだ皮むきが…」

「お嬢様にウロウロされると邪魔なんだよ。おめえがトットと行って追い払ってこい」

「皮むきが終わらなけりゃあ俺のメシの時間が…」

「知らねえよ、そんな事は。文句ならお嬢様に言いな」

「ちっ! …我儘娘め!」

「その悪態は聞かなかったことにしてやるからさっさと追い返してこい」


 俺は仕方なく厨房の入り口に出て行った。

「ヘーイ、何の用ですか」

「ザコ! わたしが呼んだらさっさと出てくるのだわ! わたしは忙しいのだからいつまでも待つわけにいかないのだわ!」

 …忙しいならワザワザ厨房に来るなよ、邪魔くさい。

「それで何の御用です」

「そうそう、そうなのだわ。ザコ、ちょっと私の話を聞くのだわ。さっきお庭のバラ園に行ったら・・・・・・」

 お嬢様のくだらない話が始まった。

 話の要点がまとまらないと言うか、本題に至るまでの話が長いのだがそれを我慢して聞かなければ拗ねて怒るのだ。

「・・・・それで私は思ったのだわ。バラの花のローストビーフが乗ったパンを食べようって。だからあなたはこれからそれを作るのだわ」

 お嬢さんの話の結論が出るころには厨房のみんなは賄いを食べ始めていた。


「料理長。ローストビーフは有りますか? お嬢様がご所望です」

「三切までだ! お前が食うんじゃないぞ。お嬢様だけだ」

「チーズとピクルスは食って良いですか? あとゆで卵も」

「ああ良いぞ。だが卵は一個だけだぞ」

「ヘーイ」

「ハイと言え! この馬鹿モンが」

「ハイッ」


「ソースには蜂蜜を使うのだわ。わたしは蜂蜜のソースをつけたローストビーフを食べるのだわ」

 いつのまにかお嬢様が厨房の中にまで付いてきていた。

「玉ねぎと赤ワインのソースしか無いですよ。」

「わたしはバルサミコ酢と蜂蜜を混ぜると合うと思うのだわ」

 全く人のいう事を聞いちゃいねえ。

 うーん、蜂蜜とバルサミコ酢か、まあ行けそうだなあ。

「解った。やってみるか」

 このお嬢様、味覚と料理の勘はとても鋭い。

 元のソースをベースにバルサミコ酢に蜂蜜、それからバターを加えて…。

「お嬢様、白パンで良いですか」

「ライ麦パンの方が合うのだわ。それからマヨネーズはタップリぬるのだわ」

「わかってるねー、お嬢様」

 俺はパンの上にローストビーフの薔薇をあしらい、ピクルスの葉っぱと卵の黄身の花芯を付ける。

 そしてその上から特製のソースをたっぷりとかける。

 味見をしてみたが、甘酸っぱいソースは子供や女性には絶対受けそうだ。


 一口かじって満足げな笑みを浮かべたファナお嬢さんはバラ園の方を見てニヤリと笑って言った。

「これからこれを持って行ってお姉様に自慢してやるのだわ」

 そう言うと悪い笑いを浮かべながら両手にオープンサンドを持ってバラ園に向かって去っていった。


 ホッとした俺は使った鍋や道具を洗い自分用に作ったチーズとピクルスの上にハムを乗せたオープンサンドを手に取ろうとした。

 …? あれ、ねえぞ?

 さっき作ったソースもたっぷりかけた俺の昼飯が…。

 ああ、我儘お嬢様に持って行かれた!

 諦めてパンの上にチーズを乗せかけると料理長が出てきた。

「おい、昼休みは終わりだ! 野郎どもトットと夜の仕込みを始めろ!」

 それにつついてゾロゾロと他の連中も厨房に入ってきた。

「おい、ダドリー。お前もとっとと皮むきの続きを始めろ!」

 俺の昼飯が―。


【2】

 王都のロックフォール家に来たときは大変だった。

 今まで住んでいたゴッダートの街は国の中でも大きな街だったけれど王都は規模が違う。

 城門も城郭もゴッダートの二倍はある。

 人口もゴッダートの三倍近いのだからその巨大な城郭も人で一杯で手狭に見えるほどだった。


 城内を迷いながらやっと着いた侯爵邸にも圧倒された。

 ゴーダー家の子爵様のお屋敷で修行をしてきたので、貴族の屋敷はわかっているつもりでいたがまるで規模が違った。

 大きな庭園の有った子爵邸と面積は変わらないようだが、屋敷の規模がまるで違う。

 屋敷というより城だと思った。

 もちろん厨房も二つの別邸にそれぞれ子爵邸規模の設備が有り、本館の厨房は子爵邸の倍以上ある。

 メイドが使う各部屋の給湯室でも子爵邸で俺たちが使った厨房並みの広さと設備があるのだ。


 もちろん料理人の数も子爵邸の三倍を超える人数が居る。

 俺はその中で最年少の下っ端見習いとして館に放り込まれた。

 そもそも聖年式を終わったばかりで厨房に見習いに入る者はいない。

 皆成人してから見習いとして上がってくる。

 聖年式終了後の子供は皆、下働きとして雇われてその中から成人式を終えると見込みのあるものは見習い料理人に採用される。

 まあ大概は王都の有名な料理店や貴族の調理人の次男や三男が拍付の為に推薦でやってくるのだけれど。

 地方の大貴族の料理長の息子なども時折来るそうだが、地方都市から来る平民の見習いなど珍しい様だ。

 ましてや聖年式上りのガキなど今までに前例がなかったらしい。


 俺は先輩のリックと同じ部屋に放り込まれた。

 リックは下働きからのたたき上げ組で、俺が来るまでは一番の下っ端だった。

 リックと同い年で見習いは他にも三人いるがそいつらは王都の貴族や宮廷の料理人の倅たちで俺達とは格が違う…らしい。

 そいつらのせいで田舎者のたたき上げだったリックは雑用ごとを全部押し付けられていた。

 そこに四つも年下の田舎者の俺が入ってきたのでリック先輩の各上とか言う三人の雑用に加えてリックの雑用迄押し付けられてしまった。


 朝一番に起きて厨房の掃除。

 そしてその日の食材の運搬。

 食器の準備と食器洗いとその片付け。

 今までリックがこなしていた雑用が全部俺に押し付けられた様だ。

 それならリックは何をしているかと言えば、結局格上先輩三人がこれまでやっていた雑用が押付けられて食堂の掃除やテーブルの準備をやっている。


 その格上先輩たちが何をしているかというと日がな一日、銀やピューターやクリスタルの食器とカトラリーを磨いている。

 田舎者の貧乏人には高級な食器は触れさせられないそうだ。

 扱いも知らないし壊しても弁償もできないだろうとさ。

 なによりいつ盗むかもしれない奴には触れさせる事は出来ないんだとさ。

 まあ、食器やカトラリーをいくら磨いたところで料理の腕が上がる訳でもないので俺にはどうでもいい話だけれど。


 まあ調理場の下働きは慣れたものだ。

 食堂の広さはうちの店とあまり変わらないし厨房の広さは少し広い程度だ。

 しかし料理人の数は下働きも入れるとうちの店の倍以上になる。

 なにより料理を出す相手の人数が違う。

 食事をするのは侯爵一家が全部で十一人。

 ハバリー亭の客席数の十分の一程だ。


 食事を供する相手は、侯爵ご夫婦と先代ご夫婦。

 そしてこの間騎士爵を賜った侯爵様の弟君。

 そして侯爵家のご子息様が二人とご令嬢が三人。

 そしてその次女がファナお嬢様だ。


 盛大なパーティーならいざ知らず、家族の人数だけの食事やお茶会・客程度の対応なら下働きの仕事としては楽勝である。

 調理方法や技法は違うのだろうが、下働きに求められることなどどこも同じだ。

 いや、この厨房で三~四人で行う仕事をハバリー亭では一人で回している。

 先輩共は俺への嫌がらせと思っているのだろうが、そんな事は屁でもねえ。


【3】

 食べ残しの皿を見ていると侯爵家ご家族の好みの味が何となく見えてくる。

 誰が何を食べて何を残したか、どんな味付けが好まれているのかを頭に叩き込む。

 部屋に戻ると屑紙をまとめて作ったノートに細かく書き留めておく。

 食べ残しの皿は誰かの目の届かないところでソースを舐めて、残り物も食べての味付けを確かめる。

 その料理を誰が作ったかも合わせて覚えて行く。


 食器の片付けも適当に放り込んであったものを用途や種類ごとに使いやすいように片付け直していった。

 木や陶器の食器は目的に応じてすぐに取り出せるように整理しなおした。

 このやり方はセイラのチョーク工房で覚えた。

 あいつはいつも整理・整頓・清掃と口煩く言っていた。

 あの頃は煩わしく思っていたが、整理整頓ができていない厨房でこうやって仕事を始めるとあいつの言っていた事の重要性が良く解る。


 その日の食材や調理の様子で必要な食器が何かすぐにわかるようになった。

 調理が始まると事前に食器を用意して、指示が有ればすぐに持って行けるように準備しておく。

 余った時間は同室のリックがやっている調理器具の洗浄の手伝いに行く。

 格上見習い三人は自分の仕事を手伝わせたいのだろうが、金属やクリスタルの食器は俺に触れさせたくないので命令もできない。


 俺が来たころと比べて厨房の仕事の流れはスムースになっていると思う。

 別に誰も褒めてはくれないが、食器の準備でも食材の準備でも俺の名前を呼ばれることが多くなった。

 見習いにでは無く、ダッドっと名指しされるのである。

 名指しで呼ばれて先輩料理人の間をこま鼠のように走る俺を、格上先輩たちは冷笑を浮かべて見ている。

 格下が調理人達に扱き使われていると言って。


 俺は使えない先輩にお呼びがかからないだけだと思うけどもね。

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