第16話 王都への旅立ち

【1】

 私とお母様はハバリー亭に赴きダドリーとボア氏を交えてレシピ契約を行う。

「ダドリー、いい事。マヨネーズのレシピは未公開。王都では必ずハバリー亭から購入したものを使うこと。自家製のレシピを見せてはダメよ。これはあなたの大きな後ろ盾になるから」

「分かった。約束する」


「それから蒸し料理の技法もあなたが一人前になるまで封印よ。この技法はあなたの最高の武器になるんだから。あのファナとか言うお嬢様を焚きつけてお嬢様だけの秘匿レシピとか言っておけば大丈夫だと思うわ」

「そんな事で秘匿できるかなあ?」

「あのお嬢様、強引で傲慢そうだけど案外単純でお人好しみたいだから大丈夫よ。きっと侯爵家ともなるとあのお嬢様専用の給湯室もあるからそこを使って秘密の練習場にでもすることができるんじゃないかしら」


「お前、よく次々とそんな悪巧みを思いつくなあ」

「炙り焼きもオープンサンドも、それから例のデザートのパフォーマンスもお嬢様の許可なくあんた以外がやる事も禁止させちゃえば」

「えーっ、そんな人の褌で相撲を取るみたいなことしたくねえよ」

「バカねえ、使えるものはなんだって使えばいいのよ。あのお嬢様だってあんたが一流になって、その時にお嬢様のおかげですとか言えばいちころよ」

「ひでー…」


「セイラ様はなかなかにお気の付く娘さんで……」

「ええ、まあそうですわね。オホホホホ。でもボア様、セイラの言う通りダドリーさんの武器は多いほど良いと思うのですわ。貴族社会での料理人の力はその熟練度とアイディアだけですから」

「そんなもんですか。うちのような大衆向けの料亭ではこのお茶会のようなレシピは半分以上使えませんからなあ」


「ええ、ですから今後目玉にできそうな甘酢漬けとカップ蒸しのレシピを提供いたしたのですわ」

「お貴族様のテーブルに出た料理ですか。恐れ多いというか、侯爵様が召し上がられてお褒めに預かったとは、我が息子ながら大したもんだと思います」

「そうだ、おじさん。子爵家とハバリー亭でしか食べられない料理とか貴族のお茶会で出された料理とか言って宣伝すれば絶対みんな食べにくるよ」

「奥様、よろしいのでしょうか?」

「侯爵家の名前は憚られますが、ゴーダー家なら皆さんもご存じですし子爵家が許可してくれたとか言えば伯父上もお喜びになると思いますわ」

「奥様にそう言っていただけるのでしたら当方は異存はございません。」

「俺も大奥さまやセイラのお婆様に俺たちの料理が食べて貰えるなら何でもするぜ」

「ありがとう、ダドリーさん。お母様もお婆様もきっとお喜びになりますわ」


 子爵家でも快諾というより、料理長が私以上にレシピの秘匿を後押ししてくれた。

 料理長が言うには、この蒸し料理の技法はこんな地方の一手法として燻ぶらせておくべきでは無く、王都でダドリーの名のもとに広めるべき手法だと力説してくれた。

 勿論その時はセイラ様のお名前とゴーダー子爵家の名前を添えることを忘れずにと、一言注釈をつけて。

 こうしてお茶会のレシピや手法は子爵家とゴッダードのハバリー亭と王都の侯爵家でのみ饗される料理として新しく歩みだした。

 名前もオープンサンドはゴッダードブレッド、茶わん蒸しはゴーダーポット、フランベはセイラフラムだってさ。


【2】

 ダドリーは翌日から日の出とともに子爵家にむかい、子爵家から帰ると夜遅くまでハバリー亭の仕込みを手伝った。

 父や兄からも貪欲に技術を貪り、また兄たちにはマヨネーズ関連のレシピを指導することも忘れなかった。


 ハバリー亭の三男が、軒先にテーブルを並べ午前中の間マヨネーズトーストのオープンサンドの提供を始めた。

 ダドリーのアイディアだそうだ。

 テント張りの張り出し屋根にでかでかとゴッダードブレッドの文字が書かれている。

 朝食を抜いてきた人や忙しい合間の軽食に、簡単な昼食代わりにと飛ぶように売れた。

 トッピングを選べることで、人気に拍車をかけた。

 マヨネーズの名前も浸透し始めた。

 バターより安いためマヨトーストの人気が上がり、マヨネーズの販売が始まると街中で評判になった。

 そして大量の卵の殻の回収作業でハバリー亭の兄弟たちやボア氏との交流がとても増えて、ダドリーと私たちとの交流は急に少なくなった。


 そして日差しが和らいで、涼しい風が吹き始めたころ。

 そんなある日の午後、ダドリーが木工所の空き地にやってきた。

「明日行く事に成った。」

 一言そう告げたダドリーは少し見ない間に何歳も年を取ったように大人びて見えた。


「本当はずっとここに通い続けたかった。この街で見習いに出てお前らの顔を見て暮らしたかった。去年まではこの街を出ることばかり考えていたのにここに通い出してから出て行かなくて済むようにってばかり考えてた」


「見習いが決まってからも、不安で仕方なくてお前らの顔が見たくてたまらなかった。でもあんなに俺の事信じてくれて、あんなに俺を助けてくれて、一生懸命頑張ってくれたのにここで挫けたら合わせる顔が無いと思ったら会いにこれなかった」


「たった一年だけど俺は一生と同じくらい大切な一年を過ごしてきたと思ってる。お前らの事絶対忘れない。お前らの期待を絶対裏切らない。セイラ、俺を仲間にしてくれて本当にありがとう。チャンスをくれてありがとう。ウィキンズ本当に世話になった。ポール・ピエール・ジャック・エマ・エドありがとう。それからグリンダさんにもグレッグ兄さんにも礼を言っておいてくれ」


 何かみんな涙が出て何も言えなくなってしまった。

 裏通り組なんてもう号泣してる。

 エド以外はみんな。


「ダドリー、嫌になったら帰ってくれば良いよー。みんな居るからー」

「エド、お前何言ってるんだ」

「エド、ダドリーがお子様な侯爵令嬢なんかに負ける訳無いだろう」

「エド、ダドリーは絶対負けないんだ」


 ウィキンズは両目の涙を腕で拭うと笑って言った。

「そうだよ、エドの言う通りだ。俺たちらしくねえよな。あんな侯爵家に負けるくらいなら思いっきりぶん殴って俺たちの所に帰って来いよ」


 それを聞いて私は堪らなく可笑しくなって声をあげて笑った。

「ダドリー、気負い過ぎ。あんたの努力や思いをバカにして笑う奴がいれば我慢する事無い。ぶん殴ってでも分らせてやりなよ。追手が来たらウィキンズ達がぶちのめす。交渉人が難癖付けてきたらエマ姉とエドがけむに巻いてくれる。最後は私が屁理屈で完膚なきまでに叩き潰してあげるわ。あんたはこれからもずっと、このセイラ・ストリート・イレギュラーズのメンバーなんだからね」


「アハハハ。本当だ、なんか俺行儀や作法を教えられてるうちに大事なこと忘れてたなあ。俺は俺だよなあ。我慢も努力もする、絶対手も抜かねえ。でも俺の仲間を踏みにじるやつがいればぜってえ容赦しねえ。ぶん殴って帰って来るからその時は頼むわ」

「応よ!」

「「「ったりめえだ」」」

「早く帰って来てねぇ」

「エマ姉それはダメなヤツだから」


 翌朝、日が昇り始めるころ街の中央広場に小さな鞄を一つ持ったダドリーがいた。

 恥ずかしいから見送りは来るなと言って時間は教えてくれなかったが、王都行の馬車の時間なんて調べればすぐわかる。

「なんで来るかなあ」

「あんたはいつでも詰めが甘いのよう」

 見送りは、他はボア氏だけの様だ。

「行ってくる」

 ダドリーは御者台に鞄を預けて馬車に乗り込む。


 朝焼けの城門に向かって出て行く馬車の中で手を振りながらダドリーが叫ぶ。

「次に帰ってくるときは、俺はロックフォール侯爵家の料理長だからなーー」

「あんた、また気負い過ぎーー」


 去って行く馬車に手を振りつつ、轍を眺めながら私は気付いた。

 えっ、あいつ今なんつった!?

 ロックフォール!?

 えーー。

 あのメスガキ、悪役令嬢のファナ・ロックフォールなのぉぉぉぉぉぉーーー。

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