第15話 宴の後

【1】

 お茶会は大成功だった。

 侯爵令嬢の暴走のおかげで花の盛り付けやフランベのパフォーマンスがとても評判になったが、その陰で南蛮漬けやオープンサンドを自宅で取り入れようと考えている人が多く現れた。

 その結果甘酢やタルタルソース・コールスローのレシピを求める人が子爵様の元に殺到しているようなのだ。

 またご婦人方や年配の方には茶碗蒸しや鴨の炙り肉の人気も高く子爵夫人や大奥様にまたのお茶会を楽しみにしているとの声をかける人が多数いた。


 大奥様は私とダドリーを近くに呼んで集まった年配のお友達に、もともと予定したレシピを大奥様やお婆様の事を気遣って当日にレシピを変更して食べやすいものに変えてくれたと絶賛してくれた。

 お婆様も本当に老人思いの良い孫を持ったと私の事をアピールしまくってくれた。


 そしてお茶会は終わり片付けが始まったころ、私はダドリーとウィキンズを連れて料理長に謝罪に向かった。

 エマ姉とエドは余計な事を言いそうなので待機、裏通り組はエマ姉とエドが余計な事をしないように見張り番に着けた。

 ダドリーには料理長が言っていたことをすでに話してある。

 子爵様も料理長もダドリーが侯爵家にスカウトされた事にとても興奮していたのだが、当の本人は醒めていた。

 醒めていた言うより不安になっているのだろう。

 何よりあの侯爵令嬢に辟易していた上、突然に秋には王都に行くことが決定事項になった事への戸惑いで青い顔をしている。


 本館の厨房に行くと料理長が大歓迎で迎えてくれた。

 私はエドの失礼な言動と今まで謝罪が遅れた事への、そして料理長の寛大な配慮への謝辞を述べた。

 料理長はダドリーの才能を繰り返し褒めてくれた。

「パンの上に前菜を乗せるアイディア。揚げ立てが好まれるフライを甘酢に漬けて冷めてから食べさせる意外性。なにより焼いた上に薫り付けをするという作業をそのままパフォーマンスにしてしまった独創性は本当に驚いたよ。秋までの僅かな間だけれど私の知っている事は出来るだけ教えてあげるからしっかりお励みなさい」


「違うんだ料理長。パンのアイディアも甘酢のアイディアもエドやセイラが言った事で俺が思いついたわけじゃあねえ。あの最後のクレープの皿だってエマがブランデーに火をつけたって言わなけりゃあ思いつかなかった。俺一人で出来た事なんて何もねえ」


「ダドリー、その思い付きを即座に確かな味の料理に出来たのは君だろう。思い付きだけでは料理は出来ない。しっかりした基礎があってこそだ。その基礎は君が父上からしっかり学んだ結果じゃないかね。それにアイディアを出した仲間も君が作って来たんだろう。それは君の力だ。誇り給え」


「俺、今までそんな風に言って貰ったことが無かった。本当に喜んで良いのか? 褒められる結果を出したのか?」

「君の父上も君の力を認めて、本当は誇っているさ。ただ指導する立場で簡単に褒められないだけだよ。なにより今君がこの場所にいること自体が君の父上が君を認めている事ではないのかね。君が増長することなく今の立場でも反省ができるのは君の父上のしっかりした指導があったからだ」


 ダドリーはその言葉にハッとしたように顔を上げた。

「それなら、それならば俺はまだ親父とあんたの下でもっとしっかり学びたい。ここの厨房に置いて欲しい。あんな我儘なガキの所よりもここが良い」


「そう言ってくれるのは有り難いがそれは無理だ。それに王都に行けば侯爵令嬢様の言う通り田舎料理ではなくもっと洗礼された技法も食材も溢れている。得られるものはとても大きい。ぜひ行くべきだ。苦しい事や辛い事も多いと思うが、君の茶碗蒸しや炙り鴨の技法・マヨネーズのレシピは王都でも十分武器になる。自信を持って行けば良い」


「料理長、茶碗蒸しのレシピは是非教えたい。セイラの婆さんやひい婆さんに食べてもらいたいんだ。俺の料理を始めて褒めてくれた。私たちに合わせた優しい料理だって言ってくれた。だから料理長が作ってあげて欲しい」


「ダドリーそれならばこうしよう。茶碗蒸しは子爵家秘匿の私のメニューとしてこの屋敷でのみ提供しよう。外には出さない。それでどうかね」


「分かったよ。俺今から頑張るから。よろしく頼まぁ」

「侯爵様からは言葉遣いも指導せよと言われてるんだ。ダドリー! こういう時は“料理長、宜しくお願い致します。”と言い給え」

「はい、料理長よろすくお願い致すます」

 盛大に嚙んだ。


【2】

 その夜、ハバリー亭はちょっとしたパニックに陥っていた。

 ダドリーは帰るなり何も言わずに厨房に入ると、黙々とその夜のハバリーサラダとタルタルソースの仕込みにかかっていた。

 ボア氏と長男は一緒に帰ってきた私とお母様に今日の礼を述べるとともに、お茶会の状況を聞くため二階の個室に案内してくれた。

 そしてお母様の口からダドリーが侯爵家の使用人として王都に行く事に成ったと聞かされて、お茶の給仕をしてくれていた長男はそのまま失神してしまった。


 ボア氏も狼狽した上、不安に駆られたようで辞退しかけたのをお母様が押しとどめた。

 私は子爵家の料理長がダドリーに告げたことを出来るだけ正確にボア氏に話した。

 その言葉に感激するも、やはり不安の様でお母様に問うた。

「本当にダドリーは大貴族の厨房でやって行けるでしょうか」

「今もひた向きに仕込みをしていらっしゃるのですから、もうお気持ちは固まっているのだと思いますわ。その心意気があれば歯を食いしばってっでもがんばることができると思いますの」

 その言葉でボア氏も納得したようだが、長男は大慌てであった。


「でも急にあいつに王都に行かれると困る。うちの客が増えているのはハバリーサラダとタルタルソースの力が大きいんだ」

 そこで私が商談を切り出す。

「ねえボアさん。マヨネーズのレシピ買いませんか」

「セイラちゃん、いったいどういう事だい」

「今マヨネーズはうちの厨房で作っていますが、うちは木工所です。作り手も作る量も限られてる。だから売るのはダドリーだけだったけれどハバリー亭ならもっとたくさん作れる。売るお客も沢山いる。だからボアさんにレシピを売ります。そしてハバリー亭でマヨネーズを作って売ってください。もちろんうちの代わりに」

「お嬢さんそれはうちが委託販売をするという事かい」

 長男さんが聞いてくる。

「ええ、レシピを売る以上ハバリー亭で使う分には無料。ただしレシピは門外不出。そして販売するマヨネーズからはキッチリとマージンをいただきます。この条件で如何でしょうか」

 お母様は驚いた顔で私を見ていた。

 ボア氏と長男さんは私の話を聞いてハッとしてお母様の顔を見た。

 お母様は一瞬で表情を戻すと二人に言った。

「もちろん、レシピの販売価格やマージン等の詳細については主人とわたくしとで後日ご相談に伺いますわ。今日はこういうご提案をさせて頂いたという事でご検討いただけたらと思いますの。オホホホホ」

 さすがは私のお母様だ。


【3】

 家に帰るとお母様は私に意図を尋ねてきたので答えた。

「一番はあの侯爵令嬢にマヨネーズのレシピを好き勝手されるのが嫌だったから。それからこの契約でお婆様や大奥様もマヨネーズをいつでも食べることができる。もちろん侯爵家にも売る事に成るだろうからダドリーの大きな後ろ楯になる。侯爵家もマヨネーズの供給が止まることを思えば簡単にダドリーを切れないでしょう。あとはうちも少しは儲かるしね」

「柄にも無く殊勝な事を言いやがる。本音は最後だろう。間違いなく王都にマヨネーズは広まる。ハバリー亭は大儲けだぞ、何が少しだ」

「ウヘヘヘヘ」


「それでお前はいくら欲しいんだ」

「それは本当に要らない。できればお母様に今後の資金として貯めておいて欲しいんだ。うちは木工所だよ。うちが大きくなる為の資金として。だから後はお母様に全部預けるよ」

 これは木工所の売り上げに絡まない資金だから、もしもの時に足元を見られないようにする為の秘密資金にしたい。

「甘酢漬けのレシピも売りましょうか? マリネとは違う別料理だし今日のお茶会向けにセイラが作ったレシピでしょう。うちの厨房であなたとダドリーさんがいろいろ試していたのを頂いたけれど、どれも美味しかったのでわたくしとても気に入っているの」


「そうだね、お母様。今日のお茶会のレシピはダドリーと私の秘密のレシピにしてしまいましょう。作るのはダドリーと子爵家の料理長だけ。レシピの権利はライトスミス家の物としてダドリーに契約させるわ。あのファナとか言うご令嬢が気に入って権利を主張しているから、上手く焚きつければ王都でも他に漏れる気づかいは無いと思うの。ファナお嬢様だけに作る専用レシピです…とか何とか言えば絶対大丈夫だわ」

「セイラ。お前どこでそんな小賢しい話し振りを覚えたんだ?」

「多分父ちゃんの血脈に連綿と受け継がれているんだろうねえ、守銭奴の血統が」

「おきやがれ。俺はお前ほど強欲じゃあねえぞ」


「それにしてもお母様は殊の外甘酢漬けがお気に召したようね。お茶会の間もずっとあれとサーモンのマリネばかり食べたらしたもの」

「あっ…あれは、そうね。とても美味しかったからだわね」

 お母様はなぜか目をそらして口ごもりながら答える。

「そっ…そうだな。あっ…あれは美味かったもんな」

「いや、父ちゃんはお茶会に行ってないだろう。何を狼狽してんだよ」

「「……」」

 なぜか二人とも黙ってしまった。


 不自然な沈黙の後、お母様が意を決したように顔を上げると私を見つめて口を開いた。

「セイラ、ちょっと聞いていただきたいの」

「ㇾッ…レイラ、あのそれは…」

 父ちゃんが何気に狼狽えまくっている。

 良くわからないが、土壇場の腹のくくり方は女性のほうが男より数段勝っていると感じる。

「あのね、セイラ。あなたは来年お姉さんになるの」

「聖年式なら再来年、まだ三年あると思うのだけれど?」

「ウフフ、そうではなくって来年になるとあなたに妹か弟ができると思うの。だからね、元気に生まれてくるようにあなたも祈ってあげて頂戴」

 …生姜、…グローブ、…サフラン。

 …旺盛な食欲、…甘酢にマリネ。

「うわーい。お母さまおめでとう」

 私はお母様のおなかに顔を押し当ててそう言った。

「元気な良い子が生まれてきますように…」


 昔、ずっとずっと昔、(俺)が冬美を授かった時の記憶がよみがえる。

 あの時の喜びが、そして冬美を悲しませ続けてしまった贖罪の念が込み上げてくる。

 これから生まれるこの子にはせめて幸せな幼少期をおくらせて欲しい。

 祈りを込めて祝福の言葉を紡ぐ。

 お母様のおなかにあてた掌がほんのりと温かくなったように感じた。

 そしてほんの一瞬、お母様のお腹が私と一緒に金色に輝いたように思った

 私は気になって父ちゃんとお母様の顔を見上げる。

 照れたようににやけている父ちゃんと目が合った。

「父ちゃん、生姜買って良かったな」

「おまっ、おまっ…お前、何言ってやがる」

 真っ赤になって狼狽えまくって居る。

 その横で慈愛に満ちた顔で微笑むお母さまを見上げながら思った。

 お母様なら新しく生まれるこの子の為にも、きっとうまく儲けを運用してくれるだろうと。

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