第98話 燃えさかる炎

【1】

 マンスール伯爵領で虐殺が始まった頃、アントワネットの姿は王都大聖堂に在った。

「教皇猊下の病状はあまり思わしくない様で御座います。治癒術士殿のお話では長く持ってあと一年余りとの事で御座います」

「この混乱の時期に後一年とは…。王太后殿下も長くはもたないようだ」


「やはり、王太后殿下は目も見えずもう耳もほとんど聞こえていない様で御座いましたが…」

「忌々しい話なのだがな、伯母上は昨年の夏に王妃の離宮に監禁された後病状が回復して一旦持ち直したのだ。そもそもの話ではあと半年とか言われていたのだが未だ余生を保っている」

「まさか…本当にあのセイラ・カンボゾーラの治癒が効果を発揮しているという事なのでしょうか」


「そうとしか考えられぬであろう。ポワトー枢機卿は二週間と言われた命をまだ繋いでおるのだ。それもこれもセイラ・カンボゾーラが定期的に治癒に通っているからだと聞いておる」

「リチャード王子殿下が王太子となるまではあの二人に死なれては困りますね。教皇庁と王太后と言う後ろ盾はおおきゅう御座いますよ」

「其方に言われずとも承知しておる!」

 ペスカトーレ枢機卿はイライラとした声でそう怒鳴ると椅子に座りなおした。


「それで、どう言うつもりなのだ? 父上にさせたあの追贈の発言は?」

「別にこちらの不利益にならぬなら死人に栄典を行うだけで、あの行進デモ隊も納得しますし、少しはジャンヌの心象もよくなるかと」

「ジャンヌ? セイラ・カンボゾーラではなくてか? 今取り込むべきはセイラ・カンボゾーラの方であろう」


「それは無理でしょう。あの娘は猜疑心が強くジャンヌよりも頑なです。ただジャンヌが許せば従う可能性が無いとは言えません。可能性は低いですがやる価値はあります」

「打てる手は打っておけと言う事か。で、お前の焚き付けた農民どもは如何するのだ?」

「あちらはどうもエポワス近衛副騎士団長に連座させられたものが我ら…と言うよりモン・ドール侯爵家に恨みを抱えておるようで。そのせいで州都騎士団が動きません。教導騎士団で殲滅させましょう。大義名分は私が発します」


 ペスカトーレ枢機卿は食えん女だと思いながらも容認して任せる事にした。

 王太后や教皇の余命の事やルクレッアの愚行の処置で忙しい。

 農民ごときの生き死ににかかわっている暇など無いのだ。


【2】

 アルハズ州マンステールの街にある州騎士団の地下に十数人の男たちが集められていた。

「貴様ら、状況が変わったぞ。教導騎士団が殲滅に動き始めた。我々が州外に追放した農民以外は教導騎士団が全員殺している。それもアジアーゴ大聖堂から百人の教導騎士が派遣されて殲滅に加わっているそうだ」


「嘘だ! アントワネット様は? ジョバンニ様は? 教皇猊下はご存じなのか?」

「貴様らがどう思おうともこれは現実だ。百人の教導騎士だ。大聖堂の幹部が知らぬはずはないし指示を出したのは貴様らの信じていた奴らであろう。切り捨てられたのだよ貴様らは」


「そんな…。俺たちはどうすればいいんだ?」

 集められた男たちは悄然としている。

「そんなことは知らん。我らは貴様らが管轄内で無駄な騒乱を起こさないならと協力しただけだ。要望通り貴様らも参加した流民も助けてやったはずだ。これ以上協力する義理も無い。その後の略奪は貴様らの連れていた流民が起こしたことだ。殺されても文句は言えまい」

「それは領主が帰るべき村を召し上げて奪ったからじゃないか」

「文句は領主家に行ってくれ。州都騎士団の与り知らぬことだ。どうせ拾った命だろう。他州へ行くなりここで隠れて暮らすなり好きにすればいい。ただ、任務と有れば州都騎士団は容赦しないことを覚えておけ」


 彼らは顕彰行進デモの首謀者たちだった。

 州都騎士団に捕縛され罪人の首を身代わりに命を助けられたのだ。そこにいる州都騎士が言わんとしているのは、他州で同じような騒乱を主導するか、アルハズ州に残り領主と教導騎士団にダメージを与えるテロ活動を行うかを命じられたのだ。

 ただ州都騎士団は便宜は図ってもかかわりは持たないとと言う事だ。


 どうせ拾った命だ。多くの者はオーブラック州やダッレーヴォ州に移動していったが、数人は未だ占拠した聖教会私領の村に立て籠もる離散農民の支援のために動き出すものもいた。


【3】

 アルハズ州の街道を州兵が裸馬に乗せられて頭から頭陀袋を被せられ両手を後ろ手に縛られた男達を引き連れて進んでいた。

 何事かと集まる群衆に先頭の騎馬が高札を見せながら進んで行く。

 ただ道行く者の殆んどは字が読めず高札の意味すら分からないが、誰からともなくあれは顕彰行進デモの一味だと噂が流れ始めた。


 道を行く村々は行進デモの一味が去り際に荒らした事も有って憎しみが溜まっている。

 怨嗟の叫びが飛び交い、石が投げつけられる。州兵たちは民衆を鎮めようとするが、なかなかおさまらない。


「よく解っただろう。貴様らはここ迄嫌われているんだ。本来連携するはずの農民をあの女狐伯爵令嬢は上手く対立させたものだ。うまく踊らされたもんだな」

「アントワネット・シェブリめ! ペスカトーレ一族め! 許さねえ」

「そもそも奴らに期待を持った俺たちの罪だ! 何人もに忠告されていたのに」


「さあ行け! ここからあの森を抜けるとオーブラック州だ。街道筋を東に進めば行進デモが立てこもっている村だ。これ以上は教導騎士団が徘徊しているのでな。見つかれば串刺しは免れんぞハハハ」

 そう言って彼らを解き放って去って行った。


 二人を残して他の男達は州境を越えて逃げて行った。

 乗った二人は離散農民が立てこもる村へと駆けだして行った。


【4】

 占拠した教会にバリケードを張って立てこもっている農民は百人に届くかと言う人数だ。

 岩山の上に有る教会は天然の要害であった。麓の村の麦は刈り尽くされて教会内に持ち込まれており、当面の食料は足りている。

 そのお陰で教導騎士団も攻めあぐねていた。

 もうこの教会を落とせば州内の離散農民は一掃できまるので焦っている訳では無い。


 数人の騎士を派遣して農民共を少しずつ削って行けばよいのだ。相手はたいした武器も持たないなんの訓練も受けていない農民たちだ。

 全身鎧の重装騎兵相手に傷一つつける事も能わないだろう。教導騎士団にとってはキツネ狩りの延長程度の新しい娯楽である。


 その日も五騎の騎馬が教会のバリケードに立てこもる農民を狩っていた。

「引き付けろ。奴らの槍もこの樫の板なら貫けねえ。だから臆するな! どうせ死んだ命だ。ギリギリまで引き付けるんだ」

 その日はいつもと違っていた。

 農民が樫の木の家の扉を盾代わりにして鎌を持って迫って来る。

 何より刺さった槍が抜けないのだ。


「行くぞ土属性使いども。掌に魔力を込めろ! 胸を狙え! 放て!」

 土属性使いが何かの魔術を放つと鎧全体が震え次々と騎士達が落馬して行く。

 土属性などレンガを捏ねたり地ならしをするような属性で、生活魔法の足しにもならないと言われていたのにこんな事が出来るとは。


「俺はよう。一年前に聖教会教室で救急理療を習ったんだ。土属性で心臓マッサージをな。力一杯心臓に叩き込めば使えると思ったんだがな。そうそううまく行かねえかなぁ」

「どうも振動が鎧全体に広がったようだが落馬してくれたからな。重装騎兵なんて倒れれば一人で起き上がる事も出来ねえ。入れ食いだろう」


「なあ、こいつらをどうするんだ?」

「お前らはこいつ等に恨みはねえのか? あるならば分からせてやれよ。好きにすればいい」


「どうする?」

「どうするも何も、捕まれば死罪だ。決まりだろう」

「俺たちの仲間の仇だ! 死ねよ!」

 この時から農民たちは決死の覚悟で反撃をはじめ教導騎士団の死者が出始めたのだ。

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