第194話 顛末
【1】
ロックフォール侯爵が私たちの側にやってきて小声で尋ねてくる。
「いったいどんな魔術を使った?」
私は緊張を解いてロックフォール侯爵を見上げる。
「私は三年前から聖教会南部教区の教区長代理なんです。ボードレール枢機卿の、その時は未だ大司祭でしたが…代理印章を預かっています、今も」
ロックフォール侯爵はヤレヤレと言った顔で肩をすくめて言った。
「平民の、それも未成年に代理印章を渡していたのか! あの狸オヤジは思い切った事をする。月が開ければパーセルも枢機卿だろう。あ奴も同じことをするかもしれんぞ。そうなれば西部と南部、この国の半分の地域の聖教会を牛耳る事になる。恐ろしい光の聖女様だ」
「ルーシーさん、セイラ。悪いが月が開ける迄はアヴァロン州に帰れない。カマンベール男爵の治療はジャンヌ様にも尽力していただく。州を上げて領内の治癒を進めて行くから許してくれ」
「さん付けはやめて下さい。ポワトー枢機卿に家族の祝福を受けた時から覚悟は出来ています。フィリップ様、貴方の妻としてセイラさんの母として生きる覚悟は」
「なら、貴女も様付けをやめてくれ。これから色々と…生活も境遇も変わると思うが先ず呼び方から、だな。ルーシー」
「私的な場ならフィリップとお呼びしますが、貴族の妻です。公の場では様付けは譲りません。フィリップ、貴方も公の場では貴族として恥ずかしくない言動をお願いします」
「一本取られたな。ルーシー、セイラ、明日よりは州庁舎で司法官や政務官を交えたライオル伯爵家とシェブリ伯爵家の査問が開かれるだろう。俺…こほん余はシェブリ伯爵家の非を糾弾し奴らの罪を暴く事に全力を傾ける。其の方らも証言を頼む。…さすがにどこまで踏み込めるかは分からんがな。取れる者は出来るだけ取ってやる、セイラお前も手を貸せよな」
「そうだね。シェブリ伯爵家からもポワトー伯爵家からも毟れる物は毟り取ってやるわよ」
【2】
「‥‥以上の様に当初からライオル伯爵領では聖教会の司祭以下聖職者が率先して感染者の追い出しに関与しておりました…」
証言台ではライオル伯爵領で行われた追放処置に対してルーシーさんの容赦ない糾弾の言葉が弾幕の様に打ち出されていた。
「これは…誰かの陰謀だ。こんな事は聞いていない」
急遽召喚されて被告席に立たされているロアルド・ライオルは青ざめた顔で意味不明の言葉を紡ぐ以外、ろくな反論すらできず立ち尽くしている。
ライオル伯爵家にとって寝耳に水の事態で、いきなり当主と筆頭司祭が死亡し被告として呼びつけられたのだから。
「このままではライオル伯爵家は廃嫡もありうるな。それでセイラさん、いっそポワトー大司祭の要望を受けてポワチエ州の大聖堂で司祭になっては如何かな。其方なら治癒術士の聖職者を糾合して直ぐにでも大司祭になれるであろうし、ポワトー大司祭に枢機卿の後を継がせれば五年とかからずに枢機卿にとって代われることは間違いないぞ。そうなれば新しい清貧派の枢機卿がまた一人増える事になる」
パーセル大司祭が私の隣で勧誘を始めている。
「冗談じゃねえ。そんな事になればライトスミス商会の運営が滞ってしまう。これから三年間は陰でライトスミス商会を経営しながら、王立学校で貴族としての地盤をしっかりと固めさせる。平民としての力はもうすでに持っている。聖教会への影響力は今でも十分にあるからこれ以上は邪魔だろう」
「ゴルゴンゾーラ卿は私をどうする心算なんですか! 私は一商人のままで居たいんです!」
「もう無理だ! そもそも自覚が無さすぎるだろう。自分の聖教会への影響力が解っているのか? 何が一商人だ、ライトスミス商会はこの国でも上位の新興の政商だぞ。自覚を持て。それから父上と呼べ」
「まあそうだね。私たち清貧派の大きな後ろ盾となっている事で、ライトスミス商会はもうすでに政治に関わっているのだからね。おまけに前国王の一族であるゴルゴンゾーラ公爵家とハウザー王国の通商の仲立ちまでしているとなれば間違いなく政商だ。それも反国王派の。だからこれからはライトスミス家との繋がりを出来るだけ消さなければいけないね。そうしないと貴女の為にライトスミス家が狙われる事になる」
そうだ。私はこれからゴルゴンゾーラ家の末席に加わる。王家との政争に巻き込まれることも容易に考えうるのだ。
そうなれば平民であるライトスミス家に危険が及ぶ事態も想定される。
「私はどうすれば…」
「セイラ・ライトスミスは姿を消す。今回の事件によって負傷したセイラ・ライトスミスは表舞台に出らえなくなった。そしてお前はカマンベール男爵家で養育されていたセイラ・ゴルゴンゾーラとして俺が認知した。この筋書きを忘れるな。セイラ・ライトスミスは名前は有名だが、顔は知られていない。それに世間のイメージではもっと年上と思われている。お前とつなげる者はあまりいない。商会の幹部にも徹底させろ」
「でもお母様と父ちゃんとオスカルには…」
「成人式までは我慢しろ。事情は伝えてある。成人式の祝典には一家を上げて招待する。但し内輪で会うなら構わんが正式な場では他人だ」
十日を費やして審議が行われた。
事件の顛末はカマンベール男爵家の領地を狙ったライオル伯爵家の暴走と言う形で結審した。
ライオル伯爵家は廃嫡となり、ライオル伯爵領も廃領となった。
調査に入った政務官の報告によると領内の村々の惨状は酷いもので、今は聖女ジャンヌが領内の治癒に当たっているそうだ。
またジャンヌと共に入ったライトスミス商会とカマンベール男爵家の感染症治療チームが領内各地の検疫と治療に当たった為終息しつつある。
カマンベール男爵家はライオル伯爵領からの棄民となった疫病患者の救助と麻疹蔓延の防止の功績を持って陞爵され子爵に任ぜられた。
またシェブリ伯爵家はリール州を統括する中心貴族としてライオル伯爵家の管理責任を問われた。
その結果、荒廃したライオル伯爵領の復興資金とカマンベール男爵家への賠償をシェブリ伯爵家が支払う事となった。
私としては不満の残る判決ではあるが今回は口を噤むことにした。
十日にわたる審議の間、私の出番は無かった。その間私はどうしていたかと言うと、大聖堂で行われる聖教会の公開審判にアナと共に立ち会っていたのだ。
市民の関心事は雲の上の貴族の審議では無く、こちらのライオル伯爵殺害と聖女ジャンヌの冤罪事件である。
ポワトー枢機卿に取り入ろうとしたギボン司祭がライオル伯爵を唆し、聖女ジャンヌに冤罪を掛けて呼び出した。それを知ったセイラ・ライトスミスが証言に立つべく私セイラ・ゴルゴンゾーラと母のルーシー・カマンベールを伴いシェブリ伯爵領に駆け付けたがライオル伯爵一派に捕まった。
そしてライオル伯爵とギボン司祭の凶刃に、ルーシーさんとセイラ・ライトスミスは倒れ、光の聖属性を発現した私セイラ・ゴルゴンゾーラによって一命をとりとめたが、力を使い果たしたセイラ・ゴルゴンゾーラ拉致されて…。
アナ聖導師が証言台に立って涙ながらに話す事の顛末は、まるで安物の活劇のようだが大衆には大うけだ。
セイラ・ライトスミスの下り以外は事実なのでアナ聖導女の後に証言に立った治癒修道女たちの私への賛辞も含めてこのストーリーは事実としてロワール中に広がっている。
私とアナ聖導女のもとには治癒修道女や治癒修道士、治癒士見習いの聖職者が訪れて来た。
一部の貴族や大商人からも面会の依頼が来たが資格も無く属性判定も受けていない身である事を理由にすべて断った。
その代わりに治癒魔術の習得を名目に聖教会にある施薬院や施病院に赴き、アナ聖導女の指導の下、火魔法による焼却治療の実習に励んだ。
ロワール大聖堂の幹部クラスの司祭は司祭会議の為東部に行って、咎める者が居ない状況を幸いと下町や貧民街の聖教会を回らせて貰った。
癌の治療に関して目覚ましい成果を出せたが、私はアナ聖導女と二人で行う血栓の治療に手ごたえを感じた。
付き従った治癒聖職者たちからも称賛を受けて喜んでいる私たちに衝撃の連絡が入った。
王国からの結審報告に対する回答が来たのだ。
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