第193話 結審
【1】
「ど…道理は通さねばならん」
抑えた声でシェブリ大司祭は言葉を絞り出した。
「その通りだね。我々は教義に仕える者だ。道理を外れた行為は必ずしっぺ返しを食らう」
パーセル大司祭が勝ち誇ったようにマリナーラ枢機卿に向かって言葉を放つ。
シェブリ大司祭は忌々しそうにパーセル大司祭を睨みつけて口を噤むと、腕を組み目を閉じた。
もう議論に参加するつもりは無いのだろう。
「気は確かかシェブリ大司祭。このままでは清貧派に利する事になってしまう」
ボッタルガ大司祭の言葉にカチョエペペ大司祭が言葉を返す。
「それこそ私欲にまみれた道理に外れた言葉だな。シェブリ大司祭の申す通り道理は通さねばならんのだよ」
「しかしそれでは父の…ポワトー枢機卿様の治療が覚束ない。そこをどうにか…」
「それならば、成人式までの間はカマンベール男爵領で過ごす事に致しましょう。それならばここまで一日の距離ですしね」
ルーシーさんが応える。
「…何をやった! パーセル大司祭! 何をやったのだ」
マリナーラ枢機卿の声に怒りが満ちている。
「何をとは心外な。シェブリ大司祭殿は道理を通された。それ以上でも以下でもないだろう」
「認めんぞ! 枢機卿の権限を持って属性審査を行う。準備をせよ!」
「マリナーラ枢機卿! この地の責任者でもなければ直接の関係者でもない貴方に権限などないはずですぞ。そのような発言は我々西部教区の恥になる」
フォン・ド・ブラン大司祭の意見もマリナーラ枢機卿は聞く気が無いようだ。
「今ここにこの教区のポワトー枢機卿は居ないでは無いか。ならば権限は最高位の我に有るのではないか?」
「マリナーラ枢機卿。あくまで強行しようとするならば我ら領地貴族にも考えがある。王国の不文律を犯すつもりなら司法に訴える事も辞さんぞ。王家と聖教会に対立の火種を起こすおつもりか」
ロックフォール侯爵や領地貴族たちの言葉にもマリナーラ枢機卿は耳を貸さない。
「王国の司法がどうした。総ての法はハッスル神聖国の教会法が起源だ。聖教会の裁定こそが優先される。世俗が口を挟むことでは無いわ」
「国王陛下も宮廷貴族も黙っていは居ないと思うぞ。それなりの報復は覚悟をしておかれよ」
カチョエペペ大司祭脅しをかける。
「ワシはどうすれば良い? いったいどうすれば」
「えーい。ポワトー大司祭ここまでくれば腹を括られよ。今更後には引けんのだよ」
「愚かしい事だな」
マリナーラ枢機卿とポワトー大司祭の慌てぶりを見ながらボッタルガ大司祭が吐き捨てた。
「パーセル大司祭。其方何かあるのだろう。シェブリ大司祭を黙らせたのだ。徒手でこの場に臨んでいるとも思えんしな」
「ポワトー枢機卿に委任されたのだよ。今日の議事については、と注釈付きではあるがね。セイラ様の機嫌を損ねて命を削るような愚かな枢機卿では無い事は皆ご存じだろう」
「それだけでは無かろう」
「さあ何の事だろうね。それ以上は委任されていないがね」
「来月の司祭会議にポワトー枢機卿の代理に立つのは誰なのだ?」
急にボッタルガ大司祭が話を変えた。
「それはワシになるであろう。何よりワシはポワトー枢機卿の…」
「ポワトー大司祭。それはポワトー枢機卿から正式に委任を受けたのか? 書状は有るのか」
「それは…まだだがこれから父上が」
「もうよい! シェブリ大司祭。誰が委任を受けておるか知っているのだろう。誰が行く、お前か」
「ああ、私だ。一年前に受けた委任状が有る」
シェブリ大司祭がポツリと言った。
「何だと! そんな事は聞いていない。謀ったのか、シェブリ大司祭!」
狼狽するポワトー大司祭を尻目にボッタルガ大司祭がパーセル大司祭に向き直る。
「いつから知っていた…、いやそれは関係ないか。それよりもパーセル枢機卿から受けたのは今日の委任だけなのか? 委任状を預かっているのではないのか」
「さあどうだろう。シェブリ大司祭が委任を受けているならそれで良いでは無いか。司祭会議の後でゆっくりと後任の議論でもすれば。この教区に適任の後任の推薦状をポワトー枢機卿からいただけばよいだろう」
そういう事か。
パーセル大司祭は先ず間違えなく後任の推薦状を預かっている。
ただしそれはポワトー大司祭では無いだろう。彼では司祭会議での査定でこの教区を守り切れるわけがない。
人格はともかく力量ではシェブリ大司祭。ただしこの男が指名を得れば枢機卿の寝首を掻く。
現に手を出している。総ての罪を手下に擦り付けてのうのうとしている。
命を守って手駒としてシェブリ大司祭を使う保険がパーセル大司祭に託した推薦状だろう。
記載された名を明かさない事…持っていること自体明かされていないが、大司祭たちの疑心暗鬼がポワトー枢機卿の命を守る。
マリナーラ枢機卿はポワトー枢機卿が身を守るためにパーセル大司祭に差し出された生贄だ。
そもそも来月の司祭会議では、枢機卿の査察でマリナーラ枢機卿はパーセル大司祭のやり玉にあがる予定であった。
この会議での失態も含めてパーセル大司祭に食い殺されるのだ。
ここに至って地元の大司祭はマリナーラ枢機卿を見放すだろう。
私の聖別などより次期枢機卿の座の方が大切だ。何より私の機嫌を損ねる事は枢機卿の座から遠のく事にもなる。
これで決した。虎口を脱した。教導派の拘束から逃れられる。
私はほっと溜息をついた。
「そうは行かんぞ。大司祭の具申は参考にしかならん。決するのは枢機卿の決定である。ポワトー枢機卿の委任を受けようともシシーリア・パーセル、其方は大司祭だ。そうとも、ただの大司祭なのだよ。わしは枢機卿本人だぞ。紙でしかない委任状とはわけが違うのだ。評決の結果が一対一なら委任よりわしの意見の方が重いのだ。たかだか娘一人の属性判定ではないかさっさと用意しろ!」
マリナーラ枢機卿が怒鳴り声をあげた。
「その様な事、強行されれば本当に王国と聖教会の対立が生ずる事になりますぞ。お覚悟は宜しいのか」
王国としても聖属性を持つ人間を聖教会に独占させるわけには行かない。聖年式から成人式の間の属性判定の禁止はその為の紳士協定である。
「必要があっての事だ! 教皇猊下も必ずや支持してくれよう。国法よりも優先する事だ。さっさと宝珠を運び込んで判定を始めよ!」
聖職者たちはマリナーラ枢機卿の勢いに気圧されてあわてて準備を始めた。
「待ってください。私は拒否しますよ」
「俺たちも拒否する。我が家は全力で抗うぞ」
「本当に一対一ならともかく、大司祭たちの評決を入れれば一対二、貴族の意見も入れれば一対三では無いですか」
私たちの反論に対してマリナーラ枢機卿が一蹴する。
「誰が何と言おうと、枢機卿の意見が優先されるのだ。大司祭が十人居ようが、枢機卿の、それが委任状であっても優先するのだ。拒否したくば今すぐに誰か枢機卿の委任状を取って来るのだな」
マリナーラ枢機卿の煽りの言葉を受けて私が答える。
「わかりました。委任状をパーセル大司祭にお渡しいたします」
「…なんだと。どう言う事だ」
「ボードレール枢機卿の委任状をパーセル大司祭に託します」
私が持っていた手紙の封蝋を全員に示した。
パーセル大司祭とロックフォール侯爵が交互に手に取って封蝋を確認する。
「これは間違いなくボードレール枢機卿の封蝋だな」
「ええ、その様だね。幾度も見ているから間違いないだろうね」
パーセル大司祭はそう言ってマリナーラ枢機卿に封蝋と手紙を示す。
「おお…、なんと。しかしこれは。何故…」
「封蝋は確認したね。マリナーラ枢機卿様」
パーセル大司祭の問いにマリナーラ枢機卿は力無く頷いた。
パーセル大司祭はペーパーナイフを取り出すと皆の見ている前で封蝋を砕き手紙を開いた。
「セイラ・ライトスミスの、本名セイラ・ゴルゴンゾーラの属性判定について成人の礼拝以前の儀式を本人の要請により拒否する事を認める。審議が発生した場合の最終決定はシシーリア・パーセル大司祭に委任する、グレンフォード大聖堂枢機卿ジョルジュ・ボードレール。以上である」
パーセル大司祭は手紙を読み上げると文面を全員に示した。
マリナーラ枢機卿はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
「結審といたしましょ。セイラ・ゴルゴンゾーラの属性判定はクオーネ大聖堂での成人式の儀式を待って実施される。但しそれまではカマンベール男爵領に留まる事。できれば月明け迄ロワールの街に留まって、この後の司法省の裁定や聖教会の公開裁定にも証言者として参加して貰いたい。以上だ!」
パーセル大司祭の宣言で審議は結審した。
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