第18話 葬儀(1)

【1】

 地下の霊安室に運ばれたレスターク伯爵夫人は穏やかな微笑みを浮かべ眠っていた。

「義母上様はあの卵シロップのトーストとか申す物がお好きでしたな。ここに…ここに一緒においてあげる事は出来ぬのだろうか」

「伯母上がお好きだった花も添えて上げてはいただけぬでしょうか」

「お姉様はここ何年も苦しんでおられたのにこうまで穏やかに逝かれるとは思いもしませんでした。治癒術士様、薬師様有り難うございます」


 レスターク伯爵家の親族が口々に礼をのべる。それを職員たちは涙をこらえながら聞いていた。


「泣いてくれるな。其方らは胸を張ってくだされ。レスターク伯爵家を代表して其方らのご尽力に礼を申す。何が有ってもレスターク伯爵家はこの恩に報いる事をお約束致そう」

「勿体ないお言葉で御座います。そう仰って戴けるだけで満足で御座います」

 私(俺)はその言葉に深々と頭を下げた。

「神子殿其方のお陰だ。世間が何と言おうが神子殿のやろうとしておる事は間違っておらぬと思うぞ」

 診療所のこれからの私たちの考えはレスターク伯爵にも話し賛同して貰っている。


 だからこれから先もこういった患者を送り出す事は有り続ける。

 治癒術士も薬師も全ての職員が初めて体験する事で、特に若い三級治癒術士の四人の看護師はショックが大きかったのだろう。

 四人で肩を寄せ合って泣きじゃくっている。仕事柄夫人と接する機会が一番多かった事も有るから余計の事悲しいのだろう。


「其方ら母上の為に毎日すまなかった。こうしてともに泣いてくれて有難く思うぞ」

「勿体ないお言葉で御座います」

「私たちはもっとできる事があったのではと後悔しか…」

「そんな事は無い。其方たちは此処で働く事を誇るべきなのだ。この様な治療は王宮聖堂の治癒術士はもちろん、きっと清貧派の治癒術士にも出来ぬ事だぞ」


 レスターク伯爵の言う通りで、入院といった概念の無かったこれまでの治癒医療が変わろうとしているのだ。治癒院ももちろん聖教会での治癒治療も、俗にいう外来患者だけの治療で重症者は往診で対処していた。

 ましてや終末期医療ケアなど存在しなかったのだから。

 何より薬師である姉のビーチェと弟のベアトリクスの技量が有ってこその治療だ。あの鎮痛剤を患者宅に置けばオーバードーズによる死亡事故が発生する事は確実だと思う。


 薬学、栄養学、精神ケア…これからの診療所運営にはまだまだ課題満載なのだ。


【2】

 翌日レスターク伯爵夫人の遺体を運び出すために診療所の裏に黒い霊柩馬車が繋がれた。

 ゴルゴンゾーラ公爵家の清貧派聖教会に向かうためだ。

 清貧派への改宗者しか礼拝を是としない方針を出しているロックフォール侯爵家の聖教会での葬儀は無理なので、場合によって特例で受け入れているゴルゴンゾーラ公爵家の聖教会に向かうのだ。


 しかしそれを聞きつけた王都聖教会から大司祭が教導騎士を引き連れてやって来た。

「どう言う了見なのだ! 教導派聖教徒たるレスターク伯爵家の葬儀を清貧派聖教会で執り行うとは。教導派教徒たる伯爵夫人の遺体をその様な所に運ぶことは不敬であろう!」

 通行人たちも何が起こったのかと次々に集まってきて遠巻きにしてこちらを凝視している。


 その喧騒と怒鳴り声を聞きつけたレスターク伯爵がムッとした表情で表に出てくる。子息や親族も続いて出てきた。

「大司祭殿、それは故人の希望なのだ。ワシもその意思を尊重するつもりだ。それに何か問題でもあるのか」

「夫人は異端への改宗を望んでおったというのか? それは死ぬ前の世迷い事であろうが。死を目前にした妄想に違いない」


「別に母上は改宗を希望した訳では無いぞ。世話になったここの獣人属の看護師や治癒術士の参列を望んだだけだ。我が家は先にその旨を王都聖教会に申し出て葬儀を依頼したのに断ったのはそちらではないか」

「バカバカしい、神聖なる聖教会にケダモノを入れる事など叶わぬのは道理であろう。この様な事をしてレスターク伯爵家の家名に傷がつく事が判らぬのか。たかだかケダモノの参列ごときでその様な愚かな事を考えておられる訳でもあるまい」


「バカバカしい? 愚かな事? 大司祭殿は死者の言葉の重さを解っておられぬようだな。義母上がどんな思いで王宮治癒術士の治癒を受けられておったのか! 義父上話になりせん。俺は妻が承諾するなら清貧派に改宗しても構いませんぞ。義父上の決断に従いましょう」


「其方は娘婿であろう。外戚が改宗を唆すか! 構わん! 遺体を異端の輩に渡す訳には行かん。騎士団長、馬車ごと遺体を王都大聖堂に運べ!」

 その命令に教導騎士が霊柩馬車の御者を引き摺り下ろして馬の轡を取ろうと手を伸ばした。

「なにをするか!」

 それを見たレスターク伯爵の子息が割って入ると、右手で落ちた御者を庇い左手でサーベルの鯉口を切った。


 まさか妨害されると思っていなかったのだろ。教導騎士たちは一瞬狼狽するが直ぐに大刀の柄に手をかけて臨戦態勢に入った。

「貴様、御者にケガを負わせたな、その責は負って貰う」

「たかが平民の御者ではないか! 俺は子爵家の出で教導騎士ですぞ!」

「ならばたかだか子爵家出身の教導騎士の分際で伯爵家の貴人を安置した馬車に手を伸ばすとは何事だ! 事と次第では容赦せんぞ」


 いくら王都聖教会の権力を嵩に来ていても伯爵令息に歯向かう程の気概は教導騎士団には無い。

 騎士団長は命じた大司祭の顔をチラチラと見ながら次の命令を待っているようだ。


 大司祭は伯爵家相手では分が悪いと判断したのか、辺りを見回して私と後ろに並ぶ獣人属の治癒術師に目を留めた。

「なんだ? ケダモノのまがい物聖職者が居るではないか。料金を取っての治癒術活動は聖教会の通達に背いておる。聞いておるであろう。この者らを捕縛いたせ!」

 その言葉にナデテが私の前に立ち盾になる。両脇にはアドルフィーネとリオニーが後ろの治癒術師たちを庇いつつ臨戦態勢に入った。

 レスターク伯爵家の護衛騎士も治癒術師たちを守るべく柄に手をかけたまま私たちを囲んだ。


「証拠も無く何を思いつきで身勝手な事を申していらっしゃるのですか! ここは民間の診療所で、薬師の投薬と健康食の提供を行う宿泊施設です。治癒術師は健康状態を確認する為に手伝って貰っておりますので治癒施術は致しておりませんしその料金も頂いておりません」

 当然嘘である。治癒術師の治癒も行っているし何より私が治癒治療を施しているが、その料金を貰っていないのは事実である。

 そもそも教導派の通達程度なら清貧派であることを理由に無視しても良いのだが、それをすると診療所の計画に支障が出る。


 治癒施術については調べようも無ければ、たとえバレても料金は取っていないのだから問題ないと言い逃れられるはずだ。

 あくまで薬代と薬剤師への報酬、そして健康食品の供与報酬と宿泊料金である。


「この診療所にやってくる方たちも薬や健康食品を求めに来ておられる方です。薬を調合する為にはその方の健康状態を調べねばいけないのです。慈悲にあふれた治癒術師の方たちが診察を行ってくれますの。無料で」

「きっ詭弁であろう。そのようなこと考えられぬわ! 薬だけでこのような高額な料金などあり得ないわ!」

 ビーチェたちの技術を侮って貰いたくはない。ここまでの投薬治療を施せる薬師などそうそう居ない。

 本当なら倍のお金を払って貰っても足りないと思っている。

「ねえ皆さま、そう申されてもこのような安い金額で治癒治療などねぇ。王都大聖堂ではお幾らほど喜捨すればこのような治療を受けられるのでしょう? あの様な通達が無ければ私も大司祭様のように治癒施術でご喜捨いただけるのかしら」


「「「「そうだ! そうだ!」」」」

「大聖堂なら喜捨だけでその十倍はかかっちまうぜ」

「薬師が良く利く薬をくれて、ロックフォール侯爵家の美味い飯が買えるんだぜ」

「それで病が癒えるなら高い喜捨を払って大聖堂に行く必要なんてねえな」

 野次馬たちが私の言葉に賛同し始めた。


「この不信心者めらが! 其の方らは聖教会に生かされている事が解らぬのか! 聖教会の祝福無くして治癒などあり得んのだぞ! …もしや? そうか貴様があの偽神子で偽治癒術士のセイラ・カンボゾーラか!」

「私は神子とも治癒術士とも名乗った事は御座いません。光の神子も治癒術士も王宮大聖堂が勝手に呼んでいるだけで御座いましょう」

 私の答えに大司祭は顔をひきつらせた。

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