第77話 苛立ち

【1】

 アントワネット・シェブリはかなり苛ついていた。

 三月かけたのだ。それなりに金もかけた。

 その結果できたことはマルカム・ライオルの口封じだけだ。

 もちろん全てが上手く行くなどと甘い考えはなかったが、さすがに不手際が過ぎた。


 襲撃犯がまさか表門に辿り着く前に壊滅させられるとは思いもよらなかった。下っ端とは言え男五人の傭兵崩れがである。

 セイラ・カンボゾーラは出し抜けたが、あのメイド達の実力は過小評価していた。見習いメイドですら一人戦闘不能にしている。


 そしてリチャード・ラップランドの間抜け具合も読み損なった。

 あそこまで機転が利かない愚か者だとは思わなかった。クロエの歓心を買おうとする前に出来る事は沢山あっただろうに。

 全てが後手に回ったためにクロエとウィキンズの仲は全生徒に知れ渡ってしまった。これではあの二人をこちらに引き込むことも困難ではないか。


 モン・ドール第七中隊長もまるで使い物にならなかった。

 やはりモン・ドール侯爵家の一族でありながら近衛騎士団の中隊長程度で燻ぶっている男だ。

 ケイン・シェーブル引き渡しの交渉すらまともに出来ないとは呆れてなにも言えない。

 叔母が現国王の愛人、実質お飾りの王妃に対して実権を握る愛妾である。そして父は教導騎士団の団長だ。

 その息子である彼には先代のモンドール侯爵の奸智の片鱗すら見えないのだから。


 そして極めつけはケイン・シェーブルを仕留め損なった事。その上その身柄がゴルゴンゾーラ公爵家に匿われている事だ。

 そもそもアントワネットの本命はケインの殺害の手助けだ。

 その為ポワトー伯爵家に極秘にしてカール・ポワトーに情報を流し、それとなく誘導して今回の誘拐事件に託けて殺害の場まで提供した。


 始めにその事実に気付いたのは父のシェブリ大司祭だった。

 異端審問でヴァランセ聖堂騎士団長の告発を聞いた時に、殺し損ねたポワトー枢機卿の私生児がどこかで生きている可能性に思い至ったのだ。

 教導騎士団やシェブリ伯爵家の手駒を使って調べさせたところ以外にも身近にらしき者が見つかった。

 ヴァランセ騎士団長が後見人を務めている王立学校在籍の近衛騎士である。

 苗字は違うがギボン司祭が殺したシルヴィア・ヴァランセが逃がした子供と、年齢も髪の色も合致する。


 確実にそうとまでは断言できないがそんな事はどうでも良い、カール・ポワトーがそう信じるならば。

 後はそれらしい話を吹き込めばお膳立ては出来る。

 曰く、ケイン・シェーブルは枢機卿の私生児である。

 曰く、ケイン・シェーブルはポワトー枢機卿とポワトー伯爵家への復讐を企てている。

 曰く、枢機卿死亡後は継承権を盾にポワトー伯爵家の乗っ取りを企んでいる。


 案の定カール・ポワトーはその話に乗って来た。

 そもそも枢機卿や大司祭は生涯不犯ふぼんの身である。庶子たちは養子と言う形で引き取られので継承順位など有って無い様なものだ。

 更には正妻が居ないので高位聖職者は多くの愛人を囲う。その為庶子の数も多い。


 ケイン・シェーブルを排除出来ればカール・ポワトーの手柄となってポワトー伯爵家の継承に有利に働くだろうと吹き込みその気にさせた。

 カール・ポワトーにとっても競争相手を出し抜くチャンスなのだ、その手でケイン・シェーブルを葬れと唆した。


 手筈ではウィキンズとケインに一服盛って、マルカム・ライオルが殺害したケインの仇をウィキンズが討つと言う形で終わらせる予定だったのだ。

 しかしケインに薬が効かなかった事。…用心深いケインが飲むふりをして捨てていたのだろう。

 そして極めつけはウィキンズがファルシオンをケインに貸したことによって二人を取り違えた事だ。

 仮面の男に扮してケインを誘き出したと思っていたカール・ポワトーは、薬で眠らされて運び込まれた男の顔を見て間違いに気付いた。

 仕方なく先に運び込まれていたマルカム・ライオルを殺害しそのまま帰って来た。


 そしてケインは雇っていた暗殺者アサシンギルドの手練れの刃を掻い潜って瀕死の重傷を負いながらも逃げ果せた。

 それもあの清貧派のテレーズ修道女の下にである。

 あのテレーズ修道女が王都に舞い戻っている事も反ハウザー王国の急先鋒だった彼女が獣人庇護に鞍替えしている事も誤算だったが、まさか父の仇であるケイン・シェーブルを匿うとは。


 テレーズが一昨年の事件を契機に王立学校を辞めて、修道女として南部の村々を回っていると言う事までは掴んでいた。

 事件の動機からジャンヌに許されず放逐されたのだと思っていたが、それがゴルゴンゾーラ公爵家の王都邸の聖教会に赴任しているなどさすがに予想できなかった。

 更にケイン・シェーブルと和解していたとは、アントワネットの理解の範疇を越える事だ。


 カール・ポワトーの事件への関与とケインとマルカムの殺害の証拠を手土産に、カールを大司祭に押し込んでポワトー大司祭の隠居を考えていたのだが。

 こうなれば犯罪組織への関与をカール・ポワトーに押し付けて、彼の不名誉の隠蔽を条件にポワトー大司祭に枢機卿への立候補を取り下げさせるよう働きかける事ぐらいしか思いつかない。

 ライオル元伯爵家の代わりの手駒としてポワトー伯爵を抑えるのは少々時間がかかりそうだ。


 それにしても昨年から失態続きである。

 ここ数年ハスラー聖公国の利権に食い込んできているライトスミス商会の排除を狙って動いてきたが上手く進んでいない。

 オーブラック商会も南部や西部の実情が掴めず後手後手に回っている。そろそろ切り時かもしれない。

 ライオル元伯爵家を焚きつけてカマンベール元男爵家の切り崩しを図ったがお粗末な計画で瓦解した上、ライオル元伯爵家との共倒れを狙った麻疹の計画は手駒のギボン司祭まで失い、更にはポワトー枢機卿の命までセイラ・カンボゾーラに握られてしまった。


 そして何より屈辱だったのは祖父のシェブリ大司祭がセイラ・カンボゾーラの脅迫に屈しなければならなくなり結果的に清貧派の枢機卿がもう一人誕生してしまった事だ。

 たかだか新興の子爵令嬢である。カンボゾーラ子爵家にしてもゴルゴンゾーラ公爵家縁者と言ってもただの分家ではないか。

 宮廷での政治力も聖教会での権力も高位貴族に対するコネも持ち合わせていない、そんな小娘がなぜここまで影響力を振るえる。

 表立って派手に動いているが立ち位置としてはヨアンナ・ゴルゴンゾーラの取り巻き、傍系の王族であるゴルゴンゾーラ公爵家の寄り子の一家でしかない。

 周りの認識はそんなものだ。


 そんな小娘が恐れも無く王族や聖教会の幹部の子弟に表立って逆らい続けている。その為上級貴族寮ではセイラを嫌うものは多い。

 だからと言って寄り親的立場のヨアンナ・ゴルゴンゾーラやファナ・ロックフォールが彼女を庇う様子もあまり見えない。

 火の粉が降りかかってきたら払うだろうが、セイラ・カンボゾーラが潰される事になっても大きな動きは起こさないように思える。


 否、セイラ・カンボゾーラが潰れる事など無いと思い込んでいる様なのだ。

 只の新興の子爵家がである。

 上級貴族がかかればひとたまりも無いはずなのだが、現にライオル家は伯爵でありながら取り潰された。

 それなら目障りなセイラ・カンボゾーラにはここから消えていただこう。

 未だ方法はない訳では無い。これ以上あの小娘に蔓延られては神経が苛立って仕方ない。

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