閑話2 北の大地(2)

 【2】

 玉ねぎとラディッシュ、そしてゴボウ。

 玉ねぎは未だ食い物だがラデッシュは馬の餌だ。ゴボウに至ってはただの木の根っこだ。それでも飢えるよりマシだった。


 それをフスマと一緒にじっくりと煮て食べている。

 本当に言われた通り滋養が有って、美味かった。近隣の村にもその方法を教えて廻った。ただし、領主や代官や地主には気付かれぬ様に。

 奴らに知れるとフスマさえも配給されなくなるかもしれない。

 これ以上食糧を減らされては折角新しい食い物を見つけたのにその意味がなくなる。


 少なくともあの少年の教えてくれた食い物については嘘は無かった。

 それだけでも信用に値すると村人たちは思う。

 今の村人たちにとってはそれだけで信じる十分な根拠になるのだ。

 飢える事が無く、ここよりは良い暮らしは出来る隣の領地を目指そう。

 そして近隣の村にも信用のおけるものを見極めて、あの半獣人属の少年の話を教えて行った。


 多分一つの村で脱走がおこるとそれ以降は近隣の村での警戒がきつくなる。やるなら近隣の村全てが参加しなければならないがかと言って全員が信用できるわけでもない。

 信用できるものに準備をさせて、脱走の時に他の者にはその場で決断させるのだ。


 村人たちの腹はほぼ決まっていた。

 あの少年がどこまで信用できるかは判らないが、少なくともここ居るよりマシだという事は理解できる。

 今までこの村だけが、領内だけが世界だと思っていた。だが領境の、その向こうにある州は此処とは別天地だという事をあの少年が教えてくれた。


 ならあの少年が二度と来なくても州境を越える。少なくとも子供達をあちらに逃がす。それが出来れば子供たちは確実に生き延びられてここより良い暮らしが出来る仕組みが州の向こうには有るのだ。

 意味は良く解らなかったが清貧派の聖教会では子供たちには寝床と食事を提供して仕事を斡旋してくれる仕組みが有ると言っていた。


 教導派の聖導師は清貧派は邪教で信者は地獄に落ちると言っていたが、この土地こそが地獄だ。

 ならこれで地獄に落ちても今と何一つ変わらない。それで子供が救われるなら何度でも地獄に落ちてやる。


 【3】

「月明けにはここに来るとあの半獣人属は言ったが、いつ来るか判れねえ。確実に来るかどうかもな」

「それに近隣の村も含めると予定より大人数になるかも知れんぞ」

「そのガキが本当に表れたなら、村々のガキどもと誰か付き添いの女を優先的に送ってもらおう。子供なら少々人数が多くても関所を抜けられると言ったいたからな」


「それで俺たちはどうする?」

「穏便に州境を…まあ気付かれずに州境を抜ける方法が有るならそれに越したことはねえが、無理ならどうするかだ」

「子供や女がいなくなったんだ。次はそう簡単に行かねえぞ」


「…なら、関所を破る」

「本気か!」

「女子供が無事に州境を越えられるなら俺は、俺たちで関所を襲う。奴らはそんな事を考えていない今ならやれる」

「ああ、もしダメでも州境の警備は関所に集中するから容易に女子供は州境を越えられる」

「あのガキが来れば月末には…、今月に来なければ俺たちだけで決行だ」

「覚悟は決まったな」


 【4】

 一月たった夜にあの少年が約束通りやって来た。

 それも先月連れて帰った村の少年を一人伴っていたのだ。


 出て行った時よりもずっと小奇麗な服を着て、血色も肉付きも良くなって戻って来たのだ。

「父ちゃん、母ちゃん。向こうでなら飯が食えて字や数も教えて貰えるんだ。それに仕事も貰えてよう。これは俺が稼いだ金だ」

 帰って来た少年は両親に三枚の銀貨を握らせる。

 村ではほぼ物々交換で銅貨以上の硬貨を見る事が珍しい。銀貨など大金の部類だ。それを一月ほどで三枚も稼いできたとは。


「いったい何の仕事を…。まさか危ない事を」

「ちげえよ。木工細工の仕事だ。アバカスって言う計算機を作るんだ。聖教会しか作っちゃいけねえから、聖導女様が聖教会工房の子供の仕事にしてくれてるんだ」

 それから村人たちの前で州境を越えてからの事を話し始めた。

 少なくとも子供は州境を越えるなら間違いなく生きる事が出来る。


「なああんた。子供を何人連れて州境を抜けられる?」

「どういう事だ? この村の子どたちなら全員連れて出れるだろうが…」

「近隣の村の子供たちをみんな連れて行って欲しい。全部で四十七人。可能だろうか?」

「さすがに全員は…洗礼式前後の子供なら少々多くてもどうにかなるんだが…。どうにか出来て半分までだ。しかし残りはどうする? 次はそう簡単に行かないかもしれないぜ」


「子供だけじゃねえんだ。女もなんだ」

「…それであんた達男はどうするんだ? みんな残るのか?」

「一緒に抜けられるのか?」

「さすがに近隣全員じゃあ無理だ。夜中でもこんなにゾロゾロ行進すりゃあ気付かれちまう。困ったなあ…」


「女たちだけなら抜けられるだろう」

「たぶんな。それなら残りの子供も一緒に抜けられるだろうが…」

「それで構わねえ。そのルートを教えてくれるなら、女たちで抜けさせる。あんたは子供を連れて関所を抜けてくれ」


「おいおい、だからあんた達は…」

「俺たちは関所を破る!」

「…本気か?」

「ああ、あの向こうなら生きて行ける。ここに残って死ぬくらいなら関所を襲って死ぬのも、ここで飢えて死ぬのも同じじゃねえか」


「本気の様なら考えよう。だがよう、向こうに行っても大人は子供の様には上手く行かないぜ。ここよりはいい生活は出来るだろうけれど読み書きや計算が出来なければ良い仕事はねえんだ」

「それでもここよりはましなんだろう」

「もちろん、仕事は有るし文字や計算や仕事を教えてくれるところもあるからな」


「ならやるしかねえだろう」

「判った。なら女たちを守る奴らを三人程度付けて山道から州境を越えて貰う。おれは洗礼前のチビどもを連れて州境を抜けるから、半刻ほどしたら関所に突入しな。関所に松明を掲げろ。それを合図に山の抜け道から女たちは州境を越えな。州境には受け入れてくれる奴が待っているから」


「でっいつ決行する?」

「これからで間に合うか?」

「それなら話はついている。あの丘の天辺に火を灯せば決行の合図だ。鐘一つの時間でみんなやってくるはずだ」

「それなら直ぐに準備に入ってくれ。日が変わって一の鐘で決行する。二の鐘が鳴り終わる頃には全員ポワチエ州の州内だ」


 丘の上に篝火が灯されて鐘一つ過ぎる前には全ての村から小作の村人や食い詰めた村民が集まって来ていた。

 老人たちは女たちと逃がすとしても、働き盛りの男達が五十人近くいる。一度のこの人数が押しかければそれだけでも脅威だ。

 まして持って出る財産なども無い着の身着のままだが鎌や鉈、鍬や鋤、包丁などの農具や刃物を持っている。


 州境の関所は警備員が四名。

 おまけに夜半に子供を連れて関所を抜けるという話しを通してあり、タップリと酒の差し入れもしている。

 関所の連中はこちらを裏稼業の奴隷商だと思っている様でその分鼻薬の金も渡しているのだ。


 そこに武装した五十人近い男たちが押しかければひとたまりも無い。

 これならば難無く州境の関を突破できるだろう。


 そしてその夜北部マンスール男爵領の一部の地域から小作農や農民が根こそぎ居なくなったのだ。

 しかしこれは終わりではなく始まりだった。

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