第86話 出資者会議(6)
【4】
私はパブロに事前に用意していたメモを渡してクルクワ男爵の下に持って行かせる。
男爵は手に握らされたメモに気付きこっそりと目を通している。
会場ではマルゲリータが何やら嬉しそうにリコッタ伯爵に食って掛かっている。
「私は存じ上げております。ペコリーノ様がどれだけ伯爵家に尽くしてきたかを」
マルゲリータは何かスイッチが入ったのか、ヒロインになり切っているようだ。
「兄上の伯爵様を諫め、リコッタ領を守って来た事を。でも報われぬ忠義はもう必要ございません。これからは私がペコリーノ様を支えてクルクワ領を二人で守ってまいります。誰にも邪魔はさせませんわ」
何をいい加減な事を…。ペコリーノ氏は実直なだけで何一つ領地経営には役立っていないのだが…。
「貴様ら…! 好き勝手を申すな! 家長であり領主たるわしの申す事に従うのも、領地を支えるのも領民として当然であろうが! いくら弟であっても領主の下では一領民に変わりないわ!」
「その領民に何一つ報いないで何が領主ですか!」
「女の分際で…、若輩のくせに…、男爵ごときが伯爵たるわしに歯向かうなど許されんぞ!」
「兄上! わが妻となるマルゲリータにそれ以上の暴言は止めて頂きたい。たとえ兄でも許しませんぞ」
なにかわずかの時間でペコリーノ氏の顔つきが精悍になったように思える。
マルゲリータが自慢げなドヤ顔でリコッタ伯爵を見上げている。
ペコリーノ氏、許さぬと言っても何が出来ると言うのだろう。貧弱なペコリーノ氏では殴ったところでコブシを痛めてしまうのがオチだ。
「放逐してやる! 其の方など我が領から放逐してやるぞ! もう我が領とは縁のない者じゃ。どうなろうと知った事か!」
「コルデー! クルクワ男爵より婚約の約定は見せて頂いていますね」
「はい、お嬢さま」
「この場合は法的に支度金や慰謝料についてはどうなるのですか?」
「ラスカル王国の国法に照らせば、約定後の放逐となりますので約定の内容を変える事は出来ません」
「そう言う事になりますので、リコッタ家が不名誉を被る以外に何一つ変わる事は御座いません」
リコッタ伯爵の顔から血の気が引く。
「そんな事はおかしい。ペコリーノはもう我が家の縁者ではない。婚約の約定は無かった事にせよ! クルクワ家の借金は返済せよ!」
「せよと申されても、そちらの公証人の申す通りでクルクワ家には何の義務も御座らん」
「ふざけるな! このようなケダモノの公証人風情の言う事が何の意味が有る」
「我が商会のコルデーは法律顧問でそもそも代訴人としてハスラー王国でラスカル王国との法務関係を担っていたものです。両国の代訴人資格はもちろん有しておりますし、国家間訴訟の経験も持っております」
「こんな…、こんな事が…、なぜこんな事がまかり通る? わしは伯爵だぞ。それが男爵や平民ごときになぜ舐められなければならぬ」
「リコッタ伯爵様。これ以上のいざこざは家名に傷をつけるのみならず、仲立ち頂いたストロガノフ子爵のお顔にも泥を塗る事になりましょう。ここは穏便に済まされては如何かと…」
私の申し出にリコッタ伯爵は忌々しそうにこちらを睨みつける。
「ならば其の方が紡績機を無償で寄越せ!」
「私どもは商人です。利益が出ない様な取引は致しません。それならばこの領から手を引くだけです」
「待て! それは困る。違う! そうだ投資が集まれば、金貨四十枚あれば良いのだろう。待つのだ」
リコッタ伯爵は完全に混乱して状況が分からなくなっている様だ。
「ストロガノフ子爵閣下、クルクワ男爵閣下。如何でしょうか? 落としどころとしてはこれでどの家も瑕疵無く収まると思うのですが」
「ああ、このような下らぬ諍いで近衛騎士団長たる我が家の武門に泥が塗られるのは我慢ならん。それで決着をつけよ」
「クルクワ家としても異存はない。この会議が終わればペコリーノは婿としてこのままクルクワ領迄連れ帰る事といたそう」
「待て! 待ってくれ。このままではリコッタ家の経営が…、これまでの投資が回収できぬ。お集りの皆様。何卒、この株式組合に投資をお願い致したい。四十株…四十株投資頂ければ、設備は設置され工場は稼働する。秋には収益も出るのだ」
「四十株の投資で利益は出るのですな」
宮廷魔術師の子爵が言った。
「ああ、間違いなく利益が出る。配当金もお約束できる。説明書に記載してある通りじゃ」
「それならば…」
「ただし大きな利益は本年度は望めませんよ」
私が割って入る。
「何を言う! 其の方の納める紡績機に何か問題でもあるのか! 事と次第によっては只ではおかぬぞ」
「四十株の投資では紡績機の手付金にしかなりません。秋には引き渡し額の残金を返済していただく契約になっております。本年度の収益は殆んどがその返済に充てられることとなり純益は大きく減少致します」
「ならば我ら投資家に利益が出るにはいかほどの資金が必要なのだ?」
「四十株を超えて投資頂ければ利益は少しづつ増えてまいります。そして百株の投資が有れば設備代金は完済されますので、収穫分の収益の多くを利益として計上できるでしょう」
「ならば設備購入の目途が立たん事には出資は考えられんな」
宮廷貴族たちはひそひそと会話を続ける。
「見ろ、兄者。このままでは先ほど表明した金貨五枚も捨てた様な物だぞ。二十枚も出資していればどうなっていたと思うのだ」
ウルダ子爵の弟が諭すように兄の子爵に意見をしている。
出資者が集まらないのはそれはそれでヤバイ。何故かって? もちろん紡績機が売れないからだ。
手付の金貨四十枚を貰えれば後は製作して納品するだけ。残金が支払われない様な最悪の場合でも、納品した紡績機を差し押さえればそれで終わりだ。
しかし中古品二台だけでは儲けが薄い。まあ損はしないけれども。
「待ってくれ。お願いだ。出資頂ければ配当は出せる。出資金が集まれば確実にもうかるのだ。それでないと我が領は…」
ついにリコッタ伯爵から泣きが入った。
「執事のわたくしからもお願い致します。ここで出資がいただければペコリーノ様が婿に出られてもリコッタ領は維持する事が出来まする。どうかお願い申し上げます」
これってペコリーノ氏が婿に出ると領地経営が相当ヤバい事になると言う事だよねえ。
遠回しに領地経営が破綻しかけているって告白しているようなものじゃないの。
「ストロガノフ卿、以前の出資者会議では金貨百枚の支援をお約束していただけたではありませんか。この度こそ切に、切にお願い申し上げる」
やはり後ろ楯が居たようだ。裏でストロガノフ子爵が糸を引いていたのだろう。
「今回は状況が違う。前回はもうすでに利益が出ている事業であったから支援を約束したが、この度は未だ立ち上がってすらおらぬ。そんなものに多額の投資など出来ん」
ストロガノフ子爵がすっぱりと切り捨てた。
ここが潮目と判断したのだろう、クルクワ男爵が口を開いた。
「仕方がない。我が家の婿の実家だ。出資しよう。後々難癖を付けられるのも癪ではあるし五十一株を購入する。重ねて申すぞこれは出資であると。我が家には婚姻の約定を持って借金は無い! この五十一株は新規の株式組合への出資であり株式の所有はクルクワ家である。更に金貨十四枚はペコリーノの婚姻に際して支払われるはずだった支度金だ。リコッタ伯爵家は我が婿ペコリーノに対し工場建屋をその担保として金貨十四枚の借金を有している。これが金貨六十五枚の内訳と心得て貰おう」
リコッタ伯爵は肩を落とし力無く同意すると顔を上げた。
「皆様方、五十一株の出資が得られましたぞ。ウルダ子爵家の五株と併せて五十六株。残り四十四株のご出資をお願いできぬでしょうか」
これで配当が確実になったと判断した他の貴族から出資の声が掛かり百株の出資枠は埋まった。
どうにかリコッタ株式組合は設立されて亜麻の収穫前には四台の紡績機が工場に設置される運びとなった。
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