第83話 船旅

【1】

「あの河を更に下るとハウザー王国なのか。ここからハウザー王国の王都に繋がっているということなのだな」

 ジョン王子が南の下流を見ながらそう言った。


 私たちはゴルゴンゾーラ公爵家のお召し船の甲板に居る。

 ジョン王子とヨアンナを乗せて王都に向かう専用船に私も便乗しているのだ…と言うよりもアヴァロン商事の仕立てた船なので当然私の持ち物なのだから。

 ジョン王子とヨアンナに箔をつける為にうちの大型河船を一隻、貴賓用に改装させたのだ。

 普段ならヨアンナだって定期船に乗って川を渡るのだから。


「ええ、ハウザー王国のヴェローニャ迄ならは下りなので半日とかからない。そこから一日乗ればハウザーの王都よ」

「ここからならラスカルの王都に向かうより近いというわけか」


「距離としてはそこまで変わらないけれどずっと下りなのでね。ラスカル王都は下りと上りを乗り換えなければいけないからア・オーまでは上りで三日、フィリポからは下りで一日半ね」

「と言うことはハウザー王都からここまで戻るのは時間がかかるということだな」

「ええ、だいたい三日半から四日の旅程になるでしょうね」


「そうか、簡単に行けても帰るのは遠いのだな…。エレノアたちは息災にしているのかな」

 まさかジョン王子殿下の口から異母妹を気遣う言葉が出るとは意外だった。

「なんだ? その顔は? 俺だとて兄妹に情が無いわけではないぞ」

「いえ、そんな事は…」

「思っていたのだろう。其の方のことだから」

「…」


「あまり馴染みが有る訳では無いが、それでも妹なのだ。初めて見たのは俺が四つの時で、父上へのお披露目の時だった。さすがに四つにもなるとあれが妹だという事は分かった。だから赤子の時から覚えているのはエレノアだけだ」

 ジョン王子殿下には異母兄妹が五人いる。兄が一人と姉が二人、そして妹が二人いるのだ。

 姉二人はモン・ドール教導騎士団長と婚姻した第一子と婚約が決まっている第二子で、兄はもちろんリチャード王子殿下だ。

 年下は二つ下のエリナー第三王女と四つ下のエレノア王女。


「エリナーとエレノアは俺が生まれたお陰で、マリエッタ様にも構われる事が無かったんだ。特にエレノアは不憫な娘なのだ。居ても居なくてもいいどうでも良い程度の扱いだった…いや、今でもそうだな」

 王宮内では対立しており、係わりも薄い妹の事を気にかけているとは正直、意外だった。


「あの兄妹にそこまで貴方が気にかける値打ちも無いかしら。あいつらの仲の悪さときたらばそれはひどいものだったかしら」

「ヨアンナは兄妹に恵まれているからそう言えるのだ。王室では兄妹でも気を抜くと捨て駒で使い潰される。俺など兄姉誰一人信用する事など出来ん。ただそのツケが、まだ何も知らないエレノアに全てかかっているのが哀れだと思っているだけだ」


「おい、セイラ・カンボゾーラ何を泣いている?」

「殿下に人の情が残っていたことが嬉しくて…」

「貴様、いつかその首刎ねてやるからな」

「そういう事はあいつ等にも言ってやれば良いのかしら。貴方の兄上にはもっと噛みついてやればいいかしら。貴方はそれぐらいの事をあの薄汚い兄姉に言ってやる権利はあるかしら」

「其の方らと話すのと意味合いが違う。それで迷惑を被るのは宮廷の召使いたちだ」


「上辺だけ飾って、下級貴族のメイドやサーヴァントは物の様に扱う。エレノア王女もそんな扱いだったのかしら」

「ああ、まあそうだ。それに俺の立場で何か言えばそれは冗談にはならんからな」

「それで立場を笠に好き放題する愚か者どもに、馬鹿丁寧に接しているというのかしら」

「王族には王族の立場が有るのだ」


 やはり王族なんて下らない。

 国王一家は正妃であるマリエル王妃とジョン王子は反主流派、国王と寵妃親子とモン・ドール侯爵家が幅を利かせる王宮内で気を張って生きてきたのだろう。

 つまらない権力争いの中で肉親相手にも優等生的な生活を過ごし、気軽に悪態をつける相手はヨアンナくらいしか居なかったのだろう。

 二人の仲の悪さは気安さの裏返しだったのかもしれない。


「あの妹殿下たち二人も似たり寄ったりなのかしら。エレノアさまはよく知らないけれどエリナー王女殿下は我儘な小憎らしい小娘だったかしら」

「でもエレノア様はその様な方では御座いませんでしたよ。素直な可愛らしい方でしたけれど」

 留学前にゴッダードに滞在した印象では他の兄弟とは違うようだ。


「ああ、エリアナやリチャード兄上達の顔色を窺って大きくなった娘だ。それに末子なので側付きも殆んどいなかったしな」

「だから心配なのですね。でも大丈夫ですよ、この私が世話をしたのですから。ジョン王子殿下みたいに図太くない繊細な方でしたから支えになる者も付けていますし」


【2】

 ジョン王子殿下は少しムッとした顔で私を睨んだが素直に頭を下げた。

「妹の為に骨を折ってくれて礼を言う。こういう言葉は他では言えんのでな」


 さすがに素直に頭を下げられると私もバツが悪い。

「あ…あの、エレノア王女殿下からはお手紙で近況は存じておりますよ。全部とは申しませんが、冬から春にかけて頂いたものは持ち帰るため持参しておりますのでお読みになりますか?」


 昨年の冬至祭がとても楽しかったようで、私宛に何枚も手紙をくれていた。ヴェロニクやファナにも例の言葉を連ねていた。

 新学期に入っても獣人属や人属の同級生と一緒にお茶会を開いて、獣人属派閥と人属派閥の橋渡しを担っているそうだ。


 シャルロットからの報告でもクラスのまとめ役として地位を固めつつあり、自信も付けて来ているという。

 ただ、一部の教師から清貧派の扇動者として見られつつあるとの懸念も記されていた。

 基礎教養部分ではラスカル王国の方が進んでいる為得るところは少ないようだが、微妙な人間関係の中で統率力と人望を勝ち取りつつあるとシャルロットは書いて来ている。


 テレーズ修道女からは、今一年の生徒の間では治癒魔法の習得が熱心に行われているという。

 授業の無い休みの日の時間を使ってだが、神学校生の奉仕活動として街の聖教会で平民信徒への施術を始めたそうだ。

 それに有志の生徒…と言っても一年全員だそうだが…を連れてテレーズが実技指導を行い、生徒が簡単な施術を行っているという。

 特にエレノア王女たち留学生の四人は、帰国後も自分の技術になると言って熱心に学んでいる。


 シャルロットの手紙では施術後に奉仕として、セイラカフェメイド四人が用意するホットケーキを信徒たちと食べるのがこの施術奉仕の楽しみの様で、参加する生徒はほぼ欠ける事無く全員が集まるのだそうだ。

 エレノア王女は今や清貧派の指導者的立場の様に思われているらしい。


 そんな手紙を読みながら嬉しそうに微笑むジョン王子殿下見ながら、この男も少しは見直してやってもいいかなと感じ始めていた。

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