第118話 ア・オーの街
【1】
レーネ・サレール子爵令嬢たち四人は、フィリポの街で仕立てて貰った馬車で州境を越えてカマンベール子爵領のア・オーに向かった。
カンボゾーラ子爵夫人から領主館への紹介状を書こうと申し出てくれたが、お断りして宿屋の紹介状を貰ってそこに荷物を下した。
カマンベール子爵家なら歓待してくれるだろうが、さすがに厚かましいと感じたのだ。
ア・オーの街もフィリポとはまた違う活気にあふれていた。
建物はどれも新しく、大通りは農民や商人が行き交いどの店も商品があふれかえっていた。
「セイラさんのフィリポの街より更に賑わっているようですね。私の領も賑わっていますが、ここは人の活気が違いますわ」
リナ・マリボー男爵令嬢が感嘆の声を上げる。
「この先のクオーネの街はもっと賑やかですわよ。この国で王都に次ぐ街ですし、ハウザー商人が多く集まってきていてそれは立派な街ですわ」
エレン・サムソー子爵令嬢が自慢げに話している横で、フランは違う印象を持っていた。
以前行ったクオーネの街も大きな街だったことはよく知っている。フィリポの街も栄えている。
でもア・オーの活気はそれとは違うのだ。
楽しそうに行き交う子供たちも出店の商人もどこか素人臭い、いやどれも皆生粋の商人では無く農民のようだ。
先ほどチーズを乗せた焙り焼きを買った店の主人は、村で採れた羊肉を売りに来ていると言っていた。
この街は農民や商人の…もっと言えば役人や騎士たちとの隔たりがとても少ないように感じる。
王都はもちろん他の街でも簡易甲冑を着た騎士と野菜を売りに来た農夫が、気軽に並んで串焼きの屋台で談笑している姿など先ず見る事が無い。
モンブリゾン男爵家は金で爵位を買った。
主家だった元の男爵家は体面ばかり気にする放蕩者の家系で、三代続いて借金を重ね廃嫡の憂き目にあいかけた。
その爵位を男爵の又従姉の婿という立場だった父が、爵位を買って後を継いだのだ。
領地は父の経営する商会とその関係の羊毛や麻の生産で成り立っている。近年南部との取引で領内は潤っているが、旧来の臣下筋からは領主家自体が軽く見られ農家も活気が無い。
自分の領地もこんな町なら良いのにと羨ましく思う。
「この街は良い街だね。とてもいい街だと思うよ。王都よりも東部よりも、私はクオーネよりもいい街だと思う」
フランがそう言うと、急にドンと肩を叩かれた。
「ねえちゃん! 嬉しいこと言ってくれるねえ。こいつはわたしのおごりだよ。みんなでお食べ、持ってきな」
露店を出していた農婦が、ざる一杯のイチゴを大きな木の葉っぱに移して手渡してくれた。
「あんた達王立学校の娘かい? ああそうなんだ。ならクロエお嬢さんを知ってかい。お嬢さんにマルメロのジャムを教えて上げたのはわたしなんだよ。ほら、これも食べて御覧な」
隣でライ麦パンを売っていた娘が、一口に切ったパンにマルメロのジャムをたっぷり乗せて差し出してくる。
いつの間にかフランたち四人を囲んで、人の輪が出来てきた。
「クロエ様はこの春も帰ってこないんだね。久しぶりに去年の冬至祭は帰って来られたけれど」
「クロエ様、一昨年から一年帰って来れなかったからなぁ。春は何で帰って来れないんだ」
「クロエ様は王都で事件に巻き込まれて、兄上のルカ様が心配されて」
「ルカ様かぁ…。あの人は妹に構い過ぎだぜ。クロエ様も可哀そうに婿もとれないんじゃないか」
こういう話になるとついつい話したくなるのがフランの性分だ。
「実はね、そうでもないんだよ。王立学校では公然の話しなんだけれど‥‥」
ここから先はフランの独壇場である。
ウィキンズとクロエの馴れ初めの話しから誘拐未遂事件に至る一連の経緯を派手に尾ひれを付けながら話す。
そこにサムソー子爵令嬢とマリボー男爵令嬢が憶測八割の考察や意見を挟むものだから、いつしか彼女たちの周りは人だかりが出来ている。
フランは何処からともなく運ばれてきた樽の上に担ぎ上げられて、ウルヴァの奮闘からリオニーの救出劇に至ると群衆からは興奮した叫び声が起こる。
そしてウィキンズがマルカム・ライオルを討ち取るくだりになると群衆から大歓声が上がった。
この領ではライオル家は怨嗟の的なのだから。
いつの間にか道路には床几やテーブルが並べられて露天が食べ物や飲み物を配り始めている。
レーネ・サレール子爵令嬢は少し離れたテーブルに付いて頭を抱えていた。
盛り上がっている群衆に水を差すわけには行かないが、領主家をネタにするのはどうなのだろう。
クロエやルーシーの実家なのだから怒ることはないだろうが、不快に思わないかなどと思案していた。
そんなレーネの心配を他所に話はクライマックスに突入し、第一王子の求愛を振り切ってウィキンズの胸に飛び込むクロエの話しになると集まった娘たちからため息とも悲鳴ともつかぬ声が上がり、中には涙を流して感動に打ち震える者もあらわれた。
その頃に成ると聖教会教室や聖教会工房から帰ってくる子どもたちが混じり始めた。
「ねえ、わたしたちにもおしえてよ」
「ぼくは、キシさまのおはなしをききたい」
「よーし! お姉さんが聞かせてあげる」
フランが差し出されたリンゴの果汁をゴクリと飲み干すと、調子づいて又一から語り始めた。
「それでクロエ様は寮に閉じ込められているのかい?」
いつの間にかレーネの隣に腰掛けた職人風の男が話しかけてきた。
「ええ、兄君のルカ様が心配して男どもを近づけるなと」
「野暮だねぇ、ルカ様も。シスコンの度が過ぎるんじゃねえか」
レーネの返答に農夫らしき男が首を振りながら言う。
「年の離れた妹だから可愛いんだろうが、ルカ殿も困ったもんだな。一言言ってやったらどうです」
向かいの衛士らしい男が隣の身なりの良い男に言っている。
「ねえ、そのウィキンズさんってクロエお
「僕もその人が来たら体術をおしえてもらうんだ!」
集まった子どもたちも好き勝手に盛り上がり始めた。
「お嬢さん、そのウィキンズという騎士はどんな男なのかね」
向かいの紳士がレーネに問いかける。
「ええ、三年間Aクラスを主席で通した方です。騎士団寮では第一王子がいらっしゃるので副寮長ですが、実際に騎士団寮を仕切っているのはウィキンズ様です」
「ホー、平民の出でそこまでとは。逸材だな」
「やはり、ルカ様にビシッと言ってやるべきですぜ」
「そうですよ。そんな騎士ならウカウカしてると上級貴族の令嬢にかすめ取られちまう。なあ、お嬢さんもそう思うだろう」
「えっ…ええ、まあウィキンズ様を狙っている方は多いですけれど…。クロエ様も第一王子を筆頭に狙っていらっしゃる方は…」
「そんなのだめだよー! その騎士様は義兄上になってこの領地に来てもらうんだ! ねえ父上」
「そうだな! ルカにはビシッと言っておかねばな。クロエには王立学校を休んでもいいからウィキンズ殿を連れて帰ってこいと明日にでも便りを出そう」
…えっ!? 義兄上? 父上? ルカとクロエって…?!
「あの、まさか御領主様…」
「ああ違いますよ。領主は父だ。私はルーク・カマンベール。長男です」
「…あっあっあ…。しっ失礼いたしました。私はサレール子爵家の長女レーネと申します。ご挨拶が遅れまして誠にすみません。他の三人にもすぐにご挨拶を…」
「いやいや、他の三人のお嬢様方には黙っておいて下さい。みんな楽しんでいるし、私も楽しい話を聞かせてもらった。この街は急に大きくなったので娯楽が少ないんですよ。おい、ルキウス。お祖父様やお祖母様も呼んでおいで、お母様やルシオ叔父さんの一家も声をかけておいで」
「レーネ様、クロエお
「ええ、でも不実な方なので今はジャンヌ・スティルトン様やセイラ・カンボゾーラ様を狙っていらっしゃるようよ」
「まあ、セイラお姉さまやジャンヌ様を! 王子様、最低だわ。でも王立学校に行けばクロエお
「クロエ様もセイラ様も、もちろんジャンヌ様もAクラスでしっかりと学ばれたからよ。そして自分がどうするべきかしっかりと考えていらっしゃるから。地位や名誉なんて下らないわ。貴女はこんなステキな領地に住んでいるのだからそれを誇ればいいのよ」
「ウン、わたしもお祖父様やルーク伯父様が大好き。お友達もたくさんいるしね」
通りに集まる人はどんどん増えてきて、今はフラン達に替わって話を聞いていた人々がめいめいに語りだしている。
フランたち三人はその語り手達に訂正を入れたり補足説明をしたりしながら街のみんなとすっかり打ち解けている。
身なりの良い初老の紳士とその奥方が現れ、続いて若い夫婦がこちらに向かって”ケレス!”と声をかけると、話していた少女が二人のところにかけていった。
レーネは自領に帰ったら領民を集めて同じ様な事をやってみても良いかもしれないと思い始めていた。
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