第117話 カスバート家(4)

【7】

 翌朝三人は殊勝な萎れたような態度で、腹の中を隠してカンボゾーラ子爵家にやってきた。

「わかりました。それで構いませんよ。その条件で契約致しましょう」

 フィリップ・カンボゾーラ子爵は少し驚いた風でこちらを見た。

 ゴネると思っていたんだろう。

「ご兄弟で意見は揃ったのですか? ご不満を残しているようなことは」

「私たち兄弟は一蓮托生です。三人で役割分担してやってまいりました。お時間を頂いたお陰でお互い納得行く話ができました」

 それでは約定をフイリップが書類を用意させようとするところで、ハーポが口を挟んだ。


「御領主様、それでご提案が有るのです。腹案があれば話をすると言って頂けたのでお話させて頂きたいのですが」

「おい、ハーポ! 御領主様に僭越だろう」

「チコ殿。昨日俺が言ったことです。ハーポ、構わないので話してみなさい。財務を担当しているのが君なのであろう?」


「作用で御座います、御領主様。昨日うかがってから考えておりましたが、この方法は財務管理にはとても便利なのですよ。何年も先の税金支払いまで予想できる。もし豊作なら不作のために蓄える事もできる」

「ほう、それは良いお考えだ。堅実な財務管理ができそうだね」


「ですから、この先我が家はこの税額で固定して頂けないでしょうか。広大な農地を抱えておりますので自作農のような管理では不備が出るのです。それに税金も現金で支払えるなら運搬の手間も省けて、御領主様も運送費の節約にも成るでしょう」

「おお良いお考えだ。それで相場はどう致します。こちらも腹案がお有りのようだが」


「ええ、仰る通りのここ十年の期末相場換算での平均納税額が規準で構いません。これなら年末には次年度の税金額が分かるのでとても助かります」

「ほう、しかし前年が不作で相場が上がれば、翌年は損になりますよ」

「しかし豊作なら、得になります。年数を重ねれば平均として均されます」


「さすがは、数学に長けておられる。わかりましたその条件を呑みましょう。セイラ、契約書の準備をさせなさい」

「はい、義父上。公証人は義母上で宜しいでしょうか?」

「ああ、書類を作ってサインが終わればルーシーに公証人のサインをもらおう。領主夫人が証人となるのだから不備の無いようにな」


 領主夫人のお墨付きが付いた以上もう文句はつけられない。

 マルクスと弟たちはほっと息をついた。

 そこに子爵が一言釘を刺す。

「今年はこの地所の面積についてこの価格の八割が納税額です。しかし次年度からは全額もらいますよ」

 契約が成った以上はマルクス兄弟の思惑通りなのだから文句はなかった。

 マルクスもチコもハーポも後は帰って祝杯を挙げるだけだと考えたいた。


【8】

「まあこちらの思い通りに踊ってくれたな」

「でも義父上、私たちはあちらに不利な提案はしていないよ。後はカスバート一家次第だよ」

「それでも、叩くんだろう。教導派の犬みたいな一家だからな」


「でも今日の契約内容の全てに気付いたと言う事は農地経営者としては無能じゃないよ」

「ああ、現金支払いはごねると思っていた。まさかあちらから納税額の相場換算の十年平均を申し出られるとはな。一筋縄では行かんな、シルラ副司祭のような愚か者では無いからな」

「信頼は出来ないけれど経営手腕はあるようだね。此れから先の行動次第ではどう扱うか決めればいいんだ。信頼はできないが信用できるのか、信用するにも値しないのかね」


「セイラ、結果まで見なくていいのか? お前の為に色々と仕組んだんぞ」

「休みの間も色々あったし、急いで帰らないと新学期に間に合わないんですよ」

「結果はどうするんだ。興味は無いのか」

「道はつけたんで、後はカスバート家がどう判断するかだけれど…。夏の休み頃にはシルラ副司祭も含めて旧勢力と対決する覚悟はしていますから。気になるのは、その時カスバート家がどちらについているかくらいでしょうね」


【9】

 アヴァロン商事とライトスミス商会が購入した広大な河辺の土地には先ず作業員用の住宅が出来た。そしてその作業員が二階建ての長屋が次々と建てだした。

 三棟の長屋が完成すると次々と家族連れの作業員が入居しだした。


 春になり小麦の茎が伸び始める頃、カスバート家の農場は大変な事になっていた。小作人が居なくなっていたのだ。

 フィリポ毛織物組合とカンボゾーラ建設が、隣村の河辺に巨大な建築物を作ると言って作業員を募ったのだ。

 カスバート家は特に気にもしていなかったのだが、農地の小作農が軒並み引き抜かれてその工事現場に移ってしまった、それも家族を全部連れて。


「チコ! これは一体どう言う事なんだ? 何が起こった?」

「うちの倍の給金を出すという条件を、奴ら小作人に吹き込んで回ってやがったんだ」

「家族まで引っこ抜いてか? だが、工事が終わればどうするんだ? 無職じゃねえか。それでも出て行くのは何でだ!」

「嫁や子供をフィリポ毛織組合が工場の織子として雇ったんだよ。工事の作業員はカンボゾーラ建設が雇って、今の工事が終われば新しい工事現場に行く事になるそうだ」

「フィリポ毛織組合なんて、まだ工場が出来ていないじゃないか」

「ああ、それまでは織機や紡績機の作業を教えて工場が動き出すと直ぐに仕事が出来る様に教育するんだとさ。それにもう住む場所は出来ているとかで、直ぐにでも働けるというのがうたい文句だ」


「…そんな。ウチも同じ給金を出すからと言って呼び返せ。近隣の村にもあたって小作人を搔き集めろ」

「そう言う訳に行かなねえんだ兄貴。ウチだけじゃないんだ。領内の地主は軒並みやられている。小作農が根こそぎいなくなってるんだ」


「このままじゃあ、小麦の収穫が出来ない。これから花が咲いて穂が実るんだぞ! 小作人が居なければ畑が出来ないんだぞ!」

「だからってどうする事も出来ない。ライオル家が領民を追い払っちまって人がいないんだから」


「そうだ! 領主に! 子爵に頼んでこんなバカな事をやめさせて貰うぞ。小作人を戻して貰うんだ!」

「…それは難しいかも知れない。フィリポ毛織組合もカンボゾーラ建設も領主家の立ち上げた組合だ。カンボゾーラ子爵は知っててやってるんだと思う」

「俺たちがライオル家に協力したからか? 仕方ないじゃないか領主家に逆らえなかったんだ」


「兄貴、俺たちが教導派の聖職者を置いている事が気に入らないんじゃねえか。聖教会教室や工房も拒否してるから、敵対してると思われてるのかも」

「それでもこんな手の込んだ事をするか? 税収が減るんだぞ! こんな状態で税金が払えなくなるんだぞ!」

「…やられた! 領主家の税収は減らないぜ兄貴。土地の面積に合わせて現金で払う事になっているんだ。領主家は麦が採れなくても税金を徴収するぜ。あの後、領内の地主の多くがウチの支払い方法と同じ契約をしたそうだ。現金で納税するなら五分の割引をすると言われたそうだ」


「だが…、しかし…、それでも税金が払えない場合はどうなるんだ? 麦が無けりゃあ支払いは無理だろう」

「あるんだ。税金を支払わないで済む方法が一つだけ」

「なんだ! 言ってみろ! そんな方法が有るのならやれば良いじゃないか」

「土地を…手放すんだよ。領主家の狙いはそれだ。収穫が出来ない土地は売ってしまえと言ってるんだ、多分」


「兄さん、来客だ! カンボゾーラ農業共有組合と信用組合の連中が来た! ウチの農地を買い取りたいって言って」

 飛び込んできたハーポの言葉を聞いて、マルクス・カスバートは血の気が引いて行くのが分かった。

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