第71話 オーブラック州都アリゴ

【1】

 オーブラック州の州都アリゴの街はそれでもアルハズ州や北部周辺州よりは賑わっていた。

 もちろんルーション砦の海軍施設のおこぼれにありついているからなのだが、砦の手前に出来た作業員の町や獣人属の多くいる土木作業員宿舎街と比べれば見る影もないのだが。


 周辺の農村や町から比べれば余程恵まれているのだが、アリゴの市民やルーション砦の手前の村はルーションの繁栄を見ているので不満が募り募っている。

 ただその不満は不安定でどこに向かうかも解らないものであった。


 領主であるデ・コース伯爵の失政によるルーション砦建設道路の経路規制からアリゴを外した事やルーション砦周辺からの獣人属の移動を禁じた事で大きな儲けを逃したと思っている。

 そしてリューションの獣人属が本来アリゴの市民が得るべき利益を掠め取っていると考える市民も多い。


 この怒りが何処に向かうかは判らないがアリゴは一種即発の事態に陥っている。

 そのアリゴの下町に在る酒場に幾人かの若者が集まっていた。

「街の様子はどうだ? どういう印象を受けた」

「獣人族に対する妬みと嫉妬は激しいな。金を持っているからまだマシだが、もともと教導派の領地だから下層民の獣人属が自分たちより裕福なことが気に入らないようだ」

 店に屯していた若者に入ってきた獣人族の青年がそう言った。


「ということは何かされたのか?」

「金づる相手にバカな事はしないが、かなりボッタクられたよ」

「よく街の城壁を越えられたなあ」

「いまはデ・コース伯爵の命令なんて誰も聞きはしないさ。金を落としてくれる獣人属だぜ。門衛だって知らん顔を決め込んでる」


「俺達もこの街に来て三日しか立っていないが、それにしては街中で獣人族を見かけることはほとんど無いんだがな」

「それはそうだろう。この街自体が何も無いからな。俺がこの街に入ってから何か売れる物を持ってないかと三度も声をかけられた。砂糖も香辛料ももちろん麦も、何もかもここじゃあ足りないようだぜ」


「そういえば闇商人がかなり出入りしているようだな。ルーション砦の周辺の村や裏の町の連中がこっそりと買い込んだものをアリゴに持ち込んでいるようだぜ」

「なんで正規の商人が入ってこないんだ? 別に獣人属でなければ咎め立てもないだろうに」

「判らないの? 税を取られるからじゃないの。アリゴの城門をくぐるためには荷物の税金を払わねけりゃあ行けないもの。それならば税を取らないルーションに直行するほうが賢いでしょう。聖教会教室で経理を学べばそれくらい理解できるはずよ」


「何よりアリゴの市民は大量に物資が持ち込まれてもそれを買う金が無いんだ。北西部の相場じゃあライ麦パンですら買えない。働きたくてもルーション砦はデ・コース伯爵のせいで、アリゴ市民を雇えない。あの領主様は獣人属のいる地域と市民が関わるのを禁止したんだからな」


「それで、どう思う。市民が爆発するとどうなると思う?」

「下手をするとルーションの町に襲撃をかける様なことが起こるかもしれない。反対にデ・コース伯爵に対して抗議の暴動が起きるかもしれない。どちらとも言えないな」

「なっ、ルーションを襲ったところで何も変わらないだろう。そもそもこの街が他の村や町よりもマシな生活ができているのはルーション砦とその街のおかげだろう」


「だから言っただろう、嫉妬と妬みだって。自分たちよりも下に見ている獣人属やよそ者の作業員が妬ましいんだ。それに自分より弱いと思っている相手なら殴って奪っても構わないだろうと言うことだろうよ」

「そんな事をしても砦の海軍が出てきて鎮圧されるだけじゃないか。多分作業員たちは砦に匿われて、襲った奴らは無意味の鎮圧されて、最悪はデ・コース伯爵との内戦状態になるだけだぞ」


「そんな事市民には見えていないさ。ここには聖教会教室も聖教会工房もないんだ。字もろくに読めないような一般民がそこまで状況を理解できないぜ。俺達だって一年前まではそんなもんだっただろうが」

「ただまだ食べて行けるからきっかけがなければすぐに爆発はしないわよ。何より私達がこの状況を正確に判っていればその怒りをデ・コース伯爵に向けて誘導できるはずよ」


「俺もそう思う。デ・コース伯爵となら交渉の余地はある。体面が在るから頑なにルーション砦との関わりを拒んでいるが、ルーション砦との流通を許可すればあの領主にも利益は有るんだ。それは伯爵だって理解しているだろう。爆発しそうになれば世論をそちらに誘導すれば良い」


「でも爆発を起こさせないことが一番なのだけれど…」

「そうだな。今のところまだそこまで深刻な食糧不足ってわけでもない。もしヤバければルーションから援助も入るだろう」

「でも火種はどこに転がっているかわからないぜ」

「ああ、俺達の手の届く範囲以外でも有りそうだ」


「ド・ヌール夫人が出した農村開放要求書は火種にならないだろうか?」

「アリゴの街についてならそれはないだろうが…」

「周辺でなくても、他領でも火が付けば飛び火しないかしら」


「俺は蜂起した者が出たときダッレーヴォ州がどう動くかで変わってくると思う。アントワネット・シェブリ伯爵令嬢は開放要求書に前向きだ。でも周りがそれをどう捉えるかだと思う」

「それならば王都大聖堂のジョバンニ・ペスカトーレ大司祭もだね。そのどちらかが私達に賛同してくれれば交渉の余地も出てくる。無駄な血を流すこともないだろう。今まで農民は耐え続けて殺され続けたんだから」


「そう上手く行かしら。私はペスカトーレ侯爵家は信じない。誰がなんと言おうとあの一族は父さんの敵だから。私は聖女ジャンヌの気持ちがよく分かる。今世の動きを見てこちらに媚びたとしても腹の底は変わらない腐った一族だと思っているわ」

「あんたはいつもペスカトーレ侯爵家には辛辣だな。まあ良いさ。もともと敵の親玉だ。簡単に信じて裏切られることも有るからそれでも良いんじゃないか。ただ今しばらくは準備が整うまでこの街は平穏でいてもらわなければな」


「難しい舵取りだな。しばらくは街の中に噂を撒いて下地作りをする他ないか。火種になりそうなことは目を光らせてくれ。ド・ヌール夫人たちはアントワネット・シェブリに期待しているようだから先走らないようにお願いが必要だな。ド・ヌール夫人にはその旨連絡をつけて他領での大きな動きは抑えて貰って欲しいと一報入れておこう」

 そう言って獣人の青年は酒場を出ていった。

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