第72話 ペルラン州都ジュラ
【1】
今のところ王都は落ち着いている。
ただ不穏な空気は常に漂い続けている。
この春はヨハネス卿はもとよりヨアンナも王都のゴルゴンゾーラ公爵邸に残っている。
ジャンヌはアヴァロン州のクオーネ大聖堂に移動し北海地方を含むラスカル王国北西部一帯の掌握に勤めている。
カロリーヌとオズマはポワチエ州に戻り北海周辺の商船と流通の監視と海軍との連携を図っている。
私はといえば王都を拠点にしてフィリポからシャピの間を行ったり来たりしている。
北部中央や北東部の州で大きな混乱が起こっている。
それらの州では力を持っていた服飾ギルドや皮革加工ギルドが衰退、というより崩壊を始めており北西部や南東部で再編されつつ有る株式組合に飲み込まれようとしている。
南部や南西部、北西部などの清貧派諸領では綿紡績をを中心とする織物産業がハウザー王国北部まで巻き込んで隆盛を極めつつ有る。
河船の造船はライトスミス木工所の基幹産業だったが、さらにシャピに進出し外洋船のドックが北部最西端のバイヨン州からオーブラック州のルーションに至る地域に次々と建設されている。
そしてそのシャピに運び込まれる西部航路の輸入品は絹や陶磁器だけでなく、ミョウバン、岩塩、グラファイト、銀、銅などのサンダーランド帝国からもたらされる鉱物資源が大きな割合を占めているのだ。
その結果教導派諸領で農村開放要求書に呼応する抗議活動が散発的に発生している。
そう言った地域にアヴァロン商事やライトスミス商会、オーブラック商会を通して援助物資を送りつつ懐柔に努めている。
農村は今のところどうにか抑えられているが、都市部のギルド職人の不満は尋常ではない。
特に皮革加工ギルドは革が手に入らないのだから。
末端のギルド員はギルドを抜けて靴加工株式組合や騎士団付きの修理工になろうと逃げ出し始めているが、ギルド上層部はそれを防ぐため締付を厳しくしている。
その結果各地の州で暴力沙汰や内紛、焼き討ちが発生している。
下級のギルド員は怒りはギルド上層部とそれを牛耳ってきた教皇庁に向かい、ギルド上層部は北西部や南東部の株式組合とその領主にその矛先を向けている。
ギルド幹部も教皇庁ですらその元凶がどこに有るか理解できていない。
エマ姉の思惑通りなのだろうが、そのために都市部の争乱が増えて皮革加工関係に頼ってきた領は大変なことになっている。
仕掛けた身ではあるがこの混乱に巻き込まれている市民に対して同情心はある。ただ手を差し伸べたいが、今は有効な手段がないのだ。
そして何より私が危惧しているのはこの都市部の混乱が農村部に飛び火しないかということである。
【2】
ペルラン州の州都ジュラの街は最近まで静かだった。
王都の東に隣接するペルラン州は王都の救貧院からの格安の労働力を得て栄えていた。
しかし救貧院の廃止以降、労働力不足の上に領主家であるモン・ドール侯爵一族の過剰な浪費で随分前から疲弊していたのだ。
しかし皮革加工ギルドの本部があるジュラの街はその怨嗟の声も聞こえない。
ラスカル王国で最大の教導騎士団を束ね、王都大聖堂や周辺の聖教会にも大きな影響力を持つモン・ドール侯爵家の武力による圧迫がすべてを押さえつけているのだ。
そのため街中には鬱積した不満が満ち溢れている。
「みんな、各地で発表されている農村開放要求は都市部でも交渉出来ることが有るのではないだろうか。例えば司祭の専任権や喜捨の用途などは…」
「そうだ。四項の森の使用権以外は都市でも要求できるんじゃないのか?」
「領主の強権支配停止や領主法の廃止はすべての領地に適用されても良い要求だ。特にこのモン・ドール侯爵領は教導騎士団を私兵化して州都騎士団にまで支配が及んでいる。これは王令に違反することじゃないのか」
「州都騎士団や州兵の間にも不満はくすぶっている。俺達は彼らと連携すべきじゃないか?」
「アントワネット・シェブリ女子の声明を見るに、王都大聖堂のペスカトーレ大司祭も理解を示しているということなのではないだろうか」
「それならば可能性は十分にある。王法通りに州都騎士団を独立させればモン・ドール侯爵家による強権支配に楔をいれることは可能だぞ」
「領都騎士団と連携して立つことはできないか?」
「説得は可能だと思うぞ。新たに赴任した領都騎士団長は王都騎士団で長年大隊長を努めた重鎮だ。モン・ドール侯爵領のあり方に疑問を呈している。領都騎士団の自主独立を掲げるだけでも状況は変わるだろう。ド・ヌール婦人の人脈でコンタクトは取れるはずだ。連携を図ろう」
王都の直ぐ側で大きなうねりが静かに動き出している事を私は知る由もなかった。
【3】
軍務卿から呼び出しを受けた。
特に軍務卿と親しい訳でも無ければ反目している訳でもない。
どちらかと言えば宰相閣下とは朋友で司法卿や教導騎士団と対立しているのでこちら側の人物ではある。
北海の戦乱の折にアジアーゴの閉鎖を打診された時や海軍設立の際にも顔を合わせた事は有ったので面識がない訳では無いが、はて直接呼び出される様な事案の心当たりも無いのだ。
「アドルフィーネ、騎士団や海軍に不穏な動きとかは無いかしら」
「今のところ近衛騎士団は王都の三大隊はほぼストロガノフ卿が押さえておられるようですし、軍務省に移られたエポワス卿は王都騎士団を軸に各州の領都騎士団の再編も進んでいるようで御座いますが。特に輜重関係を押さえられていらっしゃるので騎士団関係で逆らう者もいないかと」
「なら海軍関係かしら」
「海軍も実務はエダム卿とクルクワ卿がしっかりと押さえられておりますから。提督のカブレラス公爵様は創立式典以降一度も海軍基地はおろか北海沿岸に見えられた事は御座いませんし」
「そうなると軍務卿の呼び出しは何かしら」
「宰相閣下らもこれといったお話も御座いませんし、思い当たる事が御座いません」
「アドルフィーネが掴んで無いとなると少々厄介な事かしら」
「軍務卿との懇談で軍務省への呼び出しですから滅多な事は無いと思うのですが、用心するに越したことは御座いませんね。私たち三人のメイド同伴を認めて貰えるならと条件はつけておきましょう」
そこ迄警戒した割にはすんなりと話は進み翌日には軍務省へ赴く事になった。
老齢の叩き上げ軍人という軍務卿は宰相閣下が官僚として入省した折、内務省から出向して軍務省で研修をしていた頃の指導官だったと言う。
「あの頃から生意気な若造であったが見どころがあった。大成するとは思っておったがあの若さで宰相にまで上り詰めよったわ」
そんな昔話を私に聞かせるために呼び出した訳でも無いだろうが、軍務卿の真意が見えない。
「其の方はあの当時のフラミンゴとよく似た雰囲気を、いや彼奴よりも不遜な雰囲気があるな。今年卒業と聞くがこの国がどう転んでも其の方逃げられんぞ。其の方が何を望もうがワシら官僚は優秀な者を使うのが使命じゃからな」
どうも卒業と同時に私の意思とは関係なく官僚に引きづり込むぞと宣言されたようだ。
しかしなぜ、今、軍務卿がこんな面談を? 戸惑っている私に軍務卿がさらりと告げた。
「オーブラック州のアリゴの街で不穏な動きがあるそうだな。領主に獣人属の入城制限撤廃を訴える動きがあるそうだぞ」
私は驚いて横に立つナデテの顔を見る。
ナデテも初耳のようで、笑顔のまま少し目を開いて首を振る。
「煽っておるものがおる様だ。王都の隣りのペルラン州でも州都で何故か農村開放要求を掲げて動いている者もおる様だ。厄介な事に州都騎士団に賛同者が出ておる様でな」
ペルラン州? モン・ドール侯爵領の州都のジュラと言えばシェブリ伯爵領のリール州都ロワールと並んで教導派騎士団の二大拠点じゃないか。
海軍でも騎士団でも私たちの知らない勢力が動き出している!
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